京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

気持ちを整え

2016年07月19日 | 日々の暮らしの中で
   「谺(こだま)」       西條八十

     心が寂しくなったとき、
     心が小さくなったとき、
     僕は山へ登るんだ。

     長い草を踏みしだき、
     暗い並木を駆けぬけて、
     僕は山へ登るんだ。

     ……

梅雨が明けた。朝から強い日差しがそそぐが、からっとしていて蒸し暑さがない。そこいらじゅうに干し物を広げた。
生活のリズムが変わり、孫が近くにいる楽しさを味わってはいるものの、何か常に気持ちの中に抱えるものを持った気分だ。孫娘を昨日は大阪まで送り届けた。
少し疲れを感じているだろうか。休まないようにね、と娘から念を押されもしていたが、昼から光田和伸先生による「芭蕉と旅する『おくの細道』ー旅の真実に迫るー」を受講し、終了後、京都御苑ではなくて下鴨神社糺の森を抜けて歩いてみることにした。

          左手のこんもりした森を目指して…。

        京都家庭裁判所に近いこのあたりの狩野宅で、漱石は「社頭に鶴ヲ夢ミ」たのかも…。

 漱石は夜7時に七條駅に到着。車で狩野宅へ直行し、すぐにお風呂に入って就寝。就寝直前に「春寒く社頭に鶴ヲ夢ミケリ」と詠んだ。「糺の森のなかに寝る人は夢迄寒く候」。『京に着ける夕』は「車に寒く、湯に寒く、果ては布団にまで寒かった」とあって、何度読み返してもおかしみを感じる。


下鴨神社は出雲系の神を祀る。付近には「出雲橋」がかかり「出雲通り」の地名もあって、出雲の出の人たちが多く住まっていたと講義で触れられ、帰りには歩いてみようかと、実は講義中から思いついていたのだった。好きな場所。「僕は大きく、怒鳴る」けど、歩くことで気持ちを整えることもできるんだ。
8月11日からはここで下鴨納涼古本まつりが開催される。

今こんなことを思えている気持ちの余裕…。まあ、こんなものだろう。いろいろ工夫しながら日は繰り返される。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする