
寺の西側の道路脇にお地蔵さんを祀る祠があります。町内輪番で朝にお仏飯を供え夕べに下ろし、きれいにしたお仏飯器を専用の箱に収めて隣家に回します。地域で世代を超えて、ずっと守り継いでいるのです。
祠のお地蔵さんを取り出し、町内の子供たちでお地蔵さんを洗い清める、「洗いもん」の日です。
私が嫁いだ頃は町内の会所がなく、寄り合い事も地蔵盆も寺の本堂で行ってきました。
お地蔵さんをきれいにした翌日には、大人の協力もあり祭壇を設け安置します。
二日間、子供たちは遊んでいるのです。お昼もみんなでお地蔵さんの前でいただきます。
幼児から上は中学生までごちゃんぜ、年齢を超えて過ごす二日間。
各戸からお地蔵さんに菓子や飲み物のお供え物が山とありますから、年長の子が分け役となって、おさがりをいただきます。「じぞ(地蔵)さんに賽銭あげとくれ~」と鉦をたたきながら各戸を回る声も聞こえてきます。
この2日間は子供たちを充分に楽しませようと町内挙げての協力です。
そして最後の晩には大きな数珠の周りに大人も子供も座って、「ナムアミダ ナムアミダ・・」とお念仏を唱えながら数珠を繰り、右隣に送る「百万遍」で終わります…。
子供たちも少なくなり、世代は私の孫世代です。まあ馴染みが薄くなったとはいえ子は宝、地域の宝でもあるわけです。
数珠回しの様子を撮った写真があったのですが、探し出せません。京都・滋賀ばかりではなく、各地にこうした行事はあるのでしょうね。
(小林良正さんのほほ笑み地蔵)
必然的に生まれてくる行事だったかもしれませんね。と、、ふと思いました。
絆、つながり、とか言いますが何かを一緒にすることで生まれるものでしょうか。
そうした寄り合い事が減っていく一方なのはさびしいことですよね。
地域のつながりは自然と薄くなりそうです。
放課後や休み中の子供同士のつながりが薄い地域もあるのでしょうね。
テレビゲームはほどほどで、遊び友達を求めて孫は外へ飛び出していきます。
子どもの頃は、迷信にも似たいろんな約束ごとみたいな行事があって、物珍しくみんな集まったものでした。
和尚さんや周りの大人からいろんな話を聞き、いろんなことを習い、受け継いできたように思います。
そんな風習は、一つ減り二つ減りして、町内会や地域のきずなが少しずつ失われていくのは淋しいですね。
今一度、そういった昔ながらの風習を取り戻したい気持ちはあるのですが、テレビゲームに押されてしまいます。
フライパンで炒られているようとも形容する京の夏です。
今日はようやく30度を下回りエアコン要らず、扇風機の出番もありませんでした。
水で綺麗に子供たちが洗います。汚れています。
こうした行事は地域のつながりも生んできました。
夏休みをお過ごしなのだなと思ってりました。
お変わりありませんでしたか。
京都は暑い!という固定観念がありますが、この夏は如何でしたか?
お地蔵さんを洗い清める・・・何か、とても清々しい情景が目に浮かび、涼しさを届けて貰いました。
お地蔵さんに守られておおかた子供たちは遊んでいます。
大切にしたい地域の行事と思いますが、子供数が減り、
町内付き合いに参加しないというケースも増えていますね。
京都は町内、各所にお地蔵さんが祀られ、総数も多いようです。
市が無形文化財に選定した地蔵盆です。
路上にテントを張ったりして、あちこちで光景が見られます。
2日間、子どもたちはお地蔵さまのお世話
をして過ごすのですね〜
こうやって、昔はいろんなことを学んで
行ったのですね。
今もその風習は残ってるの
でしょうか。年齢の違う子どもたちが
集まり受け継がれるこんな風習は
ずっと継がれていけば良い〜と思います。