「46.8.10」のスタンプが岩手県平泉毛越寺の拝観券に押してある。学生券で80円であった。
戦時中に東京から宮城県の仙台に疎開していた母方だったが、叔父二人は以後東北で暮らし続けた。母は東京へ戻っていた。父との出会いがあって私がいることになる。母と一緒に2度、1度は祖父の容態がおもわしくないという時期に訪れていた。この時は早く家に帰りたくてたまらなかった思いをよく記憶している。今に思えば、寝たきりの祖父がいて、おそらく普通ではない空気が幼な心にも息苦しかったのだろう。
学生時代に一人で叔父を訪ねたのが昭和46年8月だった。その頃は古川に住んでいたが、出迎えてくれた叔父との松島観光で遊覧船に酔い、散々な思いで家に着くなり挨拶もそこそこに倒れこんでしまった。よく陽に焼けた小学生だった従姉妹とトンボを追いかけまわして遊んでいた。
仙台の七夕で商店街を歩いた。青葉山から望んだ明るい市街地、これは今でも一つの風景として眼前に広がってくる。平泉中尊寺や毛越寺、そして山形県立石寺まで一人足を伸ばして、めいっぱい楽しんだ夏休みであった。
一竿に5種類の吹き流しが並ぶのが基本だと言う仙台流の七夕飾り。商売繁盛や無病息災など、東日本大震災からの復興を願う様々な思いを込めた七夕飾り。叔父を訪ねてみたいと思いながら、今年もかなわないでいる。
年月日入りのスタンプは京都奈良の寺社には無い。この頃から何度となく訪れていたが、今とほとんど変わらぬ半券が多数手元に残っているだけだ。40年余も前のことなのに、拝観券のスタンプに懐かしい思い出が次から次と蘇ってくる。
青春真っただ中の1ページを蘇らせる貴重なスタンプや拝観券。
よくぞ手許に・・・。何かを語りかけてくるような思いでしょうか。
暑い暑いと言いながらも8月夏休み、色んな思い出が詰まっている気がします。
またいつか、当時を思い出しながら、かの地をゆっくりと踏みしめてみられるのも楽しみな一つになりそうですね。
一人旅をされたみちのく、青春時代の宝物ですね。
それにしても80円の拝観券、よく取っておられましたね。
他人にはただの紙切れでも、ご本人にはたちまち時間も空間も飛び越えられる「魔法のお札」ですよ。
いま物置のガラクタを片付けながらそんなことを思っています。
寺社の朱印を集めていましたし、拝観券も合わせて残してありました。
行ったことがあったのかと、すっかり忘れていることもありますが、
こうした何かが残っていると歩いた跡が懐かしくたどれるようです。
仙台の七夕お機にふっと母の事や叔父たちを思い出しておりました。
家の手伝いなどちっともしないで休みのたびに出歩いていました。
山寺へはお盆に入った頃で人気もなく
「静けさや…」そのものの世界だった印象で残っています。
日本海側へ出て奥の細道のルートをなぞってみたかったのが中断されたまま、40年余です。
片付けものは、始めてからでも何度となく手を止めてしまわれるでしょう。
物を見て思い出すって本当です。これらも、何度か処分の対象を逃れて生き残った品々です。
貴船へと抜ける木の根道の様な、いっぱいに木の根が広がった様を始めて目にしたところでした。
中尊寺へは行かれましたか?学生券で150円でした。
このあと、8月30日には信濃の諏訪大社を訪れているのでした。宝物殿拝観、一般で50円とあります。
随分物持ちが良いですよね(笑)
そのおかげでこうしてひと夏が懐かしく蘇るのですから有り難い性格です。
昭和49年、東京から京都へは乗車券特急券込みで4050円でしたから、1万円で往復できました。
この乗車券が残っているのです。欲しいからと言って貰っていました。
46年8月の下旬は、学生時代の合宿で飯山に行きました。
解散後別れて3人で塩尻駅前?の「あさひ館」で1泊しました。これまた箸袋が残っているのです。
もうあきれられそうですね(笑)
木曽路も歩きました。台風の中、墨絵のような景色を楽しんで名古屋へ出、東京へ戻りました。
懐かしいです。もう一度ゆっくり歩いてみたいと思っていますが…。