京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

錦繍の日々

2024年09月12日 | 日々の暮らしの中で
♬ 猛暑は続く~よ
    あしたもあさっても~

孫娘に誕生日のメッセージカードを送ろうと郵便局まで歩いた。空は黒い雲が広がりつつあって、日傘をさして雨傘をバックにいれて。
こういうとき大抵は無駄になるのだけれど、帰宅後しばらくして短い夕立のような雨が降った。


手紙のやりとりの中で互いの過去を見つめ、過去を生き直し、現在の生活を確かめ直すことからそれぞれの未来へと歩み出す、そんな姿がうかがえるドラマだった。
じわじわと感動が生まれつつある。
『錦繍』(きんしゅう)を読み終え、6月に新刊書店で買っておいたエッセイ集『命の器』を取り出した。


梅田の繁華街で道端に茣蓙を敷いて古本を売っていた男から10冊の文庫本を選んで買ったという話があって(「十冊の文庫本」1983)、そのうちの一冊、ドストエフスキーの〈「貧しき人々」はそれから20年後、私に「錦繍」を書かせた〉と書かれていた。

「十冊の文庫本に登場する人々から、何百、いや何千もの人間の苦しみや喜びを知った。何百、何千もの風景から、世界というものを知った。何百、何千ものちょっとした会話から、心の動き方を教わった。たった十冊の文庫本からである」

右鎖骨下に病巣を抱え、上野駅で血を吐きながら友人には内緒にして、一緒に蔵王温泉に行った時のことも「錦繍の日々」(1983)にある。療養生活を経て健康を恢復して、『錦繍』が書かれた。

やがて錦織りなす紅葉の季節を迎えるが、紅葉は「自分の命が、絶えまなく刻々と色変わりしながら噴き上げている錦の炎である」。
生命そのもの。清濁、虚実、憎悪、善悪、[そして限りなく清純なものも隠し持つ、混沌とした私たちの生命」であり、時、場所、境遇も問わず、「人はみな錦繍の日々を生きている」のだと言われている。

宮本輝氏を敬愛する知人がいるのだが、小説ばかりで初めて氏のエッセイを読みつつ、(うんうん、なんかわかるかな)と独り言つ。そんな浅いもんじゃない!とお叱りを受けそうだ。
「流転の海」、シリーズ初発で挫折したが再びのチャンスありやなしや。

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