ゆうに20年は前になるかな。大原の里を会の仲間と歩いていたとき、隣り合わせた友人が路傍に咲く彼岸花を見て〈曼殊沙華抱くほどとれど母恋し〉と、中村汀女の句を口にした。
虚弱だった幼い頃の話を、それからは何度か聞く機会もあって今に至り、曼殊沙華と母の面影はセットで彼女の胸に蘇生するのだろうと思っている。
誰にでも何かそうした句なり歌なりが一つくらいはあるかもしれない。
〈譲ることのみ多き日々奢莪の花〉。義母との日々を想い起こしてはこの句を読むが、いったいどちらが「譲ることのみ多き日々」だったのか。
弱いつもりで強いのが「我」。とすれば、曲げない強情さにたじたじだったのは義母の方かもしれない。けれど今となっては譲り譲られで帳尻はあったのだ、ということにしておこう。
苅り田の畔などに真っ赤な彼岸花。いい光景だ。
なんともエキゾチックなつくりの花が、好きになれずにいたが、なんやその作りにこそ魅かれるようになった。
曼殊沙華という呼び方を好ましく思う私は、赤い花が好きだ。
生方たつゑさんが「地霊が炎える」という表現をしているが、この感覚、特に墓地などで出会うと、まさに!とうなづける。
天上の花の一つとされる曼殊沙華。妖しげで、背筋を伸ばした先端の意志的な華の形が、今やとても好ましい。
秋には曼殊沙華が欠かせない。
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