青根温泉「不忘閣」の入り口は新しいが、御殿湯などがある右手の建物はいかにも古めかしい。
金泉堂と名付けられたこちらは明治40年築だそうで、国の有形文化財。
飲み物の置かれた湯上りどころの向かい側の部屋はマッサージチェアも置かれた休憩室になっていて
秘湯提灯の下がる洗面所の窓の桟もいい感じだ。
この建物の2階が食事処になっていて
この急階段を上がって1組づつ個室でいただく。
事前に並べられていたのはクルミ豆腐に鯖の菊花和え、八寸にイカの酢の物。
どれも美しい盛り付け、八寸の中に甘辛く煮付けた苦瓜の佃煮というのがあって、こういう食べ方もあるのかと感心する。
お造りには岩魚のお刺身もあり、鴨つみれのお椀は伊達家の紋章入り。今年初めてのマツタケがいい香り。
お凌ぎの手打ちそばがすばらしくおいしく、中の透ける冬瓜饅頭がきれい。
焼き魚に添えられたイチジク田楽もおいしく、揚げ物は鰻をナスで挟んだ手の込んだもの。
仙台牛のお鍋に茶わん蒸しをいただくと配膳の間隔があいていたのもあってお腹いっぱい。
御飯はパスしてデザートをいただくと途中、畑を見た蔵王梨がみずみずしくてさっぱり。
どのお料理も美しくしっかり手がかけられ、最近食べた温泉旅館の食事の中では一番おいしいと思った。
中でもこれは近所の「川音亭」というお蕎麦屋さんのものだという手打ちそばがおいしかったので仲居さんにどこに店があるのかと聞くと、「この辺りは詳しくないのでどこと説明しにくい」と言う。聞けばここには2週間前に青森から来て、また2週間後には今度は後生掛温泉に行くとか。忙しい旅館の要望に応じて動く派遣業だそうで、なるほど最近はそういう業態もあるのかと感心。特に今のような特殊状況下では合理的だし、これからさらに需要も増えるだろう。あちらこちらと温泉に入れるのも良さそうだけれど、特にここの配膳は大変そうだ。
食事を終えて庭に面した障子を開けてみると
庭の向こうに輝いて見えるのが青根御殿と呼ばれる建物。
昼間の姿もかっこいい!
朝は8時から、昨晩と同じ部屋でお庭を見ながら
正統派の朝ごはん。
この宿では最近では珍しく夕食の間に布団が敷かれていたが、朝も食事の間に布団があげられていて、もうすっかり布団敷きっぱなしに慣れてしまっていたのでこれにはちょっとあせった。
8時50分からは青根御殿のツアーがあるというのでフロント前に集合。
7人ほどの客が集まり、女将に先導されて金泉堂の2階に上がり、廊下をまっすぐ行くと建物はつながっていた。
伊達家の殿様方が宿泊したというこの青根御殿、現在の建物は明治時代に焼失したものを昭和7年に復元したのだそうだが、中は現在は資料館になっていて、これを女将が立て板に水といささか愛想なく早口で説明していく。
最上階の部屋には伊達家ゆかりの品々が並んでいるが、ここには昭和40年代まで宿泊できたそうで、この奥の部屋に山本周五郎が宿泊して「樅の木は残った」を執筆したとか。
で写真右側の先のとがった木が樅の木。ここからは本にもある通り、仙台市やその先の松島の海まで見えるそうだが、この朝はあいにくの土砂降りで確認できず。窓の柄の入ったガラスがレトロでかわいい。
女将さんのツアーは10分ほどであっさり終わってしまうが、質問をすればいろいろ答えてくれて決して不親切なわけではない。しかし500年続くこの宿へのプライドは相当高そうだ。
ところで「樅の木は残った」、この宿に来るので泥縄で初周五郎を読んできた。
不勉強にして伊達騒動のことも全く知らなかったのだが、伊達藩を救うべく寡黙に泥をかぶる原田甲斐のかっこいいこと。しかし藩存続のためにすべてを犠牲にするって、これは江戸時代ではなく、この本が書かれた1950年代の価値観だろう。史実はわからないらしいし、70年後の今読むとあまり納得できない。
なんてことを思いながら最後にもう一度大湯を堪能させていただき、バスの時間に合わせてゆっくり10時20分に宿を出発。
遠刈田アクティブリゾーツから今度は仙台駅行きの高速バスに乗る。
出発から30分ほどは遠刈田周辺で客を拾い、仙台まで1時間10分。
仙台駅では抹茶とずんだのジェラートを食べて、駅弁も伊達政宗で締めてみた。
同じ「日本秘湯を守る会」ながらまったく毛色の違う元湯夏油と青根温泉「不忘閣」、どちらも行ってよかった。
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