白川通りで信号待ちしたとき、左手はスーパーだった。
たぶん、一輪。
細く白い紙に巻かれたものを手にして自転車を出そうとしている若い外国人男性が目に入った。道路に出るやそれを口にくわえ、去っていく。その後姿を見ていた。
偶然見かけただけなのに、なんだか見る者の気持ちをあたたかく、軽やかにもしてくれた。
一人で暮らす部屋に飾られるのだろうか。
誰か待っている人がいるのだろうか。
楽しく暮らしていると思うけど、悲しいことがあって花を買ったんじゃなければいいのにな。
彼の部屋の、花のある暮らしにちょっとばかり想像を積み重ねた。
暮らし上手。そんなことにまで思いをはせる。
花はほほえむことだろう…。
一季奉公人として、一年限りの武家屋敷勤めをしていた“俺”。
ずっと定まらず、江戸に染まらなかった人間が、40も過ぎて人を好きになり、人の死を悲しみ、「家族」を感じるまでになる。
“俺”の生きる意味も変化する。
江戸末期の社会不安のなかで自分が望んでいる暮らしを問い、きっとこれまで以上の知恵を働かせて生きていくだろう。よいラストだった。
辛抱が心棒を作った。
“俺”は、最初思った以上に人の心をよく察するし、何より自分自身を見つめる人間だった。
楽しく読んだ。
いつの世も、ちょっとした暮らし上手の心づかいが豊かさをもたらしてくれそうだ。
ホセに投げるシーンだけが今も印象に残っています。
その若い外国人男性の持つバラが気になりますね。
恋人に捧げる一輪と思いましょう。
よいラストだった。とお書きなっていますが
私も後味の良い作品が好きです。
大きな花束もいいのでしょうが、たとえ一輪でも花の持つ力は大きそうです。
息子にもこんなゆとりがあるだろうかと実は思ったのです(笑)
江戸時代、下級武士には「渡り者」が常態だったようですが、
こちらは一季奉公人を主人公にしての作品、先が読めないまま読み進め、面白かったです。
人と人が関わり合うことで変化が生まれ、面白く読みました。