Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

シリア周遊 7 パルミラ

2009-06-06 23:52:09 | 中近東/北アフリカ
5月2日

砂漠の中の石の遺跡は早朝か夕方でないとのっぺりとしたつまらない姿になってしまう。
それではがんばって早起きしましょう、とホテルの人に日の出の時間を聞くと「6時くらい」。

そこで今日は目覚ましをかけて6時前に起床。
窓から遺跡を覗けば・・・もう日は上がっている。



どうせそんなことだろうと思っていたので驚きもしない。
早速目の前に広がる遺跡に向かって歩く。

 
 
きれいなアーチの門の向こうには有名な列柱通りが続き、その先には四面門。さらにその向こうには昨日登った要塞が見える。

パルミラ遺跡のいいところはゲートも入場料もなく、何時でも好き勝手に歩き回れる所。
早朝とは言え我々の他にもぽつり、ぽつりと写真を撮りに来た人がいるが、何しろ広いのでまったく気にならない。遺跡はやっぱり閑散としていないと。

 
ゆっくり建物のディテールを見てまわれば細かい植物紋様がぎっしり。その間には人物像も見えるが、どれも首から上がない。これは意図的に壊されたのか、かっぱらわれたのか。
列柱通りの柱から突き出たでっぱりにも往時は人の彫像が乗っていたというし、華やかなりし頃のこの町は人物像であふれかえっていたことだろう。

ところでパルミラといえば最後の女王、ゼノビア。戦いに敗れ、金の鎖につながれてローマに連行されたというのは有名な話。その後は処刑されたのかと思っていたら、ガイドブックによると釈放され、ローマ貴族と結婚して天寿を全うしたそうな。そう思ってみるせいか、この遺跡に暗さはまったく感じない。

 
内部に木の茂るバールシャミン神殿の前では早くも土産物屋が準備中。でもこの人たちもあっさりしていて、それもここのいいところ。

それにしても朝のパルミラは寒い。フリースを着ていても指先や耳が痛くなる。息が白いところを見ると10度以下だろう。これが昼になるととても暑くなるのだから、砂漠の気候は過酷だ。

寒さに耐え兼ね、ホテルに戻って朝食。
その後はうだうだして、10時から遺跡の向こうに見えた塔墓を見に行く。
 この墓に入るには街中の博物館で切符を買い、決められた時間に町外れの墓まで自分で脚を手配しなければならない。

そんなわけで我らがドライバー、アリー氏と墓に行くと
 この町の有名人、「スズキタカシ」氏に遭遇。
日本語を話すこの運転手さん、名前のインパクトのせいかいろいろなブログに登場するが、ちゃんとまじめなガイドさんらしい。

それにしてもなんで「スズキタカシ」なのか。夜、レストランで声をかけてきた別のドライバーの話がふるっている。「俺も去年はスズキだった。その前はナカタで今年はサトウ。来年は何にしようかねえ」

塔墓はたくさん存在するが、中を見せてもらえるのはエラベール家の墓だけ。大勢の観光客が集まる中、時間になると博物館の人が来て鍵を開けてくれる。
  
紀元103年に造られたというこの4階建ての墓、壁にたくさんの棚があり、全部で棺を300収容できるのだそうだ。国立博物館で見た墓室も実はここから移築されたもの。
 
今は首のない彫像が2つ、2階の部屋に転がっているだけ。

チケットではもう一つ、三兄弟の地下墳墓に入ることが出来る。
 
この形の墓は塔墓より後に作られたもので、たくさんある中でもここはフレスコ画が残っているので有名。よく見ると人物画の他に鳥の絵などもあってなかなかおもしろいが、残念ながら写真撮影不可。それ以上に人が多すぎて窒息しそう。

早々に引き上げて、もう一つ、通称「ジャパニーズ・トゥーム」というのに連れて行ってもらう。ここは通常のチケットには含まれておらず、アリー氏に聞いてもらうと500ポンドで開けてもらえるとのこと。そこで博物館員を車に乗せて、三兄弟の墓から5分ほどの場所に向かう。

民家が回りに散在するこのあたり、他にもたくさん墓があるが、立派な入り口の厳重な鉄扉を開けてもらう。
 
 さらに重い石の扉を開けると中には彫像が一杯。

 
 
首もちゃんとあって状態がよく、墓室の中はオリジナルと修復箇所が一目でわかるようになっている。

ところでこの墓の正式な名前は「ボルハ、ボルパの墓」。それが「日本墓」と呼ばれるのは修復を奈良県が援助したから。
 入り口のプレートにも日本語がある。
その立派な仕事ぶりにはこちらまでちょっと鼻が高くなったりして。

他には誰もいないお墓をゆっくり見学させていただき、博物館員を送りがてら町に戻った。


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シリア周遊 6 パルミラへ

2009-06-04 02:24:03 | 中近東/北アフリカ
5月1日 続き

午後1時、ドライバーのムハマド・アリー氏が約束通り迎えに来てくれる。

車はダマスカス市街を抜け、北へ。高速道路をパルミラ方面へ降りるとその先はひたすら砂漠だ。
 
羊はおろか、ラクダの姿もまったく見えない。夏は50度を軽く越えるという死の世界。

すれちがう車もろくにないこの道を走ること2時間以上。
路傍に忽然と建物が現れる。
 その名もバグダッド・カフェ
 
名前はもちろんあの映画からのパクリ。しかしこの砂漠の向こうはバグダッド、アメリカのどこかよりこの名前を名乗るにふさわしい。

それにしてもベドウィンがオーナーというこのカフェ、絶妙の位置に存在する。ダマスカスとパルミラのほぼ中間、他にはまったく、ガソリンスタンド一つないところに建っているので、バスでも車でもパルミラへの観光客はほぼ間違いなくここで休憩する。お茶一杯づつとしても、年間何杯のお茶が売れることか。

というわけで大成功のバグダット・カフェ、今は2号店、3号店もできている。
ベドウィンもなかなか商売上手。

ここを出てさらに1時間以上、道の彼方にやっとまとまった緑が見えてきた。
 これが目指すパルミラの町。

まっすぐ向かった今夜の宿はゼノビア・シャーム・ホテル
 
1900年に遺跡の中に建てられたホテルということで
 
窓の外は遺跡。最近改築された部屋はきれいでお湯もふんだんに出る。

 お茶をするテラスの向こうも遺跡。

一息入れた所で今日はまず遺跡の全景を眺めようと、車で町の西の山にそびえるカラート・イブン・マーンヘ。
 
17世紀に建てられたというこの要塞に見所は何もないが、ここから夕陽に照らされたパルミラ遺跡を見るのはお約束なので、駐車場は一杯、城の中にも人が一杯。

そして城のてっぺんから下を見下ろせば

右手には遺跡、左手に広がるのはパルミラの町。

 遺跡の傍らには我々のホテルも見える。

 さあ、明日はこの中を歩かなきゃ。


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シリア周遊 5 国立博物館

2009-06-03 01:53:22 | 中近東/北アフリカ
5月1日

イスラム圏では日曜ではなく金曜日が安息日。
そのためいつもにぎやかなスークも今日はお休みの店が多い。
 
人通りの少ないアーケードには屋根の穴から差す日が水玉模様を作り、所在無げなマネキン達はちょっと不気味である。

そんなスークを足早に抜け、新市街にある国立博物館まで歩く。

途中にあるのは1917年に造られたというヒジャーズ駅。
 
正面にはかわいい蒸気機関車が飾られ 
 中もきれいなのだが、ここにはもう線路がひかれておらず、なぜか本が並んでいる。
駅として再開発するという話もあるようだが、確かにこのままではもったいない。

さらに歩いてダマスカス大学の門から中をちょっと覗いてみる。
 広々とした構内には女子大生も大勢いて、なかなか活気がある雰囲気。
この裏手には大学生のためのアパートもたくさん並んでいて、部屋代はとんでもなく安いんだそうだ。

ここから道を隔てた斜め前にあるのが今朝のお目当て、国立博物館。
 
門を入ると中庭があり、噴水の向こうに正面入り口がある。7世紀の砂漠の城砦の門を移築したこの入り口もよく見るととてもきれいだ。

ここから先は撮影禁止。古い順に展示品を見ていくと、紀元前6000年のものなんてのが普通の顔をして並んでいる。
一番有名なのはウガリットから出土した世界最古のアルファベットの粘土板で、これが紀元前1400年。大きな目玉が特徴的なマリ出土のメソポタミア文明のものは紀元前2000年。
その頃の日本は、なんて考えると歴史のスケールが違いすぎてくらくらする。

ぐるぐる見てまわっているうちにパルミラの部屋に迷い込んだ。地下に下りる階段の先には墓の内部を再建した部屋がある。我々の他には見物人がいなくなると監視員が写真を撮ってもいいと言う。「他の人が来る前に、早く、早く」
 
こんな時、国によっては「なんかくれ」というのが通例だが、ここはそういうわけではなく、純粋なサービス精神らしい。「絶対内緒だよ」と念を押されたが、ブログに書いちゃったよ、まずいかな。

それにしてもこの博物館、収蔵品の価値に比べて展示の仕方があまりにも古くさい。説明は小さな紙に書いてあるだけ、それもアラビア語だけだったり、フランス語だったり。ケースの中の並べ方にも工夫がなく、ライティングもされていない。
大体どこにどの時代のものがあるのかの表示も不親切で、そのためここで一番見たかったものを実は見逃してしまったことに後で気がつく。

だからだろう、現在博物館内は展示換え作業があちらこちらで進行中。そのため見られない部屋があったり、ものがごちゃごちゃに置かれた部屋があったり。

せっかくのお宝、見せ方によって何倍も興味あるものになるのは他の博物館が実証している。かなり抜本的な改善が必要そうだが、ダマスカス国立博物館にはがんばっていただきたい。まずは開館時間にミュージアムショップを閉めるなんてことのないところから 

もっとゆっくりしたかったところだが、午後の予定があるので博物館からは撤収。
のりのいいお兄さんたちからシュワルマを買って、ホテルの中庭で軽い昼食をすませた。
  


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