トップ画像は、9月14日のマンションの薔薇で、少々無理やりの「薔薇」と言う感じです(;^_^A
「ポーの一族「青のパンドラ」Vol.8フォンティーンは歌う」の続きです。
「Vol.8」が2回に分かれたのかしら。どうりで短いなと思いました。でも大丈夫。最近ネットの漫画サイトで連載作品を読むことが多くて、この短さには慣れてきたので。
だけどさながら「短い」と文句を言っているようにしか感じないと思いますが、それでも中身は充実。むしろ濃いです。
この展開にざわつかない人はいるかしら。
人間に戻ってしまったアラン。
私もエドガーが言うように、普通に生きる最大のチャンスだと思うんです。
自分勝手な親や親せきにがんじがらめで、窒息するような少年時代を送っていたアラン。
でも今は違う。
何百年もの遠回りをしたけれど、自由で本当に望む人生が送れるんじゃないかしら、今なら。
だけどアランの言っていることも分かります。彼らは異形の物でありながら、現代を生きる彼らは、SFの主人公であってもホラーの人たちじゃないんですよね。
彼らに与えられた力は、特権にしか感じられないでしょう。
(でも、今だってお食事は・・・?)
アランの
「人間なんかイヤだ!!」
「食べて寝てトイレに行って 年を取るだけじゃないか!!」と言う言葉がグサグサきます。
だけど人間は、その食べて寝てトイレに行って年を取る合間に、あがらって、何かしようともがく生き物なんだよ。
たぶんそれをエドガーは「本物の人生」と呼んでいるのかもしれませんね。
「もう一度仲間にしてくれたら・・・」とアランは単純に言うけれど、子供がポーの一族で生き残っていくのは稀で、彼らは奇跡の子供たちなんですよね。同じように行くかどうかは危なすぎて出来ないことだと思います。
でこの時、「ポーの村」は大惨事。
そんな時にアランとエドガーの件についての相談メールが送られてきても
「ちょっと今はどうでもいいから。」とか言いたくなってしまいますよね。
気の毒なシルバー。
アランは人間に。
ポーの村は滅びる。
そして・・・・
ヨークシャーに現れたフォンティーンとバリー。あの海辺のシーン、美しかったですね。
紅蓮の炎に包まれたポーの村から真っ青な海辺の静かなシーンの対比が素晴らしいなと思いました(カラーではないけれど)^^
満潮になると孤島になる灯台でバリーはかいがいしく兄の世話をします。
そこで静かに千年ぶりに歌を歌いながら、静かに言うのでした。
「ゆっくり・・・・考えよう・・・バリー」
「世界への復讐を・・・・・」
(ふふふ、面白くなってきた・・・・)←私の心の声
でもやっぱり最後は思ってしまいます。
大老ポーは何を考えているのってね。
次回は11月28日頃発売の1月号です。