京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

おどろくような話じゃあ、ないんだよ

2024年12月19日 | 日々の暮らしの中で
  僧とケーキ (12月23日)   
あれは、何年前のことか。正確な年代は、もう覚えていない。だが、日付けは脳裏に刻まれている。12月24日。クリスマスイブの午後であった。ケーキ屋の前に、クリスマスケーキを買う行列が、できている。その中に、私は見たのである。袈裟姿の僧侶が、並んでいる光景を。日本人はキリスト教をうけいれなかった。これが、宗教学の常識である。しかし、その風俗は受容した。私がその点で、確信をいただけた一瞬である。

  本堂にイブ (12月24日)    
クリスマスケーキを僧侶が買っていた。私はその光景に、軽いショックをうけている。多くの人に、そのことをふいちょうした。浄土真宗で得度をした宗教学者にも、つげている。やや、うろたえ気味の私を、くだんの学者は、こうさとしてくれた。うちの家は、西本願寺系の寺でね。毎年、クリスマスイブには、本堂でいわっていた。そりゃあ、そんなものなんだ。おどろくような話じゃあ、ないんだよ、と。

  4月8日も降誕祭 (12月25日)  
クリスマスイブは、デートのクライマックスをむかえる日にほかならない。あなたこそ、自分にとっての本命である。そのことをたしかめあう日に、今の日本ではなっている。若い僧侶にとっても、その点はかわらない。キリストの生誕前夜際に、お坊さんたちも、いちばんたいせつな異性をえらんでいる。たとえ、祇園祭の日には、ほかの人とデートしていても。もちろん、シャカの降誕日など、4月8日らしいが、誰も気にしていない。


地元紙の朝刊コラムで一年間(’17.4.1~'18.3.30)、井上章一氏が「現代洛中洛外もよう」と題して書かれたことがあった。
専用のノートにスクラップする年もあるが、なぜかこの年は気ままに残し、今手元にあるのはクリスマスに関連した話題など年末の6日分しか残っていない。
クリスマスをどう過ごしているのか、よその寺に聞いたことがなかったので、これを読んで(へえ、本堂で!?)と驚いたり、(そうなんだ)と言う思いで気づかされた感じだった。我が家でも子供たちにプレゼントを用意もしたしケーキもいただいた。別にこっそり楽しむなんてことではなかった。

  親心からのミッション (12月28日)
私は二十世紀末に、神戸女学院大学で教鞭をとった。プロテスタント系のミッション校である。いつも授業を受けに来たのは、30人ぐらい。なかに、お寺のお嬢さんがいて、おどろいた。この学校へかようことに、ご両親は反対しなかったの。そんな私の質問に、彼女はこたえてくれた。親はいい学校に入れたと、よろこんでいる。ここを自分にすすめたのは、両親だ、と。お寺さんは、しばしば子供をミッション校にいれたがるらしい。


そうなの? もっとも、甥っ子は実力以上の公立高校を目指して失敗し、ミッション系の高校に進学した。寺の跡継ぎだった。相当にへこんで暴れていたらしいが、今では立派に跡を継いでいる。

夏のクリスマスを迎える娘家族にカードを贈ろうと思ったものの時機を逸したような…。しかたがない。ごめんしてもらおう。
言っていたケアンズからのAustralian Mango が届いた。

 
コメント (1)
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