「こてまり」に行くために、タクシーに乗りこむと、そこに血で汚れたスカーフが忘れてあった。そこから二人は、前にそのタクシーに乗っていた男を見つけ、右京はその人の後を追い、薫は聞き込みに走る。
男は親の遺産を食いつぶして、遊んで暮らしていると言う堂島と言う者だった。
彼が入っていったのは「チャップリン」と言う名の店で、カレーを食べたいと注文し、もう今日の分は無くなってしまったと言われると、作ってくれないかとまで言う。
なんて言うか、古き良き時代の「相棒」の香りがしました。
「相棒」の「古き良き時代」と言うのがいつの事なのかは不明ですが、そんな表現がなんだか似合いそうな内容だったと思いませんか。
こういうお話が好きです。
お話の中で語られていたチャップリンの「街の灯り」は大好きな映画で、それまでバタバタしているような無声映画は、生まれる前の過去の代物と思っていた私でしたが、或る日二番館でそれを見て、ラストで号泣しました。
もちろんこの映画を知らなくても、今回の作品は楽しめたと思いますが、知っていた方がよりこの物語に深みが出たと思います。
「街の灯り」は劇中でも語られていましたが、見るものの解釈によって、ラストがハッピーエンドになるかそうでないのか分かれるところなんですよね。
これを見た中学だったか高校生の時だったかには、とてもハッピーエンドになるとは思えなくて、そして号泣したのだと思います。
でも歳を重ねて、またこの映画のラストシーンを見ると、この女性は彼を身綺麗にし、暖かい部屋を与え、そして二人で寄り添って生きていく、そんな選択の未来もあるのかもと思えてくるから不思議です。
だからこそ、右京の最後の言葉が響いてきました。
「悲観して自ら幕さえ下ろさなければ、いつかハッピーエンドに出来る。人生の価値は自分次第。」
深く共鳴しました。
どなたが書いたのだろうかと、HPで見ましたら、「光益義幸」と言う方でした。なんと地上波初デビューだったそうです。
そう言えばカレーって、市販のルゥを使って作っても家庭の味って出ますよね。
堂島が最後の晩餐に、その店のカレーを選んだのは、昔愛した女性が作っていたカレーの味だったから・・・・・。
いやいや、たぶん多くの人が、最後の食事にこの店のカレーを選んだことから、この店のオーナーが実は彼の息子だなと、感じていた方は多かったのではないですか。どこでそう思ったかという事は、たいがいはこういうドラマでは、根拠もないのに薄々と感じてしまうのですよね。
ただドキドキしたのは、この店のオーナーは、母が残した手紙を読んでいないのです。
たぶん父の名前を彼は必要としていなかったのでしょう。その母は、かつての恋人も知らない子供を産んで、恨みもせずに大切に育てたのでしょう。そして彼女は幸せだったのだと思います。だから青年は、母の昔のお店の近くに、自分のお店を出したのだと思います。
そして今、私たちにも分からない、その後のドラマが始まったところです。
どんな父と息子のドラマが始まったのでしょうね。
ただ右京と薫には、肝試しのようなお食事をすると言うドラマの続きが待っていることだけは確かでしたね。
あの色は思いつかなかったわぁ!!!
「こてまり」の女将の鍋のふたを開けた時の
「えっ・・」は意外にツボでした。(笑)(笑)(笑)