ぼんやりと池のほとりにたたずんでいた。ふと気が付くと、いつの間にか猫が傍らに座っていた。
「ねえ、教えて、ネコさん。あの茂みを抜けて、また抜けて、そしてまた抜けていくと、いつかは猫の楽園に行けるのかしら。」
猫は眉間に皺を寄せていった。
「失礼なやつだな、あんたは。物事は、まず何でも自分の方から打ち明けるのが礼儀ってもんだろう。まず、人間の楽園は何処にあるのか言うべきなんじゃないのかね。」
私はちょっと困った。それでも、少し考える振りをしてから言った。
「ごめんなさい。私、人間の楽園が何処にあるのか知らないの。」
すると猫は、少しホッとしたような顔をして、それからまた偉そうに言った。
「それじゃあ、教えてあげるわけにはいかないな。」
だけど、猫は今度は寂しそうな顔をして言った。
「実は、わたしもだね、『人間の楽園』を少しばかり探しているんだよ。昔、泣き虫だった女の子の面倒を何くれなく見ていたんだが、いつの間にかいなくなってしまった。泣いていた時には、その涙に濡れた指なんかを嘗めてあげたりしたのだが・・・
どうしていなくなってしまったのか、さっぱり分からない。
だけど、わたしはだね、時々思うのだよ。
あの女の子は、今頃はどうしているだろう。涙の時は誰が慰めてあげるのだろう。可哀相で可哀相でたまらなくなる。
だけど、そんな時、きっと女の子は楽園にいるに違いない。そして、涙なんかを友にしないで、毎日微笑んでいるに違いないと思うようにしているんだよ。だから行くことが出来るのならば、その楽園に行って、それを確かめてみたいものだと思っているというわけさ。」
何かを言おうとして、口を開いたら、涙が不用意に出た。
「大丈夫ですよ。その子が楽園にいるかどうかは分からないけれど、涙の時はきっとあなたのことを思い出していますよ。そして、『ありがとう。』と言っていますよ。」と言って、傍らを見ると、いつの間にか猫はいなくなっていた。
黄昏前の、池のほとり。
いつの間にかいなくなってしまった猫達。ある日突然死んでしまった猫達。その魂も含めて、その者たちは猫の楽園にいるのだろうか。花咲き乱れる原っぱを駆け巡り、好きなだけ狭い茂みを抜けていく。ハンティングに乗じては、疲れ果てて眠りこける。風に揺れる猫じゃらしに戯れては、真っ青な空を見上げている。月夜の晩には、猫の集会に集まって、噂話に花を咲かせ、またたびパーティに踊り狂う。
―おいでよ、おいで。僕らの輪の中に
僕らは拒みはしないよ
自由な魂を持つ者は 猫の心を持つ者は
その姿なんかで 差別しない
同じ月の光の下で どうして違いを見出せる
踊り狂え 朝が来るまで
日の光が登ったら
それぞれのねぐらに帰って
それぞれの夢の続きを また見よう
自由な魂を持つ者 猫の心を持つ者
僕らは拒みはしない
踊れ 朝が来るまで―
行ってみたいな、そんな「猫の楽園」。
だけど、そんな「猫の楽園」を見つけるには「人間の楽園」を見つけることが近道らしい。
餓えて死ぬ事などなくて、誰かに殺される悲しみに耐えることもなければ、誰かを殺さなくてはならない恐怖に恐れおののく必要もない。ただ、それだけの楽園。だけど、それさえも、人間は手に入れたとしてもそのことに気付かないで、自らの手で手放してしまう。
そうすると、いつか猫の楽園にたどり着き、ある日突然別れてしまった猫に「さよなら、幸せでいてね。」と言う一言を伝える事が出来る日は、出口の分からない茂みの中を抜けていくようなものかも知れないなどと、ふと思った。
いつの間にか、日の光は池の中にポシャンと落ちて、夕闇がやって来ていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2007年8月17日に1度投稿したものですが、再掲載しました。
3日のもも
4日のもも
ももは、12月10日に永眠しました。
今頃は見た事もない広い世界の野原を、苦痛の肉体を捨てて走り回っているかもしれません。
それともしばらくはそっと私の傍にいて、
「なんだか体がとっても軽くなったんですよ、ママ。」などと言っているのかもしれません。
だけどももちゃん、
ももちゃんは振り返らず誰をも待たずに、自由に猫の楽園に行ってね。
ママはおうちの中のどちらを向いても、ももちゃんを思い出して、今は泣いています。
だけどそれはそれだけ想い出があるから。
ももちゃん、ママはね、
涙の時はきっとももちゃんのことを思い出し、そして、『ありがとう。』と言うね。