Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

観光で名古屋 5 明治村後編

2020-12-11 16:49:17 | 国内旅行

11月19日 続き

 教会から坂を下ると木造の建物がまとまって建っている。
 
一番手前はお風呂屋さん。
 
次が「呉服座」という大阪にあった芝居小屋。
 小泉八雲が焼津に避暑に行った時に使っていたという魚屋の家は駄菓子屋になっていて
 
その隣は東京本郷にあってという床屋さん。この2階に東京時代の石川啄木が家族と間借りしていたのだそうだ。

 
蒸気機関車の前にあるのはハワイ移民の集会所、その先にあるのはシアトルにあった日系移民の家。どちらもわざわざアメリカから移築した建物だが、いかにもアメリカの住宅。

その向こうにはかなり大きな湖があっていい景色だが、これは入鹿池という農業用のため池とのこと。

正面がガラス張りの大きな建物は1890年に建てられた日本赤十字病院。
  
 
今にも白い制服の看護婦さんが現れそうな室内。

陽はだいぶ傾いてきたがこれでやっと半分カバーしたところ。
そこでまた移動のために乗り物に乗る。
 
今度は京都を走っていたという市電。
 
途中には踏み切りもあり、わざか5分ほどの乗車だがなかなか楽しい。

 終着駅にある品川灯台をさっと見て
 
次は重文指定されている西園寺公望の別邸。
 
内部はガイド付きでなければ上がれないが、時間に間に合わなくて残念。

こちらは墨田区にあった幸田露伴の家。
 
西園寺さんの別邸に比べると質素だが、これでも普通の町屋よりはずっと広いらしい。

 しゃれた豪商、芝川邸も外観だけ見て
 
ドイツ風の北里研究所へ。
 
古い検査器具などの展示は見ようによってはちょっと不気味。

最初にきしめんを食べたエリアにようやく戻って
 
 
油屋だったという東松家住宅や
 東山梨郡役所を見学。

いよいよ閉園時間も迫って来たのであと一か所だけ、と小高い所に建つ聖ヨハネ教会堂へ。
  
これも京都にあったそうだが、先の聖ザビエル天主堂がカソリックだったのに対してこちらはプロテスタントの教会。内部がぐっと質素なのがいかにもそれらしい。

 と外に出るともう4時でタイムアップ。
一通りは回ったが、すべての建物を見ようとすると明治村は半日では足りない。

帰りのバスで思いがけず30分も待たされつつ、充実した犬山の一日に満足して名古屋に帰還。
そのまま今夜もまた名古屋メシにしようと、やってきたのは名古屋Kitte地下の「ヨコイ」。
 こちらはあんかけスパの元祖だそうなので、元名古屋在住者のお勧めに従って「ミラカン味」を注文すると
 やってきたのはパスタに昔懐かし赤い皮のウィンナーたっぷりの具にどろりとした茶色いソースが添えられた一皿。
ソースは中華餡のような粘度だが味は友人曰く「アメリカのBBQソースみたい」で、胡椒がびっくりするほど入っていて辛い。
パスタの方は極太のスパゲティだが、この食感はソフト麺!
赤いウィンナーにソフト麺で思わず大昔の給食の話題で盛り上がってしまったが、この話題で年齢がわかってしまう。
辛いソースはなぜか食べているうちに辛さを感じなくなるのだが、このチープな味は英語で言うところのacquired taste。癖になる、のかな。


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コメント (4)
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