白川通りで信号待ちしたとき、左手はスーパーだった。
たぶん、一輪。
細く白い紙に巻かれたものを手にして自転車を出そうとしている若い外国人男性が目に入った。道路に出るやそれを口にくわえ、去っていく。その後姿を見ていた。
偶然見かけただけなのに、なんだか見る者の気持ちをあたたかく、軽やかにもしてくれた。
一人で暮らす部屋に飾られるのだろうか。
誰か待っている人がいるのだろうか。
楽しく暮らしていると思うけど、悲しいことがあって花を買ったんじゃなければいいのにな。
彼の部屋の、花のある暮らしにちょっとばかり想像を積み重ねた。
暮らし上手。そんなことにまで思いをはせる。
花はほほえむことだろう…。
一季奉公人として、一年限りの武家屋敷勤めをしていた“俺”。
ずっと定まらず、江戸に染まらなかった人間が、40も過ぎて人を好きになり、人の死を悲しみ、「家族」を感じるまでになる。
“俺”の生きる意味も変化する。
江戸末期の社会不安のなかで自分が望んでいる暮らしを問い、きっとこれまで以上の知恵を働かせて生きていくだろう。よいラストだった。
辛抱が心棒を作った。
“俺”は、最初思った以上に人の心をよく察するし、何より自分自身を見つめる人間だった。
楽しく読んだ。
いつの世も、ちょっとした暮らし上手の心づかいが豊かさをもたらしてくれそうだ。