3月5日 続き
幹線道路に戻り、なかなか立派な吊り橋で大きな川を渡る。

このジャイン川は州堺になっていて、カレン州からモン州に入る。
すぐにモーラミャインだが、町は素通りしてそのまま南のタンビュザヤへ。
ちょうどお昼だったのでレストランへ直行。

風通しのいいテーブルで麺を頼んだが、この辺りでは朝以外はあまり麺類は食べないみたい。

モン料理があるというので頼んでみると、マリアンと言う果物を入れた魚の煮込み。
マリアンはタイで食べたことがあるが、小さくて酸っぱいマンゴーの仲間。これのさらに酸っぱい若い実をモン族はよく料理に使うのだとか。甘酸っぱい味付けは日本人には違和感なく、隣は今日もメンマ。
お昼を食べたらまた幹線道路をはずれ、海沿いを北上して30分ほどでチャイッカミという町へ。
ここにイェレ・パヤという海の上に突き出たお寺がある。

屋根の掛かった長い渡り廊下を通り

お寺に着くと正面に本堂への入り口があるが、ここは女人禁制。

左に折れると仏様への供物の売店が並んでいて

その先が女性のための礼拝所。大きなガラス窓の向こうに金色の仏様が見えるが、この下に安置されていると言うご本尊は昔スリランカから筏に乗ってここに流れ着いたとされているそうで
境内にはその由来がこんな絵で説明されている。
ガイドさんによるとここは霊験あらたかで、以前来た時にお願いしたことはちゃんとかなったとか。
今回も熱心に祈っていたが、どうやら新しい家がほしいらしい(笑)。

尼さんが眺めているケバい化粧の女性はよくできているがナッ神の像。
外で海を見ている人たちは大きな魚に餌をやって功徳を積んでいる。
さらに海の中に突き出た東屋のようなものがあるので行ってみると、空を見上げるお坊さんの像。

このお坊さんにお祈りすると天気が良くなるというので、この先も快晴が続くようにお願いしておいた。
なにかとミャンマーらしくて楽しいお寺だったが、周りの海が泥だらけだったのは予想外。
青い海に浮かぶ寺を期待していたのだが、この辺りはいつもこんならしい。
ここから引き返してまたタンビュザヤへ。
この町もロータリーの真ん中に時計塔がある。
ここで寄ってもらったのはDeath Railway Museum。

「死の鉄道」とは悪名高き日本軍の泰緬鉄道のことで、枕木一本ごとに犠牲者が一人いたと言われている。
タンビュザヤはこの鉄道のミャンマー側の起点というか終点だったのでここにこの博物館があるわけだが

1階には労働現場の絵と日本軍の人形がいくつか、2階には鉄道の説明文と写真が並ぶぐらいでとても充実した展示とは言えず、これで外国人の入場料が5000チャットとは高すぎる(ミャンマー人は800チャット)。

とは言え外国人捕虜の写真はその待遇のひどさが一目瞭然だし、日本側の兵士が残したミャンマーの絵や家族への手紙は一見場違いにのどかなようだが、彼らにしても来たくてここに来たわけではないと語っているような気がする。

建物の外の線路には泰緬鉄道の起点の看板があり、古い機関車も一台置かれている。
その手前にはあまり迫力のない日本兵の人形もあるが、以前はもっと鬼のような形相だったものを、外国人(=日本人)に配慮して普通の顔にした、とはガイドさんの話。
そのガイドさん、この博物館の小さな売店でモン族らしい柄のロンジーを見つけて1枚お買い上げ。

モン族の女性は美人が多いと有名なのだそうだ。
ところでこの町の観光(?)名所と言えば連合軍墓地で、公園のようにきれいに整備された園内はジモティーのおデートスポットでもあるらしいが

日本人としてはこちらへ行くべきだろう、と昭和19年に日本軍の大佐が建てたミャンマー側殉教者の慰霊碑へ。
小さなパゴダの前の仏様に平和をお祈りする。
モウラミャインへ戻る道すがらには巨大な仏様の座像があって、こちらは道路から写真を一枚。右手の下の黄色い点がバスだと言えばこの巨大さがわかるだろう。
さらに道筋には全長170m、いまだ建設中の世界最大の涅槃仏もあると言うが、これはもうパス。
ミャンマー人はとにかく大きな仏像を作ったり、金ぴかにすることに熱心だが、そのお金をもっと他のことに使えばいいのに、と言うのは外国人の余計なおせっかいというもの。
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幹線道路に戻り、なかなか立派な吊り橋で大きな川を渡る。


このジャイン川は州堺になっていて、カレン州からモン州に入る。
すぐにモーラミャインだが、町は素通りしてそのまま南のタンビュザヤへ。
ちょうどお昼だったのでレストランへ直行。


風通しのいいテーブルで麺を頼んだが、この辺りでは朝以外はあまり麺類は食べないみたい。


モン料理があるというので頼んでみると、マリアンと言う果物を入れた魚の煮込み。
マリアンはタイで食べたことがあるが、小さくて酸っぱいマンゴーの仲間。これのさらに酸っぱい若い実をモン族はよく料理に使うのだとか。甘酸っぱい味付けは日本人には違和感なく、隣は今日もメンマ。
お昼を食べたらまた幹線道路をはずれ、海沿いを北上して30分ほどでチャイッカミという町へ。

ここにイェレ・パヤという海の上に突き出たお寺がある。


屋根の掛かった長い渡り廊下を通り


お寺に着くと正面に本堂への入り口があるが、ここは女人禁制。


左に折れると仏様への供物の売店が並んでいて


その先が女性のための礼拝所。大きなガラス窓の向こうに金色の仏様が見えるが、この下に安置されていると言うご本尊は昔スリランカから筏に乗ってここに流れ着いたとされているそうで

ガイドさんによるとここは霊験あらたかで、以前来た時にお願いしたことはちゃんとかなったとか。
今回も熱心に祈っていたが、どうやら新しい家がほしいらしい(笑)。


尼さんが眺めているケバい化粧の女性はよくできているがナッ神の像。
外で海を見ている人たちは大きな魚に餌をやって功徳を積んでいる。
さらに海の中に突き出た東屋のようなものがあるので行ってみると、空を見上げるお坊さんの像。


このお坊さんにお祈りすると天気が良くなるというので、この先も快晴が続くようにお願いしておいた。
なにかとミャンマーらしくて楽しいお寺だったが、周りの海が泥だらけだったのは予想外。
青い海に浮かぶ寺を期待していたのだが、この辺りはいつもこんならしい。
ここから引き返してまたタンビュザヤへ。

ここで寄ってもらったのはDeath Railway Museum。


「死の鉄道」とは悪名高き日本軍の泰緬鉄道のことで、枕木一本ごとに犠牲者が一人いたと言われている。
タンビュザヤはこの鉄道のミャンマー側の起点というか終点だったのでここにこの博物館があるわけだが


1階には労働現場の絵と日本軍の人形がいくつか、2階には鉄道の説明文と写真が並ぶぐらいでとても充実した展示とは言えず、これで外国人の入場料が5000チャットとは高すぎる(ミャンマー人は800チャット)。


とは言え外国人捕虜の写真はその待遇のひどさが一目瞭然だし、日本側の兵士が残したミャンマーの絵や家族への手紙は一見場違いにのどかなようだが、彼らにしても来たくてここに来たわけではないと語っているような気がする。


建物の外の線路には泰緬鉄道の起点の看板があり、古い機関車も一台置かれている。

そのガイドさん、この博物館の小さな売店でモン族らしい柄のロンジーを見つけて1枚お買い上げ。


モン族の女性は美人が多いと有名なのだそうだ。
ところでこの町の観光(?)名所と言えば連合軍墓地で、公園のようにきれいに整備された園内はジモティーのおデートスポットでもあるらしいが


日本人としてはこちらへ行くべきだろう、と昭和19年に日本軍の大佐が建てたミャンマー側殉教者の慰霊碑へ。
小さなパゴダの前の仏様に平和をお祈りする。

さらに道筋には全長170m、いまだ建設中の世界最大の涅槃仏もあると言うが、これはもうパス。
ミャンマー人はとにかく大きな仏像を作ったり、金ぴかにすることに熱心だが、そのお金をもっと他のことに使えばいいのに、と言うのは外国人の余計なおせっかいというもの。
