京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 『母の遺産』

2015年05月08日 | こんな本も読んでみた

咲きだしたシャクヤク。
父がのぞくファインダーの先には母がいて、シャクヤクの花に寄り添いながら笑っている。今では脳裏に焼きついた母の笑顔だが、そんな写真が1枚残っている。

なんとしても連休中には読み終えてしまいたかった『母の遺産 新聞小説』(2010.1-2011.4にかけて読売新聞で連載。水村美苗著)。知人からの紹介だったがようやくひと月ほど前に購入し、毎夜、横になってから少しずつ読み継いできた。

         
オビには【ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?】とある。
「何よりも五十代であの人から解放されたのが嬉しい」、娘二人が母の通夜の晩に電話で話をしている。そんな「通夜の長電話」から始まる。
「いったい、いつになったらあの人から解放されんの」「ついに母から解放されるかもしれない」「あの人、やっぱり、あたしたちを解放してくれない」
「諦めというものを知らず、虎視耽々と隙を狙い、何かに感動し、生きていることの証を欲しがり続ける母の存在」がおぞましく、介護疲れといら立ちをつのらせる娘の美津紀。

「どんなにいい母親をもとうと、数多くの娘には、その母親の死を願う瞬間ぐらいは訪れるのではないか」「姑はもちろん、自分の母親の死を願う娘が増えていて不思議はない」「娘はたんに母親から自由になりたいのではない。老いの酷たらしさを近くで目にする苦痛、自分のこれからの姿を鼻先に突きつけられる精神的苦痛からも自由になりたいのではないか」と著者は言う。
背景には複雑な家族の歴史があるが、娘を許し、娘に許しを請い、娘もいつしか母を許していく救いも読んだ。

ひと月余りもかけて読んで、疲れを感じた。本の重みで左親指付け根が痛い。言いようのない屈託、打開しようもない生育過程、不安、失望…、それでも人生に喜びを見い出そうと、多くの人は生きているのだろう。
かつて読んだ『沈黙の人』も思い出される。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする