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クチナシの花が咲きました。まだ木は小さく、たった一輪。鼻を近づけると甘い?濃い香りがします。雨が降ったりやんだりのような天気の日にはいっそう匂うのかもしれない。
最近、奈良時代の僧行基に関心が行くことがあって、井上満郎氏が地元紙で毎日連載されたコラム「渡りくるひとびと」(2021.4~2022.3)のスクラップを取り出してみた。
行基は和泉(大阪府南部)に居住した古志氏という渡来人の出身であること。
仏教の救済から取り残されていた民衆の救済にほとんど一生をささげ、架橋や救済施設の建設などに取り組んだ。行基のこうした事業の背景には、渡来人に特徴的な技術伝統があったのかもしれない ―ことを記している。
飛鳥寺の学僧だった行基は寺を飛び出し、数々の社会事業を始めた。
澤田瞳子さんの『与楽の飯』では、大仏造立にあたる庶民とともに汗する行基が描かれ、彼の蒔く仏法の種が一役を担って人物に影を落としている。81歳になった行基の呆けた姿も描写される。これはあくまでも物語。
では西山厚さんは何か書いてなかっただろうかと『語りだす奈良』のページを繰っていたら、東大寺の大仏さまの写真が現れた。
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東大寺にはさまざまな障害を持つ子供たちのための施設・整肢園がある。彼らのために話をしてほしいと頼まれた西山さん。
両足をあげた状態で車椅子に固定された男の子が、大仏さまの右手の形の意味をたずねた。
右手の形は施無畏印(せむいいん)といい、畏れを取り除くポーズである。
「あれはね、だいじょうぶ、心配しなくていい、だいじょうぶ、っていっているんだよ」
西山さんはそう語りかけながら形を真似た右手を男の子の胸にそっと当ててみた。
彼はとても嬉しそうにしていたという。
何度か読み返している本なのに、どうしてこの言葉が心にとどまらなかったのだろう。
西山さんの優しさとともに、あらためて今、とてもしみじみと良い話だと心に留めおく。忘れないように、なくさないように。
行基のことは後回しになったけれど。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、心配いらないよ だいじょうぶ」
手当ですね、まさに。
何か不安に駆られる人がいたら、そっと胸に手を当てて、こうささやいてあげたいね…。
(大仏さまの写真は2019年、娘家族と奈良を訪れたときのもの)
やさしく・聞いてやる・行う・あらゆることに、森羅万象から授かれる気づきなのだと思えます。
清らかなる肉体に宿る想いとも。
素敵な言葉だと思います♪
小説は史実でばかりではないですが、心に残る小説であり、後者はエッセーですよね~
私もお医者さんと、仏教関係の方とに安心を頂いて、今生きております。
心でいつも手を合わせております。
お二方だけではありませんが、まずはそのお方たちに。
行基、高校の時日本史で習った人
今再度勉強しました。
こんなkeiさまの書かれるような教材が合ったら、私も日本史もっと好きになったかと(^^♪
掌のぬくもり、病んでる時や悲しみの時、背中に置かれるだけで心が柔らかくなります。
そのことをしっかり自覚したいです。
今回自らの身体に大きな変化をもたらし、まだ日は浅いですが少しばかり内省する時間もありました。
そんな折琴線に触れたのでしょうか…。
私自身が賜った座で、迷いつつも分を尽くさせてもらって、
いろいろな方と通い合いたいものです。
車椅子の男の子がどうしてそのような状況になったのかは書かれていません。
苦しみもあるでしょうね…。
西山さんの手は、男の子の苦しみの向こう側に祈りをささげるような思いでの手当だったのでは…
と想像していました。
「与楽の飯」読まれましたか。「語りだす奈良」は読まれてますよね。
史実と言っても行基の史料は少ないでしょうから作者の大胆な想像力は大いに加味されているでしょうね。
先日ゆりさんに「だいじょうぶ」という言葉をかけていただきました。
すっと心に落ちました。心強い安心感を得ました。
「安心を頂いて、今生きて」らっしゃるゆりさん。
苦しみを縁にして咲く真実の華があると…。
日本史で習った人、出てきた絵。私もそうした出会いは山のようにあります(笑)
何かをきっかけに興味を持ったところから、広がれば儲けものですね。
「病んでる時や悲しみの時、背中に置かれるだけで心が柔らかくなります」
そうなのですよね。まさにそう。掌の温もりは魔術ですね。
車椅子の男の子に当てた西山さんの手には、祈りの心も温かく込められていたと思うのです。
『語りだす奈良』は2巻に分冊ですが、こうしたあたたかな交流もたくさん紹介され、こんな人だったのかと
歴史上で知る僧侶を知ってみたり、様々な角度から仏教に触れつつ、親しみやすい作品です。
こんにちは。
車椅子の男の子が仏様の手の形に引き寄せられたこと。こちらに向けた大きくて厚い手のひらに感じるものがあったのでしょうか…。
仏様の”手当て”、とても温かいでしょうね。
素敵なお話をありがとうございます。
葉月
このときは奈良国立博物館で東大寺展を見たようです。
写真とともに実物大の手のレプリカも見たのかはわかりませんが、
車椅子に横たわる小さな体の子供さんには、のしかかられるほどの圧倒的な大きさだったでしょうね。
自ら問いかけ、一つ学んだことで心の内はきっと何かが変わる…。
胸にそっと押し当てられた“仏さまの手”をずっと感じ続けたかもしれませんよね。
そう言えば、「おいでおいで」するときも手のひらを子供のほうに向けますね。