京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

過不足

2023年10月15日 | 日々の暮らしの中で
昨日は月に一度の寺子屋エッセイサロンの日だった。扇風機もうちわも不要になった。
作品の合評で出される意見に耳を傾けながら、わが身を振り返る。

…書き過ぎている。語り過ぎ。詰め込み過ぎだ。
これもあれも伝えたいという思いが冗漫な文章にしてしまう。隠れた想いを探りながらいろいろな感情を味あわせてもらう余地がなくなれば、読後に余韻は生まれない。
「言葉の過剰が芸を滅ぼす」と山田稔氏が書かれていたことが思い当たった。


もっとも自分には逆に、グタグタ書かなくても「わかるでしょ」とばかりに言葉を節約気味だった昔があったのだ。自分のことを忘れちゃいけない。

若い参加者の文章には、この子にしか書けない言葉、一文はどれだろうといった思いもひそませて拝読する。孫のような年齢だが、そこを生きている人間のユニークな形容、比喩、言葉に触れたとき、感心させられたり発見もあるし、味わい深さだって生れる。

老若男女年代に関わらず寺の本堂に寄り合って坐し、ときにはやさしいことを小難しくして意見を交わす。楽しからずや。楽しくないわけがない。


花茎が伸びてきた。葉の陰にはまだ控えが時を待っている。

    つわぶきはだんまりのはな嫌ひな花   三橋鷹女

初冬の空気の中で、花茎の先端を飾る黄色い花は孤高のともしび。
手引きとしたい、鷹女のきっぱりとした精神。花も彼女も、どちらも好きよ。

コメント (2)
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