京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

どこだって、どこもかも

2023年10月30日 | 日々の暮らしの中で
(10月も終わるからね)
行動に移すために、つぶやくともなく言葉にする。
11月にはいれば報恩講に向けて、仏具の磨きものに当番組の女性たちの手をお借りすることになる。

だから掃除をしておこうではないが、「気まぐれ」だろうと言われて、「そうじゃないわ」と答えられるかどうか。気分も天気も良く、やっぱり、今日という日に〈気が向いた〉ということになるかもしれない。
堂内と脇の玄関、奥座敷、そして縁。まさに「一事に専念」。「腰が痛い、背中が痛い」とは口にしないが、「疲れた!」ともれた。


道元禅師が著された『典座教訓』の中から「典座は絆(ばん)を以て道心と為す」という言葉を引いて、青山俊菫尼僧が「我が人生をどう料理するか」という視点で説いておられる(『道元禅師に学ぶ人生 典座教訓を読む』)。
(『典座』というのは、禅門でお台所を勤めるお方、料理を作る配役をいただいたお方をお呼びする)

絆(ばん)というのはタスキのことです。お百姓さんは鍬をもって道心となし、掃除当番だったら箒や雑巾をもって道心となすと言ってもよいのではないでしょうか。

お百姓さんがお百姓さんとしての仕事を十分になし終えた、お母さんがお母さんとしての務めを真剣にはたし得たとき、そこに塔を建てたといえる。政治家が私利私欲に惑わず、大所高所に立って本当の政治をとり得たとき、議事堂内に塔を建てることができたといえる。

「是(こ)の処は即ち是れ道場なり」。
林の中であろうと野原であろうと、山の中であろうと、寺であろうと、在家の家であろうと、どこでもいいわけです。授かったそこで、そこを道場としてつとめ上げてゆけというのです。(『法華経』)
このような姿勢で一つ一つに立ち向かう。

・・・そういうところに『典座は絆(ばん)を以て道心と為す』という言葉があることを今日一つ学んだのでした。

 
掃除当番、専心に勤めました。
何も特別なことだけが修行、仏法ではなく、どれもこれも一つ一つがかけがえのない大切な場となるということ、ね。

コメント (2)
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