Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

東チベット・雲南の旅 4 林芝から成都

2010-05-05 19:33:48 | チベット文化圏
3月19日

朝、今日も快晴の中、バーイー郊外の林芝空港へ向かう。
途中、窓の外にまるでピラミッドのような形の山が見える。
「あれは何?」と聞くとドライバーが「ナムチャバルワ!」とトランシーバーに向かって叫んで急遽写真ストップ。
  
なるほど特徴的な山の形、遠くからとは言え、最後にこの山が見えてよかった!

やがて林芝空港に到着。
 せっかく仲良くなりかけた楽しいチベット人ドライバーさんたちとはここで早くもお別れ。

 
2006年10月にできたという林芝空港はまだピカピカ。今日も成都行きの一便しかなく、要するにあまり使われていない。
乗客はそれほど多くないと思うが、荷物のチェックが厳しくて時間がかかる。

チェックインの列にぼーっと並んでいると、隣のカウンターにおじさんが大きなかごを預けた。中にはムクムクと黒い毛のチベット犬の子犬が3匹。
するとそれを見ていた中国人のスルーガイド、「チベット犬は今すごく人気があって、一匹100万元ぐらいします。この間は上海で白いチベット犬が300万元で売れました」って、犬一匹が4500万円!桁が一つ違うんじゃないだろうか。恐るべし、金満中国。

 
中国国際航空のB757は時間通りに出発してチベットを離れる。上空からもナムチャバルワが良く見える。

 1時間半ほどで到着した成都は今日ももやっている。
成都は湿度が高いので、それで成都の女性は肌がきれいだといわれているそうな。

 成都の街は来る度にビルも車も増えて大きくなっている。

今日はこの街で一泊。午後半日時間があるが、すでに成都には何度も来た事のあるお客ばかりということで旅行社も頭を悩ませたらしい。
そしてつれて来られたのが金沙遺址博物館。
 
不勉強にして知らなかったが、ここは2001年、住宅建設中に発見された遺跡で、出土物から今から3000年ほど前、三星堆につぐ長江文明の遺跡とわかったのだそうだ。そこで住宅建設は中止、30万平方メートルの広大な遺跡公園が作られたということらしい。

 入場料は80元(1200円)もする施設だが、広い園内には幼稚園の遠足をはじめ、中国人観光客も大勢来ている。

まずは遺跡館へ向かうと
 
発掘現場が大きな屋根に覆われて保存されている。西安の兵馬俑大博物館を思い出す。

ここから出土したものを見るために次はこれまた大きな陳列館へ。
 
この博物館は2007年にできたのだそうで、出土品の研究がまだ進んでいないのか、解説はあまり詳しくないが、展示の仕方は見事。
 小さな出土品をおしゃれにディスプレーし、ビデオやタッチパネルを多用して実に見やすく楽しい。

  
この博物館で一番有名なのは左の「太陽神鳥」という金の円盤。これがいまやパンダと並んで成都のシンボルマークになりつつある。
右の金のマスクは確かに三星堆とのつながりを感じさせる。

さらに
 
石の虎とか、小さな鳥とか
 
この宇宙人のようなものはなんだろう。
 
後ろ手に縛られた捕虜の石像がたくさんあるのも何か呪術的な意味があるのか、とても面白い。

博物館好きとしては大満足して出口を出るとそこには大きなミュージアム・ショップ。これも期待して入ると、なんと展示物の絵葉書などがまったく売っていない。英語の手軽な解説書もサンプルはあるものの「すいません、在庫切れです。」一生懸命探してくれたから許すけど
 こんなもの売るならせめて絵葉書を売ろうよ。

夜は成都で一番有名と思われる「陳麻婆豆腐」で夕食。
 一階はかなり庶民的な感じの食堂だが、そこよりも2階のレストランの方が混みあっている。

ここで麻婆豆腐や麻婆茄子をはじめずいぶんたくさんの料理を出されたが
  
正直どれもあまりおいしくない。唐辛子も山椒もなんだかぼけてるし、坦々麺など誰も手を出さないほどのまずさ。
 空洞の万頭にひき肉を詰めて食べる、これがおいしかったぐらい。

互いに慣れて来た頃、成都在住のスルーガイドに聞いてみると、「あの店は本店が火事になってから移転してオーナーも替わりました。味もおいしくなくなったので、成都の人は地方からお客さんが来た時しか行きません」だって。

う~ん。


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東チベット・雲南の旅 3 バーイー

2010-05-03 01:00:15 | チベット文化圏
3月18日

朝、街のレストランで朝食をとっているとこの地方に特有の格好をしたチベット人が次々に通りかかる。
  
茶色のフェルト地でできたポンチョのような袖なしの上着、腰の辺りには前後に江戸妻のように金地の華やかな布でアクセントがつけられている。これはこのコンボ地方だけの衣装のようで、チベットでも他では見たことがない。

前夜チベット地区からの退去を命じられたものの、次の大きな町バーイーまでは行けるとのことで東へ向かう。
 途中見える山には雪がかぶり、しかし周りには緑も増えてきて、ここから先こそ景色がいいはずなのに、と悔しさがこみ上げる。

途中の路上でラサへの巡礼者に遭遇。
 手には木の下駄をはめ、革の前掛けをして五体投地を繰り返す。
当然、何週間、何ヶ月もかかるので、集団を組み、荷物を運びながら移動する。
 
荷物の後ろに乗っていた太陽電池はもしかして携帯電話用だろうか。

ここでは皆さん、食事休憩中。
 
お茶を飲みながらパンや干し肉をかじり、ツァンパをこねる。キャンプみたいでなんだか楽しそう。

バーイーの手前、パソンツォへの分岐点でポスポートチェックの検問。
チベット仏教の聖湖、パソンツォも行くはずだったのに、今日は中国人も立ち入り禁止だと言う。

 昼に到着したバーイーは川蔵公路の開通と共に中国人が作った町。町の名前「八一」からして中国人民解放軍の建軍記念日にちなんでいる。今ではかなりの人口があるようで、だだっ広い土地に3,4階建てのビルが建ち並び、学校や病院が作られている。

昼食をとっている間に旅行社が許可をもらって、町の東のセチ・ラ峠まで行けることになった。
 バーイーの東80キロ、この峠の標高は4515メートル。
  
そしてこの雪に覆われた峠からは7782メートルのナムチャバルワ峰が良く見える。と言っても肝心の特徴ある形の主峰は雲の中だそうで、しばらく粘ってみたがついにその姿を拝むことはかなわず。

そうして待っている間、峠をチベット人を満載したトラックが次々に通り過ぎていく。
 
彼らもラサへの巡礼者だろう。みんなとても明るくて楽しそうだ。
東で暴動が起こったらしい(それで我々は追い出される)という噂は本当なのか、ここにいてもさっぱりわからない。

 峠の写真スポットでは中国人の学生と思しきグループがおおはしゃぎで撮影会。雪の中で飛んだり跳ねたり、君たちはここが4500メートルあるってわかってるのかね。

峠を下りて3000メートル付近まで来ると桃の花が満開。
 
 
そこらじゅうを牛や羊、豚や鶏がうろうろしているし、やっぱり東チベットは良さげな所だ。

バーイーの街に戻ってホテルにチェックインすると玄関には大きな横断幕。
 これはどうも我々のことらしい。
冬の間は休業していたホテルの、再開後初の客が我々だったらしいのだが、この調子ではまたしばらく休業せざるを得まい。

チベット最後の夕食はホテルの向かいのレストランでチベット風の鍋。
 ここまでずっとありきたりの中華ばかりだったので、客一同喜ぶ。

この食事の最中に旅行社から今後のスケジュール変更の説明。
明日にはチベットを出なければならないが、そのまま東京に帰ると航空券の買い直しなどで返金は2万円程度にしかならないとのこと。
雲南に滞在して予定通りに帰るなら予算内でスケジュールを組むというので、雲南には行ったことがないし、せっかく休暇もとったので雲南に行くことにする。
すでに雲南に行ったことのあるオタッキーズ仲間はちょっと不満だったみたいだけれど、結局全員がツアー続行を決定。
おそらくは徹夜でスケジュールを組みなおしただろう東京と成都の旅行社もほっとしただろう。

それにしてももうチベットを出なければならないとは、せっかく今回は高度順応も今までになくうまく行っていたのに、くやしい~!


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東チベット・雲南の旅 2 ガンデン寺

2010-05-02 02:09:12 | チベット文化圏
3月17日

東チベットへの旅行許可申請のため、今朝はゆっくりの出発。
 朝日に輝くポタラ宮に挨拶してラサの街を離れる。

東に向かって市街を出ると広々とした畑にオグロヅルの群れを発見。
 
冬はブータンに越冬に行くこの鶴、日本語だと「オグロ」で英語だとBlack Neck Crane。まあ、どちらも黒いのだけれど。

 やがて街道を離れ、九十九折りの道を登って4200メートルの高さに達する。
この景色、空の近さ、チベットに来たことを実感してうれしくなる。

  
ヤクの向こう、山の上に広がっているのがゲルク派の開祖、ツォンカパによって1409年に建てられたガンデン寺。
と言っても中国軍の侵攻以来、この寺は一度完全に破壊され、今の建物は最近になって建て直されたもの。大きなクレーンも見え、再建はまだまだ続いているらしい。

  
駐車場には街からの定期バスが停まり、チベット人たちはお寺を眺めながらのんびり。境内では若い坊主が携帯電話で長話。由緒ある寺でもチベットの寺はどこかのんびりしている。

 たくさんのお堂が並ぶ中で、まずは大集会堂へ。
  
中の仏像は新しいものだが、お寺の中の空気はちゃんと祈りの場の空気。

 
中では砂曼荼羅の製作中で、その横ではお守り紐を販売中。写真を撮ると20元だが、お布施だから快く払いましょう。

この寺ではもう一箇所、ツォンカパ霊塔殿へ。
ツォンカパの遺骨は中国軍の侵攻、文革の時もチベット人が必死に守ったと聞いた。
その霊塔にお参りできて、まずは満足。

山を降りて、近くの町でお昼。
 典型的な中国の田舎町。

ここを出てさらに道を東へ。
 四川省の成都につながる川蔵公路はえらく立派に舗装されて快適だ。

やがてバル・ラ峠に到着。
  
標識には5013メートル、日本のガイドブックでは4930メートル。
 だらだらと上って来る峠なので見晴らしはさほど良くないが、我々が到着するとちゃんとみやげ物売りがやって来る。この子からルンタを買ってまき、道中の安全を祈願した。

この峠を下りるといよいよ東チベットのコンボ地区に入っていく。
と、景観の中にいやに場違いな紫や赤、青のけばけばしいトタン屋根が目立つようになった。
 街道筋に並ぶこの家々、「模範村」とか称されて山の中に住むチベット人を低地に降ろすプログラムらしい。窓枠などはチベット風の装飾になっているが、どうも不自然で空々しい空気が漂う。なによりもこの安っぽい屋根の色は環境破壊ではないか。もっともけばけばしく安っぽい屋根は日本でもそこらじゅうにあるけれど。

やがて夕方、今夜の宿泊地、コンボギャムダに到着。
 これまた典型的な「中国」の田舎町。
  
ホテルの部屋は一見きれいだけれどちゃんと掃除がしていなかったのでチェンジを要求。そうしたら前の部屋にはあった電気毛布がなく、エアコンの壊れた部屋にされてしまった。寒いよ~。

夕食はホテルを出た街の食堂で。
ここでいつもの野菜炒めを食べていると、添乗員が悲痛な顔をしてやって来て曰く、「皆さんに重大なお知らせがあります。この先、東チベットの旅行許可が急に取り消され、外国人旅行者はチベット地区から退去するようにとの通達が出されました。まだ詳細がわからないので確認中ですが、最悪旅行を中止しなければなりません」って、ええ~!

明日一日は情報収集をして様子を見るとのことだが、旅行3日目にしての重大事。
身も心も寒く床につく。


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