京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

よく見て聞いて、確かめて

2022年11月30日 | こんなところ訪ねて
滋賀県の湖西、坂本にある日吉大社の「もみじまつり」に案内してあげようと誘われたのを、少し待ってもらっていたところ、昨日は生憎雨が降り続き、明けて雨は上がったが、空模様はいまひとつ。まだ訪れたことがない日吉大社だったが、薄暗い神社はちょっとユーウツと予定を変更した。

白洲正子の『十一面観音巡礼』に登場する、十一面四臂(しび)という珍しい形式をもつ、盛安寺の十一面観音立像にお目にかかりたいと、初めて穴太(あのう)駅に降り立った。
盛安寺は、びわ湖百八霊場湖西第七番。坂本城主・明智光秀とゆかりが深く、「明智寺」とも呼ばれたという。


そして、「穴太」といえば…。


美しい石垣。戦国時代の築城で活躍した石積みの職人集団「穴太衆」によるみごとな石積み。

 

石を加工せず自然のままに積み重ねる「穴太衆積み」と言われ、比叡山延暦寺や日吉大社の門前町で発展した。石工職人の間では「石の声を聴き、石の行きたいところへ持っていけ」という言葉があるという。
かつては300人を超えた職人さんが、今はたったの4人になったなど、しばらく前の新聞紙上で、15代目の「穴太衆頭」粟田純徳さんの記事を読む機会があった。

残念なことに、ご住職は「寺用で出かけます」中だった。本堂にも客殿にも上がれない。
おまけに十一面観音の公開日は決まっているとわかった。


「ほとんど秘仏のようになっている」と白洲さんの文中にあったのを、良く確かめもしないで…。
天智天皇が近江に都を作ったときの鎮護の寺・崇福寺伝来の仏像。「どこをどういうふうにして穴太まで辿りついたのか、おそらく名もない村人によって、火災の中から救い出され、現在に至るまで守られてきたに違いない」と白洲さん。


本堂の階段の脇に腰を下ろし、昼まで待ってみる? 坂本へ行く? 帰る? と三択で思案。浜大津まで戻って琵琶湖を見ながら食事におしゃべりと決まった。
雨は上がったのに、大きくフラレタ11月末日。

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