森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

江の島・鎌倉あーんど中華街

2018-03-21 11:18:03 | お出掛け日記

20日の火曜日、久しぶりのバスツアーに行ってまいりました。

かつてはそこそこ有った格安バスツアーは、無理な設定から引き起こされたバス事故などの影響で、最近あまり見られなくなりました。でも今回のツアーは、そんな時代に逆らっての破格の安さです。

私はバスツアーなどは、はとバスが満足度が高いので気に入っているのですが、その満足度を生み出すためには、そこそこのお値段はします。それに比べての格安ツアーの難点は、観光時間が場所に見合ってない、それと余計なところに連れていかれるなどが挙げられると思います。

まあ、その余計なところに連れていかれるからこその安さなのは分かっているので、そこは我慢です。

 

もう一つの問題点は、如何に短い観光時間を楽しむかですよね。

最初に訪れたのは「江の島」。

ここに来るのは、本当に久しぶり・・・・というか、以前に来たのは子供の時だったと思います。覚えているのは海ほおずきを買ったことぐらいです。

江の島って、こんな所だったのかと新鮮な気がしました。今度姉妹出来てみたいなと思っていたので下見も兼ねての気分です。

(姉妹で来るのはいつになることかな?)

地図などを見ますと、意外と見学して楽しむところはたくさんあるみたいなのですが、許された時間は1時間です。

仲見世では

 「しらすブラックコロッケ」を頂きました。ちょっぴり見えているのは、ニコニコと「美味しぃ~」とパクついている私。

 

江の島弁財天

  ここにも銭洗いがあります。私 ?  洗いません^^

その先から上り専門のエスカレーター、エスカーに乗りました。(有料です)

 

中津宮広場を抜けて、エスカーを使ってどんどん上って行きました。

途中で水琴窟を楽しんだりもしましたが、殆ど寄り道は無し。

 なかなか立ち止まれはしませんでしたが、花もチラホラ咲いて楽しませてくれました。

あいにくの雨模様だったので、シーキャンドルと呼ばれている展望灯台はパスしました。

そこから御岩屋道通りを通り

「山ふたつ」を見て

更に歩き

  (ちょっと見えているオレンジの傘の人はお友達。)

 

「群猿奉賽像庚申塔」の所でぐるりと回り、殆ど江の島を1周して帰ってきました。制覇しました、江の島(それなりに^^;)

台風かの影響でこの先にある「江の島岩屋」は閉鎖されていたのですが、もしも閉鎖されていなくても行く時間はありません。

凄く快晴で、シーキャンドルに登ったら、どうなっていた事か。

やっぱり、バスツアーにはバスツアーの楽しみ方があると言う事なのですね。

 

 

 

 

ワンお出掛けワン記事にしようかなと思いましたが、それって、私には無理かも。

やたら長くなってしまいそうなので。

と言うわけで、また次回に続きます。

 

続けて書きました。この記事の続きは→ 「江の島・鎌倉あーんど中華街《その2》」です。

 


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春が来たから心も融かす

2018-03-19 12:47:17 | 梢は歌う(日記)

別に揉めてもいなくて、喧嘩もしていないけれど、心の中にほんのちょっと氷の種が落ちてきて、いつしかそれが芽吹き、冷たい氷の花が咲いていました。

「会えない時間が愛育てるのさ」って郷ひろみの歌だけど、会わない時間が育てるのは愛だけじゃないんだなと思います。不信と疑惑、そんなものも。


夫殿の家族、つまり義母に会ったのはお正月。
年をまたぐ頃、姑と彼の兄たちはまったく悪意なく、と言うか、まったく気が付かずに、一番下の弟を傷つけていたのでした。それでも新年はそんな気持ちを押し隠して、ニコニコと会っていました。
大人とは、そのような嘘つきの鎧を時には装着しなければならない時もあるのでしょう。

それからなんだかんだと彼は彼女に会いたがらないし。
遠慮しているのか、彼女に傷つけられたくないからか。
私もそんな夫を見ていて、忙しい事をこれ幸いにして距離を置いていました。

だけどお彼岸です。


重い気持ちを振り払いながら、夫殿は義母に電話し待ち合わせをして、昨日の日曜日にお墓参りに行ってきました。

なんだか気を使って(夫が)早く行き、お墓のお掃除を済まして彼らを待ちました。

機嫌の良かった義母の姿に、夫殿は心が軽くなったようです。

「やっぱり、早く行って掃除しといて良かったなあ。」と後で彼は言いました。
それから
「おふくろはやっぱりお前と話がしたいんだなあ。」とも。

馬鹿らしい。
そう心の中で思った私。
義母が機嫌が良かったのはそんな所からじゃないよって、言ってやりたかったけれど、ちょっと我慢しました。



ずっと連絡のなかった息子から電話があったからに決まってるじゃん。
だけど問題は、その事に彼女自身も気が付いてないって事なのよね、たぶん。

だから私の顔を見て言うのです。

「ああ、私ね、花子さんに『忙しいご用がやっと終わったので、もう来ても良いよ』ってずっと電話をしたかったのに、なんだかんだと電話そびれちゃって。」

だからまた遊びに来てねと言う、優しいお言葉なのですが、なんたって私の心の中に氷の花が咲いているものだから

「あっ、でも私の方が今、忙しくて。自治会の総会資料を作らなくちゃならないのでね。」と言う私。

すると義母は
「そんなもん、去年のやつに二三個いじって作ればいいだけで簡単じゃない。一日で出来るわっ !!」
と言い返してきました。


―義母は93歳になったと言うのに、本当に衰えてないな。
とっさに、ムカッとすることが出来るって事ですものね。

私なんか、後からジワジワときて、それからムカッとくることが良くあると言うのに。―


だけど久しぶりに、みんなで昼食を頂きました。




あまりにも会わない時間が長かったので、これと言って話題もなく、美味しくて量がある焼きそばと格闘しそして帰ってきたと言うわけなのですが、お食事中、私は心の中で一人反省会。

確かに今週と来週は自治会のお仕事のピーク。
なかなか進まないけれど。

でも心を軽くして生きる事は大事な事なのですよね。


「私、3月最後の週はお仕事も休みで・・」

「あっ、そうなの。」と気のない返事。

こんにゃろめ。

帰り際に、
「またこちらからもお電話しますね。」と言うと、

あまり心もこもってない感じで義母は

・・・・・、なんか言ったけれど、忘れちゃった(^_^;)


まあ、いいやーーー!!!

忘れてしまう、そんな程度の事なのですよ。


これから花が咲き乱れる凄い季節がやってくるのですよ。

心の窓の内側ばかりを眺めて、この季節の百花繚乱の様を見逃してはならないと思うのです。

みんなも結構やってしまうでしょう(人様を巻き込む私。)
自分の心のうちをじっと見つめたり分析したりって。


確かに、時にはそう言う事って大事ですよね。



でもいつもじゃないと私は思うのです。


昔父が言った言葉。たぶん、父も何処からか聞いてきたのだと思いますが、

「百年後の世界を思う。」と言うもの。

そこは自分を含めて、今の私の知り合い、私の周りにいる人たちが誰もいない世界なのです。


本当は、悲しいけれどもう百年と言う数字じゃなくてもいいのかもしれませんね。

わずらわしい人間関係のあれこれ。だけど本当にその「百年後の世界」を思うと、本当に「まっ、いいか。」と思えるから不思議です。


そんな事よりも、花を追いかけて今をしっかり生きる事にしましょう。


春なのですから。



※       ※       ※

下の囲みは昨年の3月18日に投稿したものです。だいたい夕方になると、gooがメールで送ってくれるのですが、それを見て、ちょっと驚いてしまいました。それと言うのも、昨日の朝、私は内田康夫さんの訃報から悼む気持ちを込めて記事を書かせていただいたからです。

偶然にも昨年と同じ日に、お別れの記事だったのかとー。





 


さよなら係長・・・・・

本当の事を言うと、あまり「さよなら」とは言いたくない。寂しくてー。 ※       ※       ※ある日、「相棒」の後に「9係」の予告が入りました。「やっぱ......


 

 

 

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見届けて欲しかったね(/_;)

2018-03-18 09:59:20 | 同じ時代の船に乗る

昨年の3月22日に、「浅見光彦、未完小説「孤道」の刊行は!」と言う記事を書きました。

それから一年が経とうとしている今日、内田康夫さんが13日に敗血症のために亡くなっていることが分かりました。

病気のために掲載中の「孤道」を中断し、その解決編を公募すると言う「『孤道』未完プロジェクト」のその締め切りは4月末日です。

そのお知らせは再びのリンクですが→こちらです。

 

このプロジェクトにチャレンジなさっている方は、きっと内田康夫先生に、目を通してもらいたいとか、その結末の感想を聞きたいと思っていたと思います。

でもきっと、どこかで見守ってくれていると思います。

締め切りは間近。

頑張ってください。

私は、あまり間が空くと前の話を忘れそうと思って(最近は、そう。悲しい事に。)、ずっと後から続けて読む予定でいたのですが・・・・・・・。

(アガサの「カーテン」も相当後から読んだ私なので・・・・。)

 

でも・・・・・・。

孤道
内田 康夫
毎日新聞出版

 

お別れの会は行われずに、3月23日~4月23日、長野県軽井沢町の浅見光彦記念館に献花台が設けられるそうです。

内田康夫先生、今まで魅力的な浅見光彦にたくさん会わせてくださってありがとうございました。

 

 

内田康夫氏関連の、このブログ内の記事は

好きなものがある幸せ6【「浅見光彦シリーズ」が好きです】

↑ この記事に、私が今まで読んで気に入っている本をなにげにリンクしてあります。

 

唯一、読んだ本の感想は、2011年に入院中に買った本で(やっぱり病院の売店でも、彼の本を選んだ私^^)

「ユタが愛した探偵」」です。あまり良い事を書いてないのですが、私はこれを少し重いキャストで映像で見てみたいです。

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相棒16/第20話「容疑者六人~アンユージュアル・サスペクツ」

2018-03-15 02:24:21 | ドラマ(相棒)

ある意味、衝撃のラスト。

「おおお~!!」って思わず言ってしまいました。

そして次に、またまた思わず笑ってしまいました。

「おおお」から「あはは」の最終回って、今までなかったと思います。

やっぱり斬新な最終回でしたね。

 

《ネタバレしています。録画して未見の方・または再放送時には気を付けて。》

 

ちょっと何から書いて良いのやらと言う所ですが、最終回、面白かったですね。

まさかまさかの青木の特命係移動。なんかそこで笑ってしまった私です。

少々前から気になっていたのですが、冠城亘も3シーズン目。今までだとそろそろ「相棒」チェンジの噂がチラホラ。だけど今回それが全くなかったじゃないですか。

4シーズン目も彼でしょうか。

私的には二人は良い「相棒」だと思うので、それが良いなと思っているのですが、チェンジではなく第三の男を投入してきたのでしょうか。

 

しかし青木はなんであんな所で、傘で突いたのかしら。

嫌いなマスコミと言う理由ではよく分からないような気がします。よほど性格が悪いのかもしれません。

だけどあまり憎めないのですよね彼の事。

だけどですね、動機もそうなのですが、今回の階段落ち三連発は凄かったですね。

 

良くサスペンスなどを見ていて思うのは、

「階段から落ちたら、人は簡単に死ぬ。」と言う事で、ああ、気を付けなくちゃなと言う戒めにもなったりするのですが、今回はそのサスペンスの常識外をそこでやってのけてましたね。

誰も死なない。(まっ、死ぬわけはないのですが。)

最初に風間楓子が死んでしまっていたら、まったく違う重い話になってしまいましたね。誰か東京湾に浮かんでしまったかも。(物騒な事を書いてしまいました。)

しかし、あの階段落ちは迫力がありましたね。今時は本人さんが演じちゃうから一概には言えないのですが、中園参事官の落ち方なんか、どう見てもスタントマンさんだと思うのですよね。

 

そう。

今回はいろいろなシーンで中園参事官に光が当たっていましたよね。・・・・・光が・・・^^

「不毛は私の頭だけでたくさんだ。」って言ったのに、滑りまくりで…思わず視聴者は泣く(いや、(* ´艸`)クスクス)

 

今回はレギュラーみんなに光が当たっていたように思いました。

イタミンの真夜中の圧。

それもわざわざ利き腕じゃない手で書いたのに、スルーされて、それを物陰から見ていたイタミン。

 

最近活躍度が高まった大木・小松も頑張っていましたね。だけど本当は怖い逮捕劇ですよね^^

 

組に迷惑を掛けてはいけないからと、離婚まで決意して落とし前を付けようとした楓子の母の匡子。そんな彼女の前に青木を置いて行ってしまってどうなるのと思っていたら、一発殴られて終わりだったみたいで、良かったと言えば良かったですよね。

そして彼女は指を骨折って・・・・・

やっぱり笑っちゃうんだけれど、ちょっと真面目に考えてみると、娘は死んでしまったかも知れない事件なのに、一発殴って終わりで良いのかとか、骨折した指は痛かっただろうなとか、笑ってはいけないような気もするのですね。

 

それに特命に早く犯人捕まえろって言うけれど、このシーズンの一話目は特命の捜査権についてだったのに、ちょっとだけあれって思ってしまいましたよ。

でも、まっ、いいか。ドラマなんだし。

 

最後に、衣笠副総監を杉本さんが演じました。私は彼の動きの中に大杉さんを見てしまいました・・・・(/_;)

 

 

と言うわけで、シーズン16も無事に楽しく終了しました。

「相棒」のお仲間の皆様、次回のシーズンでまたお会いしましょう。

! !

じゃなかったですね。

来週の21日は8時から

「相棒 -劇場版IV-
首都クライシス 人質は50万人!特命係 最後の決断」!!

でした。

映画館で見ましたが、これ、面白かったです。テレビ初放送なので劇場で見損なった方は是非に♪

 

 

 

 

 

 

 

 


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玉置浩二 ビルボードクラシックス2018カーテンコール

2018-03-14 17:56:42 | 観劇・コンサート日記

たまには、人が「大好きだ。」と言っているものにも耳を澄ますべきだよ。

 

※         ※         ※

ある日、姉が

「『玉置浩二』のコンサートに行かない?」と言ってきました。

なんか言葉に微かな強制のニュアンスが・・・・。

確かに私の方こそ、今まで自分が好きな人のお芝居やライブに、どれだけ姉に付き合ってもらったか分からない事です。

一緒に行ったそれらを姉はみんな喜んでくれました。

だけどその姉からの「玉置浩二」と言う名前は、私にとっては、ある意味青天の霹靂・晴天に雷のような感じだったのです。

だけど姉は言いました。

「私、本当は彼の歌が一番好きなの。」

なんと衝撃の告白。

私はてっきり、今ではライブチケットは宝くじが当たるような感じになってしまった拓ちゃんを、私と同じように一番好きなんだと思いこんでいたからです。

それじゃあ、行かなきゃなと思いました。

 

私は彼の歌をほとんど知りません。

「ワインレッドの心」も正式名を知らずに「ワインレッドの何チャラ」と言っていました。ただ「田園」は知って居ました。

ドラマ「コーチ」は大好きなドラマでしたから。そして私はどちらかと言うと、玉置さんはそのドラマの中の役者さんのような気がしてしまっていたのです。

それからまた、彼はスキャンダルで…と言っても離婚結婚の話題なので、それをスキャンダルと言うのかは分からない事ですが、とにかくワイドショーを賑わす人と言うイメージ。

以前、たくさんのヒット曲を持っているシンガーだけれど、それらをまったく歌わないで新しい知らない曲ばかり歌われたコンサートに行った事があるのですが、けっこう苦痛だったのを覚えています。

その経験から予習して行こうと思い、何曲か聴いてみました。

数曲聴いて、「あっ、この人、予習なんかいらないわ。」と思いました。

 

玉置浩二は大丈夫だと、はっきり分かりました。

どれだけ知らない曲を歌われても、みんな耳にちゃんと入って来て、しかも心に届きました。

 

いや、普通はそうですよね。

新しい歌を知らないで苦痛に感じてしまったコンサートは、そのシンガーに聴かせる力がなかったからなのだと。

と、そんな事に今更気が付いた私なのでした。

 

だけどその予習は無駄ではありませんでした。

この人の歌は、意外と人生エール。生きる事の応援歌なのだと感じる事が出来たからです。

 

3月11日、会場には男の人もたくさん来ていました。

MCなし。1部も2部もずっと歌いまくります。

感動的な歌唱力です。もう聞惚れ、その歌の世界に取り込まれてしまいました。

言葉はなくても、歌詞の中に「東日本のために」と言う言葉が入ったり、場所がパシフィコ横浜だったので「横浜」と言う言葉が入ったりで、完全に歌が会話になっていました。

2部の終わりには、姉が涙を流していました。姉の大好きな歌が歌われたからだと思います。

ちらりと横を観てそれが分かった時に、私は違う感動を覚えたのでした。

好きな人がいる幸せ。好きな事がある満たされた想い。

ここは「いい空間だなあ。」と思えたのです。

 

バックがオーケストラなので、皆静かに最後まで座っていました。

だけど嵐はアンコールの時に起こりました。

 

会場は総立ちです。

そして嵐のような拍手。

私はその光景に感動してしまいました。

彼が出てくると、またみんな静かに座って歌を聞くのです。

 

そしてまた嵐。

そして静寂。

アンコール後に2曲は歌ってくれたと思います。3曲だったかしら。

 

繰り返される嵐のような拍手とアンコール。

素敵な時間だったと思います。

 

トップ画像は、姉が買ったファイルを一枚貰いました。

私のお土産は、Tシャツ。

夏はそれを着て、新しい事にチャレンジしたいと思います。

入場する時

 このDVDを貰いました。まだ見ていないので、見る楽しみもあります。

私は最後に姉に言いました。

「もし来年もチケットが買えるなら、買ってくださいね。」って。

 

下に貼った歌が、私のベストと言うわけではないのですが、この歌詞を聞いて、これは好きな人とそうでない人に分かれるかもと思いました。だけどどんな歌詞でも、歌いこんでしまう彼はやっぱりすごいと思います。

因みに私は、意外と素直に頷いて励まされるタイプです。

玉置浩二 ♪清く正しく美しく ♪

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それは風化なのか。3月10日に東京大空襲があった!

2018-03-13 00:13:53 | 梢は歌う(日記)

3月11日は、横浜に行きました。

実家に帰る、またはラッタ君と会うなどの目的の他に、今回は「玉置浩二」のコンサートに行くと言うのもありました。

みなとみらい駅で姉と待ち合わせをし、彼の初めてのコンサートに臨んだわけですが、彼との最高の時間の感想はまた次の時に書かせていただきますね。

 

2時開場で、3時開演だったので、私と姉は席についてから、2時46分に二人だけで黙祷をさせていただきました。

その後で、私は姉に

「一日前にもしたのよ。」と言いました。→ 「一日前の黙とう

そしてブログに書いてあるような事を告げたのでした。

「前の日の8時20分には、あの時震災で亡くなった人も皆生きていて、その翌日に何が起きるか分からなかったのよね。」

そう自分で言って、思わずまた胸がいっぱいになりました。それは姉も同じだったようです。

だから私たちは、今と言う時間を大切にして頑張って生きて行こうと語り合いました。

 

その後、姉は私に告げたのです。

「3月11日は忘れてはいけない日。だけど3月10日もそうなんだよね。その日は東京大空襲があった日で、だから前日に黙とうをしたのは正しいと思う。学校でもそれもあってしたのかと思ったよ。」

私は吃驚して、首を横に振りました。

「震災の話だけよ。」と言いながら、私はちょっと複雑な気持ちになりました。

100万人以上が罹災したと言うのに、それがいつだったのか意識の中に埋没してしまっていたのです。

 

 

風化の原則。

それは語る人が居なくなっていくー。

それに尽きるかと思いました。

 

だけれどそうは言っても「東京大空襲」があった事は、もちろん忘れてはいません。たとえ生まれていなくても経験をしていない事でもです。誰かが「語る」。やはりそれが大事な事なのだと、心の底からしみじみと思ったのでした。

 

東京は106回の空襲を受けましたが、普通「東京大空襲」と呼ばれるものは、死者10万人以上を出した1945年3月10日の下町空襲を指すー。

 

 

 

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一日前の黙とう

2018-03-11 00:58:00 | 梢は歌う(日記)

3月10日の今日は、午前中は地域の小学校に行く用がありました。その時に、明日は日曜日なので前日の今日、全員で黙とうをするのでよろしくお願いします、と言われました。(書いている途中で日付がまた変わると思います。)

今日は土曜日で学校は午前中のみ。ゆえに時間も8時20分とまったく違う時間です。

だけど短い時間の黙とうの時、私は胸がいっぱいになりました。

 

あの時ー。

あの震災を体験した人たちの前日の8時20分は、皆生きていてその日をキラキラと生きていたのです。

その翌日に何が起こるのかも知らずに。

 

家に帰ってから、私はその前日私は何をしていたのかしらと自分のブログなどを読み返してみました。

だけど日記ブログをやめていた私は、その前日何をしていたのかはよく分かりませんでした。

ただ、こんな短歌を作っていました。

「故郷に帰りて君に会いたいが 君は黄泉にて姿は見えず」

なぜこの歌を前日に作ったのかは分かりません。

 

だけど3月12日に作った歌は

「困難に一丸となって立ち向かう同じ日本の家族だから」

たった一日で日本はそんな所になってしまったのですよね。

 

その前日の夜、まだ継続していた映画ブログ「近未来二番館」の方に映画の感想を書きました。夜遅くに書き始めたので、いつものことながら日付をまたいで3月11日になってしまいました。

それが「ヒアアフター」。

イーストウッドの映画で冒頭に、凄まじい津波のシーンがあります。

この映画は、本当にしっとりとした良い映画だったのです。だけどこのシーンのせいで、公開中止になってしまいました。それは違うと言う発言をしている人をツイッターで何人も見かけましたが、私は「仕方がないよ、妥当だよ。」と思いました。なぜなら、その津波のシーンは本当に凄まじくリアルだったのです。

映画の映像として見るならば本当に素晴らしかったので、感想の後ろに画像を貼りました。でも3月11の夜遅くに、とんでもない事だとその記事を書いた事を思い出し、その画像を削除したのでした。

なぜ、私・・・

2月に見た映画の感想をその日に書いたのだろうかと思いましたが、分からない事です。

 

毎年3月11日は、昨年書いた記事の囲みを取り込んでツリーにしていました。ですが明日(3月11日)は出かけるので、そのツリーは作れません。だけどこの日は風化させてはいけない大事な日だと思っているので、昨年の記事をリンクさせてくださいね。

「昨年の記事☆『2011年を生きた猫たちへ』」 から

 

「僕はむしろ忘れたいんだよ。」と言った少年も、今は中学生になっています。今年、彼は何を思ってこの日を迎えているのでしょうか。

 

そしてやはり「2011年を生きた猫たちへ」を読むと、自分で書いたものなのに、毎回涙がこぼれるのでした。

 

この時期になるとニュース番組でも、あの時の悲惨な映像ばかりが流れてきて、もっとみんなで頑張って復興させた地域の魅力的なシーンや情報を流してよと言うご意見を見かけました。

確かにそうだと思います。

だけどその反面、やはり思い出し風化させまいと思うのは、とっても大事な事だと思うのです。

学校の先生が小学2年生の子供に言いました。

「この地域は、はっきり言って津波は来ませんよ。」

私は心の中で

「まあ、隕石が落ちたら来るな。」とろくでもない事を思ってしまいましたが、その後の先生の話は、意外と真面目に聞いていて、思わず頷いてしまいました。

「だけどこの先どこに住むかは分からない事じゃないの。何々さん、あなたは海辺の町にお嫁に行くかもしれないわよ。何々君だって、仕事でそう言う所に出張するかもしれないじゃない。自分には関係ない事と思ってはダメなのよ。」と彼女は言ったのでした。

 

2011年3月13日に書いた、その日の記録→「それでも朝はやってくる

あの年の3月11日の前日の8時20分に私が何をしていたのかは分かりませんが、記事をを読み返していたらその当日の朝に何をしていたのかは分かりました。ブログを書いていたのでした。しかも長々と。そしてイキイキと。

それは→「1月2月を振り返って(2011)

 

過去の記録は未来の為に。

そしてー。

「君去りしその場所には残像があり残香あり悲しみがある」。

 

 


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買ってしまいました ♪

2018-03-10 02:03:27 | 梢は歌う(日記)

ネットでうろうろしていたら、ふとどこかで目についたこの本の広告。

60歳からはじめる色鉛筆画
渡辺 芳子
河出書房新社

 

なんだかとっても気になってしまったのです。

と言うのも、文房具などを以前整理していたら、子供たちや私の仕事用の色鉛筆がたくさんあることが分かったのです。でもそれは皆12色。そしてそれが4つもあって、しかもほとんど使っていないものばかり。

こういうのは使う事が一番の整理することだと思って、2016年は時々小さなスケッチブックに花の絵などを描いていました。

でもね、ああ、もう悲しい結果。

それになんか12色では限界があるように思えて、だけど鉛筆を消化するための絵なのに、また新しく買うと言うのもどうなのかと思いつつ、とにかく惨憺たる絵だったので、いつの間にか遠のいてしまいました。

だけど興味が失せてしまったと言うわけではなかったのでした。

ちゃんと本を読んで、やってみようかなと、

「エイ、ヤッ」ってAmazonで買ってしまいました。

 

こういうのって、気合を入れないと買えない私・・・・(^_^;)

 

ページを開いてみたら、やっぱり36色って書いてある・・・・。

また新たな悩みが・・・。

でも届いたら、描いてみたくなるってものじゃないですか。

 

だけどこれ、色が違う、足りないの問題じゃなくて、やっぱり見本通りに塗るには練習がいるようです。

途中で、「好きにさせて。」と思ってしまいました。

で、結局12色の色えんぴつで好きに描いたやつ。

 

  

 

今週はあまり時間がないので少しの時間で描いたのですが、なんだか結構楽しいですね。

大人の塗り絵が流行るも分かるような気がします。

そうなると・・・・

ファーバーカステル ポリクロモス色鉛筆 36色 缶入110036 [日本正規品]
ファーバーカステル
ファーバーカステル

 

本の中で勧められているこれが欲しくなる・・・・・

って、これお値段が !!

きっとまたしばらく悩んでいると思います。

 

でもこういう悩みは、ある意味、楽しみの範疇なのかも知れませんね。

 

 


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相棒16/第19話「少年A」

2018-03-09 12:23:00 | ドラマ(相棒)

ゲストが子供店長で人気の高かった加藤清史郎君。立派な青年になりました。それで話題性もたっぷりだったと思うのですが、私的には、そう言うのはあまり興味がなくて・・・・だけどこの物語自体がとっても良かったです。

思わず涙がこぼれました。

今回のライターさんは徳永富彦さんで、シーズン16では相棒16/第7話「倫敦からの客人」、シーズン15では相棒7話「フェイク」などを書かれている方で、なんて言うか毎回果敢に挑戦されているような気がします。

それにこの方のお蔭で「シュレーディンガーの猫」(相棒14「第17話 物理学者と猫」)を知ったのですから、たぶん私の好きなライターさんなのだと思います。

長く続くドラマは、如何に推理ドラマ・サスペンスと言うジャンルであっても、時にはドラマ部分が厚い方がメリハリがあって、そのシリーズの息を長くするものではないかと思いました。

 

朝、思わず無戸籍について検索してしまいました。

どんなに大人の事情があろうとも子供たちには罪がないのに、その被害を受けてしまうのは無戸籍になってしまった子供たち。冠城は「手助けするよ。」と手を差し伸べる事を約束します。ホッとできるシーンでしたね。本当は、相談→解決にはサクサクとはいかないようで、もっと現実に推定1万もいる人たちに向き合って解決の流れを作っていただきたいものだと思いました。

と、このように思わず検索したり思ってしまうと言うのも、「相棒」らしさですよね。このドラマはいつも(毎回ではないですが)、現実の事件や世相を反映していたり提言したりする姿勢があったと思うのです。

 

子供はどんなお母さんでも、そのお母さんが大好きで、そのお母さんが優しい顔で「お願いね。」と言ったら、お母さんの優しさを微塵も疑わずに、その願いを叶えられなかったら自分を責めてしまうー。

明らかな自分勝手な理由とネグレクトだったにもかかわらず、彼は母親を恨んでなんかいなかったですよね。

現実の世界ではDVの夫からようやく逃れ、新たな人と新生活をスタートさせたつもりでも、早産などによって民法の300日ルールに抵触し、子供を無戸籍にしてしまうケースがあるらしいです。

だけどこのドラマの中の母親は、兄弟の後に歳の大きく離れた妹を出産し、同じ立場にして長男に押し付けたのです。

「あんな男の子供にしたくなかった。」は通用しない理屈だと思いました。

そしてただ生きるのに必死で、目の前にある事だけを考えようとしていたのです。

また託された妹を守れなかったと自分を責めていたのです。

「もう良いのではないですか。」という右京の言葉に瞳を濡らす少年。

その時右京の瞳も濡れていました。大人だったら、目の前の哀しい子供に涙する人は多いと思います。

 

映画の「誰も知らない」や、かなり昔に見た大竹しのぶの単発ドラマ「東京ララバイ」を思い出しました。わざわざ、妹の死と言うエピソードを作ったのは、このドラマが意識にあったのではと…ちょっと思っちゃったかなあ^^;

 

メインの話が重く心に残ってしまったので、役者さんたちが一生懸命怖そうに演じたと思うのに、ヤーさんたちの闇金融トラブルのあれやこれやが希薄になってしまいました。クレージーな感じは良かったのですが。

 

それよりも印象的だったのは、弟君の食事の仕方の汚さ。ものすごい勢いで口に押し込んでいったじゃないですか。

吃驚してじっと見入ってしまいました。

あれはずっと食事をしてなかったからなんですよね。

本当に今時って、子役からして演技が上手いですよね。

しみじみ思います。

 

弟君からお母さんはもう死んだことを知って居たと聞き、少年は・・・、創は号泣するのです。

ああ、彼はようやく本当に泣くことが出来たんだなと思いました。

 

視聴率は15.7でした。

次回は最終回で、2時間スペシャルで8時からです。お間違いなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

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蜷川幸雄三回忌追悼公演「ムサシ」

2018-03-08 00:57:48 | 観劇・コンサート日記

3月4日、彩の国さいたま芸術劇場にて「ムサシ」を観てまいりました。

(敬称略で書かせていただきます。)

溝端淳平の小次郎は初めて観ました。

骨太な感じでまたそれも良くて、キャストが違うとまたこんな風に雰囲気が変わるのかと思いました。そして「ムサシ」は更にこなれ進化し続けてきたようにも感じました。

藤原竜也がこのお芝居の中の武蔵と同じ35歳になった時にもう一度やろうと言う、その約束の時が来た時に蜷川さんは居ない。でも虎が皮を残すように、彼は作品をこの世に残し続けて行ったのだとまたしみじみと思いました。

 

今回の公演のチケットは、お友達が取ってくれたのです。さい芸での公演日はとっても短く、そして彼女が行ける日は日曜日だけ。チケットを取るのに大苦戦だったようです。

「取れました~。」とメールが来た時には、私も本当に嬉しかったです。

チケットは当日受け取りました。なんと彼女からのプレゼントだったのです。

席は今までで一番良い席で、私は吃驚してしまいました。

こんな良い席は初めてですと言うと、頑張った甲斐があったと言われました。

「ムサシ」は今までは一番後ろか、二階の脇。今回は一階の真正面で、役者様が舞台の一部として行ったり来たりする通路側だったのです。

 

観た場所によって、また違う風景が見る事が出来たようにも感じました。

だけどそれはどちらが良かったと言うものではなく、あくまでも違う風景と言う事なのです。

 

幽玄な竹林の動きは真正面から見ると、まさに迫って来る迫力がありました。

通路を私の傍らを役者の方々が通るとき、じろじろ見るべきではないなと思いつつ、稀な事なのでじっと見てしまいました。ラストで藤原竜也が私の横を通る事は分かっていたので、心の中ではムフフと思っていました。

だけどその時が来た時、私は凄く不思議なものを見たような気がしたのです。

私の横に来た時には既に通路は暗転し、シーンは舞台に檀家衆が集いあっているシーンに代わる途中です。

徳川の指南役になるチャンスを捨てて、爽やかに風を切って旅立つ武蔵と小次郎。

だけどライトの消えた通路では、私の横を黒い塊が過ぎて行ったのです。そこには武蔵もいなければもちろん藤原竜也もいませんでした。

ふと横を見ると、お友達が「やったね。」と目をくりくりと丸くして合図を送ってきましたので、私も無言で微笑んで頷きました。

だけどいつもなら「ミーハーです。」と言う私ですが、私はまた違った驚きを感じていたのです。

舞台では、観客に見るべきものを見せると言うのは大切な事ですね。そのためには役者は時には黒い塊にもなるのですよ。

ああ、やっぱり私は藤原竜也が好きだなぁ。

 

一緒に行ったお友達は、ものすごく喜んでいました。

確かに「『ムサシ』は本当に良くて、一度は観るべきお芝居だと思いますよ~。」と言って、お勧めしお誘いしたのは私です。

「もう本当にありがとうございます。こんな素敵なお芝居を教えてくださって。」と彼女は言ってくださいました。

チケットをプレゼントしてくださって、更にお礼を言われてるワタクシ・・・・ホホホ (^_^;)

 

だけどアンコールは一回だけ。

ちょっとだけ寂しさを感じました。

 

細かいところでは、ここが凄くなったなとか、ここは前の方が好きだなとか実はちょっと思っていました。だけど「ムサシ」のお話の感想は、ほぼ今まで見た時と一緒です。

それらの感想は→ 「ムサシ」 WOWOWで「ムサシ」 「ムサシーロンドン・NYバージョン」

 

やっぱりこのお芝居は、本当に素敵です。

今日をまた毎日を、しっかりと生きようと思えるお芝居だと思います。

後、ちょっと思ったのは吉田鋼太郎の存在感。

2009年の時には、彼を知らず。そしてその次の時には舞台の人だと思っていた私。

それが今では、あっちにもこっちにも顔を見ない日はないんじゃないの ?

やっぱりそう言うのって、舞台のイメージを身近な感じに変えるような気がしたのは気のせいでしょうか。

 

あっ、そうだ !!

「WOWOW」と言う文字を見たので思い出しましたが、「アテネのタイモン」はWOWOWで4月29日午後1時からやりますね。

 

パンフ。

ファイル。

 

お花。

そして・・・・・

 

 

 

 

 

コメント (4)
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