Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

東チベット・雲南の旅 3 バーイー

2010-05-03 01:00:15 | チベット文化圏
3月18日

朝、街のレストランで朝食をとっているとこの地方に特有の格好をしたチベット人が次々に通りかかる。
  
茶色のフェルト地でできたポンチョのような袖なしの上着、腰の辺りには前後に江戸妻のように金地の華やかな布でアクセントがつけられている。これはこのコンボ地方だけの衣装のようで、チベットでも他では見たことがない。

前夜チベット地区からの退去を命じられたものの、次の大きな町バーイーまでは行けるとのことで東へ向かう。
 途中見える山には雪がかぶり、しかし周りには緑も増えてきて、ここから先こそ景色がいいはずなのに、と悔しさがこみ上げる。

途中の路上でラサへの巡礼者に遭遇。
 手には木の下駄をはめ、革の前掛けをして五体投地を繰り返す。
当然、何週間、何ヶ月もかかるので、集団を組み、荷物を運びながら移動する。
 
荷物の後ろに乗っていた太陽電池はもしかして携帯電話用だろうか。

ここでは皆さん、食事休憩中。
 
お茶を飲みながらパンや干し肉をかじり、ツァンパをこねる。キャンプみたいでなんだか楽しそう。

バーイーの手前、パソンツォへの分岐点でポスポートチェックの検問。
チベット仏教の聖湖、パソンツォも行くはずだったのに、今日は中国人も立ち入り禁止だと言う。

 昼に到着したバーイーは川蔵公路の開通と共に中国人が作った町。町の名前「八一」からして中国人民解放軍の建軍記念日にちなんでいる。今ではかなりの人口があるようで、だだっ広い土地に3,4階建てのビルが建ち並び、学校や病院が作られている。

昼食をとっている間に旅行社が許可をもらって、町の東のセチ・ラ峠まで行けることになった。
 バーイーの東80キロ、この峠の標高は4515メートル。
  
そしてこの雪に覆われた峠からは7782メートルのナムチャバルワ峰が良く見える。と言っても肝心の特徴ある形の主峰は雲の中だそうで、しばらく粘ってみたがついにその姿を拝むことはかなわず。

そうして待っている間、峠をチベット人を満載したトラックが次々に通り過ぎていく。
 
彼らもラサへの巡礼者だろう。みんなとても明るくて楽しそうだ。
東で暴動が起こったらしい(それで我々は追い出される)という噂は本当なのか、ここにいてもさっぱりわからない。

 峠の写真スポットでは中国人の学生と思しきグループがおおはしゃぎで撮影会。雪の中で飛んだり跳ねたり、君たちはここが4500メートルあるってわかってるのかね。

峠を下りて3000メートル付近まで来ると桃の花が満開。
 
 
そこらじゅうを牛や羊、豚や鶏がうろうろしているし、やっぱり東チベットは良さげな所だ。

バーイーの街に戻ってホテルにチェックインすると玄関には大きな横断幕。
 これはどうも我々のことらしい。
冬の間は休業していたホテルの、再開後初の客が我々だったらしいのだが、この調子ではまたしばらく休業せざるを得まい。

チベット最後の夕食はホテルの向かいのレストランでチベット風の鍋。
 ここまでずっとありきたりの中華ばかりだったので、客一同喜ぶ。

この食事の最中に旅行社から今後のスケジュール変更の説明。
明日にはチベットを出なければならないが、そのまま東京に帰ると航空券の買い直しなどで返金は2万円程度にしかならないとのこと。
雲南に滞在して予定通りに帰るなら予算内でスケジュールを組むというので、雲南には行ったことがないし、せっかく休暇もとったので雲南に行くことにする。
すでに雲南に行ったことのあるオタッキーズ仲間はちょっと不満だったみたいだけれど、結局全員がツアー続行を決定。
おそらくは徹夜でスケジュールを組みなおしただろう東京と成都の旅行社もほっとしただろう。

それにしてももうチベットを出なければならないとは、せっかく今回は高度順応も今までになくうまく行っていたのに、くやしい~!


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コメント (2)
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