「つつじの花 香少女(にほへをとめ) 桜花 栄少女(さかえをとめ)」
万葉時代には桜と一対にして、少女の美しさにたとえられていたツツジ。「香」の字で表現した「にほふ」ということばの美しさ。そこに馥郁とした含羞の気分を感じ取った馬場あき子さんのエッセイがある。
曼殊院にも今を盛りと「匂やかな乙女の花」があたりを染めていた。青紅葉の美しさに見ほれながらの散歩は爽やかで、心は満たされた。
兼好法師が、「若葉の梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と詠嘆した季節がやってきた。
季節から受ける感じの深さは秋が一番だと人が言うのも、一応もっともなことなのだがとして、「今一(ひと)きは心も浮き立つものは、春の気色にこそあめれ」と綴っている。
そして、移り変わる季節のそれぞれに、まつわる思いの捨てがたいことは多く、そのひとつひとつがまことに趣深いと語る『徒然草』第19段は「折節の移りかはるこそ、ものごとに哀れなれ」で始まる。
日本人の根本を流れる自然観は、今も昔も変わらない感覚であることが素晴らしい。消えてなくなることはないと言い切っても、よいのだろうか。
一年中で最もさわやかで「香しい」季節になった。春も深みの深み、今日は立夏の一日前。