京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

近江千年の秘仏

2023年10月09日 | 展覧会
小雨降るなか滋賀県立美術館へ向かった(昨日)。
「千年の秘仏と近江の情景」展が始まって、日曜日は無料になるからという滋賀県大津市在住の友の誘いに応じた。
「みちのく いとしい仏たち」展が1600円だったことを思えば、“千年の秘仏”を拝観するのに平日でも540円という拝観料を無料でとは申し訳ない気分にもなる。

 

33年ぶりに公開される正福寺の本尊大日如来座像は「厳重な秘仏」で、寺外では初公開だそうだ。この座像と兄弟の近さで、ほぼ同時代(11C)に同工房で作られたと考えられる善水寺の不動明王座像が出展されていた。正福寺の十一面観音立像3体も並ぶ。
腕を飾る文様、左腿の衣紋の流れなどの類似点が紹介され、拝観の助けともなった。

奈良時代聖武天皇の勅願によりに良弁が開山したと伝えられる正福寺。800年以上もの間、諸堂僧坊を持つ大寺として隆盛を極めたが、信長の兵火によってことごとく消失してしまった。火難を逃れた、出展仏4体を含む7体が現存しているのだという。



思い出して『御開帳綺譚』(玄侑宗久)を再読し始めた。
21年ぶりに「お薬師さま」をご開帳する準備に追われる無状和尚のもとに、突然二人の男がやって来て、この薬師如来が本物ではないと言いだした。
両脇の阿弥陀如来像と十一面観音像も同時に公開するのだが、〈指がなかった〉〈光背はなかった〉〈もっと小さかった〉などと指摘する。

目の前で聞く話、これまで耳にしていた話。それぞれが「記憶」する話がある。
記憶力の問題なのか。記憶の変質ではないのか。人間の記憶というのはいつしか創作され改竄もされる。あるいは、この男の話こそが真実なのか。

記憶の問題ではなく、御開帳の持つ大事な意味に触れていたはずだけれど、すっからかん。細かな展開は記憶にもない…。





コメント (4)
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