京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「瑞華院」

2014年04月14日 | 日々の暮らしの中で

先日、96歳で亡くなった義母は私の父の幼馴染でした。父が故郷を思って昔話をするときによく登場したのが「じゅうちゃん」「きさくさん」「しんちゃん」の3人と、ただ一人の女性が義母の「ふくちゃん」でした。顔も知らないで記憶の始まりはここです。
祖母の納骨のために訪れたとき寺で一泊させてもらって、その別れ際に「keiさんだけここに残らはったら」と言われたのです。その7年後に嫁ぐことになるとは、縁があったとしか言いようがありませんでした。

「お客さん大好き!」と言い、もう群を抜くおしゃべり好きで賑やかな人でした。お経で鍛えられたよく通る大きな声で、通りをはさんでのおしゃべりにも花が咲く。ですから、どこにいるかがすぐにわかるのです。このおしゃべりが来客をくつろがせるのです。その一方では、オーバーなと思える表情で相手の話にうなづき、相手を乗せる。気持ちよくさせていたのでしょう。
しゃべりすぎるほどの善意のおしゃべりは、結果、お互いの心を近づけるエネルギーを発していたのかもしれません。明らかにしゃべる時間が人より多いのに、うとまれることなく気持ちよく会話の成立をみているのですから、やはり不思議な力だと思います。まあ、本音の本音を言うなら、やっぱりちょっとしゃべりすぎでしょ!思っていました。

「瑞華院」という院号をいただいております。
一人娘として寺に生まれ寺で育ち、働きに出たこともなければ小旅行で家をあけることもめったとない。娘の家に泊まりがけで出かけても、1泊で切り上げ早々に戻ってくる(きてしまう?)。「じぶんねー(自分の家)がきらくやわ」。一代、寺を守り通した人生でした。

口癖は「仏さんが見てはる」。生きてきたすべての日々に仏縁は結ばれているのです…。   合掌
コメント (2)
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