
9月24日秋分の日の振替休日の日に行ってまいりました。
実は二度目のチャレンジ。一度目は19日に行ったのですが、なんとこの日はシルバーデーで、入場に90分待ち。何もこんなに混んでいる日に来なくてもいいかと、日にちを変えて出直したのでした。24日は休日で、スタート時間も午後からと遅かったのですが、意外と空いていて快適でした。「場内は混雑しています。」とは言われましたが、もっと大変な混雑の時を知っているので、どうって事はなかったです。
これは「フジタの画業を全貌を解き明かす大回顧展」の副タイトルに相応しい展覧会でした。
見ごたえ十分。心に迫るものがあり、10月8日までの開催ですが、お勧めできる展覧会だと思います。
もしも一言でこの展覧会を言うとしたら、私的には「戦争と女とフジタ」だなと思いました。
もちろん1886年から1968年を生きた人々すべてが、同じ戦争体験をしたのだと思います。だけれどその作品らから二度の大戦の時代を生き、またそれは彼の画家としての生活に大きな影響を与えたことが良く分かります。それが彼の作品に何らかの影響を与えていないわけがないのではと感じたのでしたが・・。
そんな事を思いながら、美術館の中の経路に沿って進んでいたら、
藤田画伯の言葉で、「私ほど戦争に・・・・・画家はいなかったと思う。」と言うようなコメントが掲示されていました。
暗いのでメモなども取れず、正確には覚えられずなのですが、「振り回された・・・」と言うような言葉だったかしら・・・・。←もう、メモを取れよ~。
だけど私が絵からジワリと感じたものに、まったくの見当違いと言うわけではなかったなと思えたのでした。
藤田画伯と言ったらおかっぱ&丸めがねだと思うのですが、この方の自画像は凄いです。時代時代で本当にこの人が生きた背景を感じる事が出来るような気がしたのですから。(おかっぱ時代・丸坊主時代。老いた時代など)。
で、この方、若い時は凄くハンサムなのですね。絶対にモテただろうなと感じましたが、その後の人生の結婚の回数や女性遍歴を思うと、やっぱりモテたことは間違いのない事ですね。
そしてその女性たちは、皆彼の絵を描くための栄養になったみたいだと思いました。
彼の代名詞の「乳白色の下地」の裸婦像が一堂に集められているのも、この美術展の見どころらしいですね。
この時代のモデルは「ユキ」と呼ばれている人なのですが、その真っ白な肌の女性の部屋の後に、色鮮やかな南米の旅行の絵画の部屋がやって来ると、思わず、あまりの違いに眩暈がします。
なんていろいろな引出しを持っているのかしら、と私は思ってしまいました。
その時のモデルは「ユキ」と決別した後に、愛人になったマドレーヌ。
そして日本に帰った後から知り合い、最後の5度目の妻になった25歳年下の君代さんは、写真を見るとまた美人さんなのですよね~。
って、なんか話題がそっち ?
だってですね、面白すぎませんか、この方。
フランス留学中の交流もモディリアーニやピカソだったり、第一次世界大戦の時には仕送りが途絶えて極貧になったり、その後には絵が売れて「パリの寵児」と呼ばれたり、第二次世界大戦の時には戦争画を描いたり…、その後戦犯と告発されて無罪となったり・…そしてフランスで最後を迎える・・・・。
もう、何でテレビ局は今、彼のドラマを作らなかったわけ ?
こんなドラマチックな人生、私はドラマで、または映画で見てみたいなと思いましたよ。
海外ロケも入るし、セットもちゃんとして欲しいので、お金もかかるかもしれませんね。
でもかなり良い作品が出来ると思うのになあ・・・・。
そう言えば見ていなかったドラマのキャラが、この方にそっくりでしたね。「サバイバルウェディング」とかいうやつ…あの伊勢谷さんはもしかしたら、藤田画伯のイメージだったのかしら。
この画伯の人生自体が、本当にドラマチックだと思うのですが、この美術展でもささやかなドラマチックに遭遇しました。
「アッツ島の玉砕」の絵を見て、そこを立ち去ろうとした時に、その絵の前にやって来た少々歳を召された男の方が、ちょっと声高に言うのが聞こえました。
「この島で日本人は最初に玉砕したんだ。誰も助からずに、みんな死んだんだ !」
声が大きかったのは、この絵を見て感極まったからかもしれません。
もしかしたら、この方はこの絵とは再会であったのかも。
思わず振り返り、恐ろしいその絵をまたしみじみと見てしまいました。
因みにちょっと「へえ」と思ったので、家に帰って少々調べてみました。
アッツ島は、最初の玉砕地と言うわけではなく、最初に国民に玉砕したことが伝えられた島だったのですね。その前にも全滅した部隊などはあったようですが隠されていたのです。助かった人もわずかながらいたようですが、
「日本軍の損害は戦死2,638名、捕虜は29名で生存率は1パーセントに過ぎなかった。アメリカ軍損害は戦死約600名、負傷約1,200名であった。 」
「最初」も「みんな死んだ」も決して間違いではないと思いました。
そしてこの時代の、つまり戦後の後の部屋に移動すると、その部屋の色彩も明るく、題材に選んだものが子供だったり街であったりで、心もパァっと明るくなり微笑みがこぼれました。
「ビストロ」と言う絵が気に入ったのですが、絵葉書は無しでした。
それから、やっぱりグッズには何も取り上げられてなくて寂しかったのですが、日本に帰ってきた時に描いた、日本の人の肖像画は、凄くイキイキしていて、やはりイイナと思いました。
後で絵葉書やチラシの写真を載せておくと思いますが、今はHPをリンクしておきますね。
いくつかの作品が載っていますので。
→ みどころ
気になっている展覧会だったのですが、そのままになっていたので
いいお話聴けてよかったです。
あまり詳しくはないのですが、今回の記事を読んでいて
「ドラマか映画にして欲しい~」と思わずにいられません。
そして、その感想をぜひお聞きしたい!とも思います♪
>「ドラマか映画にして欲しい~」と思わずにいられません。
と、同じように思ってくださって嬉しいです♪
気になっていた美術展、私もあったのですが、そう言うのって、ふと気が付くと、会期が終了間近になっていたりや、自分のスケジュールまたはお天気に左右されて行けない時ってありますよね。
10月1日で終わってしまう「ジョジョ展」は諦めようと思っているところです(笑)
私も『没後50年 藤田嗣治展』を見ましたので、大変興味を持ってブログを読ませていただきました。世界から乳白色の下地により描かれた裸婦のうち、最盛期の作品が10点以上見ることができ、作品を堪能出来て大変良かったと思いました。「パリの冬の真珠のような空」を描いた初期のモノクロームの風景画や、中南米の各地を旅行していた時期のエキゾチックで鮮烈な色彩が印象的な作品なども多数出品されていて、藤田作品のイメージが広がりました。美しい女性像で知られる藤田嗣治が、時代の急変で苦境に立ち、晩年は自己の信仰と向き合う宗教的な作品を制作したのを知り強い感銘を受けました。
私は、かねてから疑問に思っていました、日本人の藤田嗣治だけがフランスで高い評価を受けたのか? 戦争に協力した画家はたくさんいたのになぜ藤田嗣治だけが日本を追われたのか? 今まであまり紹介されていなかったフランス帰国後の画家としての活動も含めて、画家・藤田嗣治をたくさんの作品を通して整理してみましたので、ご一読ください。
ご感想・ご意見などありましたら、ブログにコメント頂けると感謝いたします。
ちょっとせわしなくして居まして、お返事が遅れて申し訳ありませんでした。
「藤田嗣治展」は思っていた以上に、心に残る作品展でした。
私はこの方を知らず(どこかで何かの作品は見た事があるかもぐらい)、ツイッターのつぶやきで知り、そこで初めて興味を持った程度だったのですが、この作品展で一気にファンになりました。
他者様の興味と言うものは、狭い世界に生きているものにとって、本当にありがたいものだと思います。
そしてdezire様のようなブログを知ることが出来たのも嬉しい限りです。
またよろしくお願い致します。