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現実によく直面する問題、「政教分離原則」をいかに判断していくか。

2012-10-24 23:00:00 | シチズンシップ教育

 以下、今年の司法試験の憲法学の論文問題です。
 二時間で書く問題です。

 政教分離のものすごく悩ましい問題が出されていますが、おそらく行政に携わる方々は、この政教分離でこの司法試験問題に類する課題にに日々直面していることと推察します。

 

過去の政教分離関連の記載

憲法学回答:政教分離 地震被害で倒壊した神社再建のため町による再建資金貸出(審査基準有)は許されるか

政教分離原則「砂川市神社土地利用提供行為違憲訴訟」藤田宙靖裁判官補足意見 最高裁H22.1.20

政教分離原則 憲法20条3項により禁止される国の宗教的活動とは。津地鎮祭事件最高裁判例S52.7.13

 



 


******以下、法務省ホームページより******

論文式試験問題集[公法系科目第1問]


[公法系科目]
〔第1問〕(配点:100)

 A寺は,人口約1000人のB村にある寺である。伝承によると,A寺は,江戸時代に,庄屋を務めていた村一番の長者によって創建された。その後,A寺は,C宗の末寺となった。現在では,A寺はB村にある唯一の寺であり,B村の全世帯約300世帯のうち約200世帯がA寺の檀家である。A寺の檀家でない村民の多くも,初詣,節分会,釈迦の誕生日を祝う灌仏会かんぶつえ(花祭り)等の A寺の行事に参加しており,A寺は村民の交流の場ともなっている。また,A寺は,悩み事など心 理的ストレスを抱えている村民の相談も受け付けており,檀家でない村民も相談に訪れている。

 A寺の本堂は,江戸時代の一般的な寺院の建築様式で建てられており,そこには観音菩薩像が祀 られている。本堂では,礼拝供養といった宗教儀式ばかりでなく,上記のような村民の相談も行わ れている。本堂の裏手には,広い墓地がある。B村には数基のお墓があるだけの小さな墓地を持つ 集落もあるが,大きな墓地はA寺の墓地だけである。

 かつては一般に,寺院が所有する墓地に墓石を建立することができるのは,当該寺院の宗旨・宗 派の信徒のみであった。しかし,最近は,宗旨・宗派を一切問わない寺院墓地もある。A寺も,近 時,墓地のパンフレットに「宗旨・宗派は問わない」と記載していた。村民Dの家は,先祖代々, C宗の信徒ではない。Dは,両親が死亡した際に,A寺のこのパンフレットを見て,両親の遺骨を A寺の墓地に埋蔵し,墓石を建立したいと思い,住職にその旨を申し出た。「宗旨・宗派は問わない」 ということは,住職の説明によれば,C宗の規則で,他の宗旨・宗派の信者からの希望があった場 合,当該希望者がC宗の典礼方式で埋葬又は埋蔵を行うことに同意した場合にこれを認めるという ことであった(墓地等管理者の埋蔵等の応諾義務に関する法規制については,【参考資料】を参照。)。 しかし,Dは,この条件を受け入れることができなかったので,A寺の墓地には墓石を建立しなか った。

 山間にあるB村の主要産業は林業であり,多くの村民が村にある民間企業の製材工場やその関連 会社で働いている。20**年に,A寺に隣接する家屋での失火を原因とする火災(なお,失火者 に故意や重過失はなかった。)が発生したが,その折の強風のために広い範囲にわたって家屋等が延焼した。A寺では,観音菩薩像は持ち出せたものの,この火災により本堂及び住職の住居である庫裏(くり)が全焼した。炎でなめ尽くされたA寺の墓地では,木立,物置小屋,各区画にある水場の手桶やひ しゃく,各墓石に供えられた花,そして卒塔婆等が全て焼失してしまった。A寺の墓地は,消火後 も,荒涼とした光景を呈している。また,B村の村立小学校も,上記製材工場やその関連会社の建 物も全焼した。もっとも,幸いなことに,この火事で亡くなった人は一人もいなかった。

 A寺は,創建以来,自然災害等によって被害を受けることが全くなかったので,火災保険には入 っていなかった。A寺の再建には,土地全体の整地費用も含めて億単位の資金が必要である。通常, 寺院の建物を修理するなどの場合には,檀家に寄付を募る。しかし,檀家の人たちの多くが勤めて いた製材工場やその関連会社の建物も全焼してしまったため,各檀家も生計を立てることが厳しく なっている。それゆえ,檀家からの寄付によるA寺の建物等の再建は,困難であった。

 この年,B村村長は,全焼した村立小学校の再建を主たる目的とした補正予算を議会に提出した。 その予算項目には,A寺への再建助成も挙げられていた。補正予算審議の際に,村長は,「A寺は, 長い歴史を有するばかりでなく,村の唯一のお寺である。A寺は,宗旨・宗派を越えて村民に親し まれ,村民の心のよりどころでもあり,村の交流の場ともなっている。A寺は,村にとっても,村 民にとっても必要不可欠な,言わば公共的な存在である。できる限り速やかに再建できるよう,A 寺には特別に助成を行いたい。その助成には,多くの村民がお墓を建立しているA寺の墓地の整備 も含まれる。墓地は,亡くなった人の遺骨を埋蔵し,故人を弔うためばかりでなく,先祖の供養と いう人倫の大本といえる行為の場である。それゆえ,速やかにA寺の墓地の整備を行う必要がある。」 と説明した。

 A寺への助成の内訳は,墓地の整備を含めた土地全体の整地の助成として2500万円(必要な 費用の2分の1に相当する額),本堂再建の助成として4000万円(必要な費用の4分の1に相当 する額),そして庫裏再建の助成として1000万円(必要な費用の2分の1に相当する額)となっ ている。補正予算は,村議会で議決された。その後,B村村長はA寺への助成の執行を終了した。

〔設問1〕
Dは,今回のB村によるA寺への助成は憲法に違反するのではないかと思い,あなたが在籍す る法律事務所に相談に来た。
あなたがその相談を受けた弁護士である場合,どのような訴訟を提起するか(なお,当該訴訟 を提起するために法律上求められている手続は尽くした上でのこととする。)。そして,その訴訟 において,あなたが訴訟代理人として行う憲法上の主張を述べなさい。

〔設問2〕
設問1における憲法上の主張に関するあなた自身の見解を,被告側の反論を想定しつつ,述べ なさい。

【参考資料】墓地,埋葬等に関する法律(昭和23年5月31日法律第48号)(抄録)
第1条 この法律は,墓地,納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が,国民の宗教的感情に適合し,且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から,支障なく行われることを目的とする。

第13条 墓地,納骨堂又は火葬場の管理者は,埋葬,埋蔵,収蔵又は火葬の求めを受けたときは,正当の理由がなければこれを拒んではならない。

以上

********************


 参考になる考え方として、砂川市「空知太(そらちぶと)神社」無償提供違憲判決における行政学 藤田宙靖裁判官補足意見があります。

********最高裁ホームページより********
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100120164304.pdf



裁判官藤田宙靖の補足意見は,次のとおりである。

 私は,多数意見に賛成するが,本件利用提供行為が政教分離原則に違反すると考えられることにつき,以下若干の補足をしておくこととしたい。

1 国又は公共団体が宗教に関係する何らかの活動(不作為をも含む。)をする 場合に,それが日本国憲法の定める政教分離原則に違反しないかどうかを判断する に際しての審査基準として,過去の当審判例が採用してきたのは,いわゆる目的効 果基準であって,本件においてもこの事実を無視するわけには行かない。ただ,こ の基準の採用の是非及びその適用の仕方については,当審の従来の判例に反対する 見解も学説中にはかなり根強く存在し,また,過去の当審判決においても一度なら ず反対意見が述べられてきたところでもあるから,このことを踏まえた上で,現在 の時点でこの問題をどう考えるかについては,改めて慎重な検討をしておかなけれ ばならない。

 この基準を採用することへの批判としては,周知のように,当審においてこの基 準が最初に採用された「津地鎮祭訴訟判決」(最高裁昭和46年(行ツ)第69号 同52年7月13日大法廷判決・民集31巻4号533頁)における5裁判官の反 対意見と並び,「愛媛玉串料訴訟判決」(最高裁平成4年(行ツ)第156号同9 年4月2日大法廷判決・民集51巻4号1673頁)における高橋,尾崎両裁判官 の意見がある。とりわけ,尾崎意見における指摘,すなわち,日本国憲法の政教分 離規定の趣旨につき津地鎮祭訴訟判決において多数意見が出発点とした「憲法は,信教の自由を無条件に保障し,更にその保障を一層確実なものとするため,政教分 離規定を設けたものであり,これを設けるに当たっては,国家と宗教との完全な分 離を理想とし,国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたものであ る」という考え方を前提とすれば,「国家と宗教との完全分離を原則とし,完全分 離が不可能であり,かつ,分離に固執すると不合理な結果を招く場合に限って,例 外的に国家と宗教とのかかわり合いが憲法上許容されるとすべきもの」と考えられ る,という指摘については,私もまた,これが本来筋の通った理論的帰結であると 考える。これに対して,これまでの当審判例の多数意見が採用してきた上記の目的 効果基準によれば,憲法上の政教分離原則は「国家が宗教とのかかわり合いを持つ ことを全く許さないとするものではなく,宗教とのかかわり合いをもたらす行為の 目的及び効果に鑑み,そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし 相当とされる限度を超える場合に(初めて)これを許さないとするもの」であると いうことになるが(括弧内は藤田による補足),このように,いわば原則と例外を 逆転させたかにも見える結論を導くについて,従来の多数意見は必ずしも充分な説 明をしておらず,そこには論理の飛躍がある,という上記の尾崎意見の指摘には, 首肯できるものがあるように思われる。

 ただ,目的効果基準の採用に対するこのような反対意見にあっても,国家と宗教 の完全な分離に対する例外が許容されること自体が全く否定されるものではないの であり,また,これらの見解において例外が認められる「完全分離が不可能であ り,かつ分離に固執すると不合理な結果を招く場合」に当たるか否かを検討するに 際して,目的・効果についての考慮を全くせずして最終的判断を下せるともいい切 れないように思われるのであって,問題は結局のところ,「そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超える」か否かの判断に 際しての「国家の宗教的中立性」の評価に関する基本的姿勢ないし出発点の如何に 懸ることになるともいうことができよう。このように考えるならば,仮に,理論的 には上記意見に理由があると考えるとしても,本件において,敢えて目的効果基準 の採用それ自体に対しこれを全面的に否定するまでの必要は無いものと考える。但 し,ここにいう目的効果基準の具体的な内容あるいはその適用の在り方について は,慎重な配慮が必要なのであって,当該事案の内容を十分比較検討することな く,過去における当審判例上の文言を金科玉条として引用し,機械的に結論を導く ようなことをしてはならない。こういった見地から,本件において注意しなければ ならないのは,例えば以下のような点である。

2 本件において合憲性が問われているのは,多数意見にも述べられているよう に,取り立てて宗教外の意義を持つものではない純粋の神道施設につき,地方公共 団体が公有地を単純にその敷地として提供しているという事実である。私の見ると ころ,過去の当審判例上,目的効果基準が機能せしめられてきたのは,問題となる 行為等においていわば「宗教性」と「世俗性」とが同居しておりその優劣が微妙で あるときに,そのどちらを重視するかの決定に際してであって(例えば,津地鎮祭 訴訟,箕面忠魂碑訴訟等は,少なくとも多数意見の判断によれば,正にこのような ケースであった。),明確に宗教性のみを持った行為につき,更に,それが如何な る目的をもって行われたかが問われる場面においてではなかったということができ る(例えば,公的な立場で寺社に参拝あるいは寄進をしながら,それは,専ら国家 公安・国民の安全を願う目的によるものであって,当該宗教を特に優遇しようとい う趣旨からではないから,憲法にいう「宗教的活動」ではない,というような弁明を行うことは,上記目的効果基準の下においても到底許されるものとはいえない。 例えば愛媛玉串料訴訟判決は,このことを示すものであるともいえよう。)。

 本件の場合,原審判決及び多数意見が指摘するとおり,本件における神社施設 は,これといった文化財や史跡等としての世俗的意義を有するものではなく,一義 的に宗教施設(神道施設)であって,そこで行われる行事もまた宗教的な行事であ ることは明らかである(五穀豊穣等を祈るというのは,正に神事の目的それ自体で あって,これをもって「世俗的目的」とすることは,すなわち「神道は宗教に非 ず」というに等しい。)。従って,本件利用提供行為が専ら特定の純粋な宗教施設 及び行事(要するに「神社」)を利する結果をもたらしていること自体は,これを 否定することができないのであって,地鎮祭における起工式(津地鎮祭訴訟),忠 魂碑の移設のための代替地貸与並びに慰霊祭への出席行為(箕面忠魂碑訴訟),さ らには地蔵像の移設のための市有地提供行為等(大阪地蔵像訴訟)とは,状況が明 らかに異なるといわなければならない(これらのケースにおいては,少なくとも多 数説は,地鎮祭,忠魂碑,地蔵像等の純粋な宗教性を否定し,何らかの意味での世 俗性を認めることから,それぞれ合憲判断をしたものである。)。その意味におい ては,本件における憲法問題は,本来,目的効果基準の適用の可否が問われる以前 の問題であるというべきである。

3 もっとも,原審認定事実等によれば,本件神社は,それ自体としては明らか に純粋な神道施設であると認められるものの,他方において,その外観,日々の宗 教的活動の態様等からして,さほど宗教施設としての存在感の大きいものであるわ けではなく,それゆえにこそ,市においてもまた,さして憲法上の疑義を抱くこと もなく本件利用提供行為を続けてきたのであるし,また,被上告人らが問題提起をするまでは,他の市民の間において殊更にその違憲性が問題視されることも無かっ た,というのが実態であったようにもうかがわれる。従って,仮にこの点を重視す るならば,少なくとも,本件利用提供行為が,直ちに他の宗教あるいはその信者ら に対する圧迫ないし脅威となるとまではいえず(現に,例えば,本件氏子集団の役 員らはいずれも仏教徒であることが認定されている。),これをもって敢えて憲法 違反を問うまでのことはないのではないかという疑問も抱かれ得るところであろ う。そして,全国において少なからず存在すると考えられる公有地上の神社施設に つき,かなりの数のものは,正にこれと類似した状況にあるのではないか,とも推 測されるのである。このように,本件における固有の問題は,一義的に特定の宗教 のための施設であれば(すなわち問題とすべき「世俗性」が認められない以上)地 域におけるその存在感がさして大きなものではない(あるいはむしろ希薄ですらあ る)ような場合であっても,そのような施設に対して行われる地方公共団体の土地 利用提供行為をもって,当然に憲法89条違反といい得るか,という点にあるとい うべきであろう。

 ところで,上記のような状況は,その教義上排他性の比較的希薄な伝統的神道の 特色及び宗教意識の比較的薄い国民性等によってもたらされている面が強いように 思われるが,いうまでもなく,政教分離の問題は,対象となる宗教の教義の内容如 何とは明確に区別されるべき問題であるし,また,ある宗教を信じあるいは受容し ている国民の数ないし割合が多いか否かが政教分離の問題と結び付けられるべきも のではないことも,明らかであるといわなければならない。憲法89条が,過去の 我が国における国家神道下で他宗教が弾圧された現実の体験に鑑み,個々人の信教 の自由の保障を全うするため政教分離を制度的に(制度として)保障したとされる
 
 趣旨及び経緯を考えるとき,同条の定める政教分離原則に違反するか否かの問題 は,必ずしも,問題とされている行為によって個々人の信教の自由が現実に侵害さ れているか否かの事実によってのみ判断されるべきものではないのであって,多数 意見が本件利用提供行為につき「一般人の目から見て,市が特定の宗教に対して特 別の便益を提供し,これを援助していると評価されてもやむを得ないものである」 と述べるのは,このような意味において正当というべきである。

4 なお,本件において違憲性が問われているのは,直接には,市が公有地上に ある本件神社施設を撤去しないという不作為についてである(当初市が神社施設の 存する本件土地を取得したこと自体が違憲であるというならば,その行為自体が無 効であって,そもそも本件土地は公有地とは認められないということにもなりかね ないが,被上告人(原告)らはこのような主張をするものではない。)。この場 合,その不作為を直ちに解消することが期待し得ないような特別の事情(例えば, 施設の撤去自体が他方で信教の自由に極めて重大な打撃を与える結果となることが 見込まれるとか,敷地の民有化に向け可能な限りの努力をしてきたものの,歴史的 経緯等種々の原因から未だ成功していない等々の事情が考えられようか。)がある 場合に,現に公有地上に神社施設が存在するという事実が残っていること自体をも って直ちに違憲というべきか否かは,なお検討の余地がある問題であるといえなく はなかろう。しかし,本件において,上告人(被告)はこのような特別の事情の存 在については一切主張・立証するところがなく,むしろ,そういった事情の存在の 有無を問うまでもなく本件利用提供行為は合憲であるとの前提に立っていることは 明らかであるから,この点については,原審の釈明義務違反を問うまでもなく,多 数意見のように,本件利用提供行為が憲法89条に違反すると判断されるのもやむを得ないところといわなければならない。

以上

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