5月2日
砂漠の中の石の遺跡は早朝か夕方でないとのっぺりとしたつまらない姿になってしまう。
それではがんばって早起きしましょう、とホテルの人に日の出の時間を聞くと「6時くらい」。
そこで今日は目覚ましをかけて6時前に起床。
窓から遺跡を覗けば・・・もう日は上がっている。
どうせそんなことだろうと思っていたので驚きもしない。
早速目の前に広がる遺跡に向かって歩く。
きれいなアーチの門の向こうには有名な列柱通りが続き、その先には四面門。さらにその向こうには昨日登った要塞が見える。
パルミラ遺跡のいいところはゲートも入場料もなく、何時でも好き勝手に歩き回れる所。
早朝とは言え我々の他にもぽつり、ぽつりと写真を撮りに来た人がいるが、何しろ広いのでまったく気にならない。遺跡はやっぱり閑散としていないと。
ゆっくり建物のディテールを見てまわれば細かい植物紋様がぎっしり。その間には人物像も見えるが、どれも首から上がない。これは意図的に壊されたのか、かっぱらわれたのか。
列柱通りの柱から突き出たでっぱりにも往時は人の彫像が乗っていたというし、華やかなりし頃のこの町は人物像であふれかえっていたことだろう。
ところでパルミラといえば最後の女王、ゼノビア。戦いに敗れ、金の鎖につながれてローマに連行されたというのは有名な話。その後は処刑されたのかと思っていたら、ガイドブックによると釈放され、ローマ貴族と結婚して天寿を全うしたそうな。そう思ってみるせいか、この遺跡に暗さはまったく感じない。
内部に木の茂るバールシャミン神殿の前では早くも土産物屋が準備中。でもこの人たちもあっさりしていて、それもここのいいところ。
それにしても朝のパルミラは寒い。フリースを着ていても指先や耳が痛くなる。息が白いところを見ると10度以下だろう。これが昼になるととても暑くなるのだから、砂漠の気候は過酷だ。
寒さに耐え兼ね、ホテルに戻って朝食。
その後はうだうだして、10時から遺跡の向こうに見えた塔墓を見に行く。
この墓に入るには街中の博物館で切符を買い、決められた時間に町外れの墓まで自分で脚を手配しなければならない。
そんなわけで我らがドライバー、アリー氏と墓に行くと
この町の有名人、「スズキタカシ」氏に遭遇。
日本語を話すこの運転手さん、名前のインパクトのせいかいろいろなブログに登場するが、ちゃんとまじめなガイドさんらしい。
それにしてもなんで「スズキタカシ」なのか。夜、レストランで声をかけてきた別のドライバーの話がふるっている。「俺も去年はスズキだった。その前はナカタで今年はサトウ。来年は何にしようかねえ」
塔墓はたくさん存在するが、中を見せてもらえるのはエラベール家の墓だけ。大勢の観光客が集まる中、時間になると博物館の人が来て鍵を開けてくれる。
紀元103年に造られたというこの4階建ての墓、壁にたくさんの棚があり、全部で棺を300収容できるのだそうだ。国立博物館で見た墓室も実はここから移築されたもの。
今は首のない彫像が2つ、2階の部屋に転がっているだけ。
チケットではもう一つ、三兄弟の地下墳墓に入ることが出来る。
この形の墓は塔墓より後に作られたもので、たくさんある中でもここはフレスコ画が残っているので有名。よく見ると人物画の他に鳥の絵などもあってなかなかおもしろいが、残念ながら写真撮影不可。それ以上に人が多すぎて窒息しそう。
早々に引き上げて、もう一つ、通称「ジャパニーズ・トゥーム」というのに連れて行ってもらう。ここは通常のチケットには含まれておらず、アリー氏に聞いてもらうと500ポンドで開けてもらえるとのこと。そこで博物館員を車に乗せて、三兄弟の墓から5分ほどの場所に向かう。
民家が回りに散在するこのあたり、他にもたくさん墓があるが、立派な入り口の厳重な鉄扉を開けてもらう。
さらに重い石の扉を開けると中には彫像が一杯。
首もちゃんとあって状態がよく、墓室の中はオリジナルと修復箇所が一目でわかるようになっている。
ところでこの墓の正式な名前は「ボルハ、ボルパの墓」。それが「日本墓」と呼ばれるのは修復を奈良県が援助したから。
入り口のプレートにも日本語がある。
その立派な仕事ぶりにはこちらまでちょっと鼻が高くなったりして。
他には誰もいないお墓をゆっくり見学させていただき、博物館員を送りがてら町に戻った。
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砂漠の中の石の遺跡は早朝か夕方でないとのっぺりとしたつまらない姿になってしまう。
それではがんばって早起きしましょう、とホテルの人に日の出の時間を聞くと「6時くらい」。
そこで今日は目覚ましをかけて6時前に起床。
窓から遺跡を覗けば・・・もう日は上がっている。
どうせそんなことだろうと思っていたので驚きもしない。
早速目の前に広がる遺跡に向かって歩く。
きれいなアーチの門の向こうには有名な列柱通りが続き、その先には四面門。さらにその向こうには昨日登った要塞が見える。
パルミラ遺跡のいいところはゲートも入場料もなく、何時でも好き勝手に歩き回れる所。
早朝とは言え我々の他にもぽつり、ぽつりと写真を撮りに来た人がいるが、何しろ広いのでまったく気にならない。遺跡はやっぱり閑散としていないと。
ゆっくり建物のディテールを見てまわれば細かい植物紋様がぎっしり。その間には人物像も見えるが、どれも首から上がない。これは意図的に壊されたのか、かっぱらわれたのか。
列柱通りの柱から突き出たでっぱりにも往時は人の彫像が乗っていたというし、華やかなりし頃のこの町は人物像であふれかえっていたことだろう。
ところでパルミラといえば最後の女王、ゼノビア。戦いに敗れ、金の鎖につながれてローマに連行されたというのは有名な話。その後は処刑されたのかと思っていたら、ガイドブックによると釈放され、ローマ貴族と結婚して天寿を全うしたそうな。そう思ってみるせいか、この遺跡に暗さはまったく感じない。
内部に木の茂るバールシャミン神殿の前では早くも土産物屋が準備中。でもこの人たちもあっさりしていて、それもここのいいところ。
それにしても朝のパルミラは寒い。フリースを着ていても指先や耳が痛くなる。息が白いところを見ると10度以下だろう。これが昼になるととても暑くなるのだから、砂漠の気候は過酷だ。
寒さに耐え兼ね、ホテルに戻って朝食。
その後はうだうだして、10時から遺跡の向こうに見えた塔墓を見に行く。
この墓に入るには街中の博物館で切符を買い、決められた時間に町外れの墓まで自分で脚を手配しなければならない。
そんなわけで我らがドライバー、アリー氏と墓に行くと
この町の有名人、「スズキタカシ」氏に遭遇。
日本語を話すこの運転手さん、名前のインパクトのせいかいろいろなブログに登場するが、ちゃんとまじめなガイドさんらしい。
それにしてもなんで「スズキタカシ」なのか。夜、レストランで声をかけてきた別のドライバーの話がふるっている。「俺も去年はスズキだった。その前はナカタで今年はサトウ。来年は何にしようかねえ」
塔墓はたくさん存在するが、中を見せてもらえるのはエラベール家の墓だけ。大勢の観光客が集まる中、時間になると博物館の人が来て鍵を開けてくれる。
紀元103年に造られたというこの4階建ての墓、壁にたくさんの棚があり、全部で棺を300収容できるのだそうだ。国立博物館で見た墓室も実はここから移築されたもの。
今は首のない彫像が2つ、2階の部屋に転がっているだけ。
チケットではもう一つ、三兄弟の地下墳墓に入ることが出来る。
この形の墓は塔墓より後に作られたもので、たくさんある中でもここはフレスコ画が残っているので有名。よく見ると人物画の他に鳥の絵などもあってなかなかおもしろいが、残念ながら写真撮影不可。それ以上に人が多すぎて窒息しそう。
早々に引き上げて、もう一つ、通称「ジャパニーズ・トゥーム」というのに連れて行ってもらう。ここは通常のチケットには含まれておらず、アリー氏に聞いてもらうと500ポンドで開けてもらえるとのこと。そこで博物館員を車に乗せて、三兄弟の墓から5分ほどの場所に向かう。
民家が回りに散在するこのあたり、他にもたくさん墓があるが、立派な入り口の厳重な鉄扉を開けてもらう。
さらに重い石の扉を開けると中には彫像が一杯。
首もちゃんとあって状態がよく、墓室の中はオリジナルと修復箇所が一目でわかるようになっている。
ところでこの墓の正式な名前は「ボルハ、ボルパの墓」。それが「日本墓」と呼ばれるのは修復を奈良県が援助したから。
入り口のプレートにも日本語がある。
その立派な仕事ぶりにはこちらまでちょっと鼻が高くなったりして。
他には誰もいないお墓をゆっくり見学させていただき、博物館員を送りがてら町に戻った。
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