京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

ゆっくり歩いて、書いて、生きて、とあらためて

2024年09月15日 | 日々の暮らしの中で
文章仲間との集いがあった土曜日は、散会後、夕刻から馴染みのある料理屋さんでくつろいだ。夫の縁で足を向けるようになって、少し間があいたがご主人との談笑も楽しく、ゆったりとした時間を過ごした。
幸い同じ趣味を持っている。老・老の域にいながらも、気持の上では華やぎを失わずにいたいものだ。

一日をゆっくり見つめ
ゆっくり歩いて
ゆっくり書いて
ゆっくり生きて       (高木護)

これだな、こうありたい…と、思いを新たにすることもあった

 

今日13歳の誕生日を迎えた孫T。「きょうはすばらしい日~」を過ごしたことだろう。
カードは12日に届いた。

今日は疲れ休みの平凡な一日だったが、であっても、いろいろな思いを交錯させて過ごす。
映画「幻の光」が上映されているからと誘われたが、原作を読んでいるからとオコトワリした。
能登半島沖地震で被害を受けた輪島市を支援のため、リバイバル公開だそうな。宮本輝氏の原作「幻の光」の映画化だというが、知らずに来た。
で、実際はうろ覚えの箇所もあって読み直したりもしていた。


「雨上がりの線路の上を、背を丸めて歩いていく後姿が振り払うても振り払うても心の隅から浮かんでくる」
生れて3ヵ月になる息子と妻を遺して死んでしまった夫に向けて、心の中でのひとりごとがやまない。物語は最後まで“ひとりごと”で展開する。
「なんで死んだんやろ、なんであんたは、轢かれる瞬間までひたすら線路の真ん中を歩きつづけてたんやろ、いったいあんたは、そうやってどこへ行きたかったんやろ」と問い続ける。
尼崎から奥能登の曾々木という地に嫁いで、新しい家族を作ってからもそれは続く…。
原作の余韻は大事にしておこう。

『錦繍』にあった「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じかもしれない」の一節が重なってきた。



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