マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

DD51重連:急行「ニセコ」

2007-08-06 01:15:35 | 国鉄・JR機関車(ディーゼル)
朝起きてからになりますが、また1週間仕事の始まりです。スタンプラリーも終了して、なんだか緊張が解けて脱力感さえ感じます。今日から仕事も忙しくなりそうで、ブログの更新にも影響してこないか心配な面もあります。

ところで、スタンプラリーに気をとられてスッカリ忘れていたのですが、このブログを始めて昨日で6ヶ月になりました。今のところ1日も休まず続けられております。これも読者の方からの心温まる応援メッセージ、そして、カウンターの数字が返してくれる声援があってのことと感謝いたしております。自分のことだからどうせ長続きしないと思ったのですが・・・。意外にもって感じです。

前置きが長くなってしまいましたが、本題に入ります。

今日は、どちらかというと「憧れシリーズ」と言ってもいいのかな?というネタですが、北海道を代表する急行列車であった「ニセコ」をお届けいたします。

急行「ニセコ」といえば、C62が全区間を牽引し、長万部~小樽を山線経由で重連運転を行い、SLブームに大ブレイクした列車としてはあまりにも有名ですね。ただし、私はその頃まだ鉄道写真を撮り始めたばかりですし、地元では見たことの無い(1回だけ見たような記憶は残っているのですが・・・)SLは興味ありませんでしたし、まして地元以外に写真を撮りに行くなんて考えてもみない頃でした。したがって、その頃の話は「知ッタカ」になってしまいますのでいたしません。

時刻表では小学校の頃から「ニセコ」の存在は知っていましたが、昭和49年の時刻表を見ると、改めて変わった列車だったなぁと思います。
と言うのも、上下で2往復設定されていて、1往復はディーゼル、もう1往復は伝統の客車列車です。そして、下りは2本とも函館~札幌を函館本線を山線経由で結んでいましたが、上りの客車列車は札幌~函館であるのに対し、ディーゼルの方は根室~函館を結んでいました。ちなみに、上りの「ニセコ2号」は、根室8:30発で函館には23:05着ですから、14時間半も掛けて走破していたことになります。
ディーゼルの「ニセコ」は、函館~札幌、上りの根室~札幌に分割された上で特急に格上され、客車列車の「ニセコ」のみ残ることになります。おそらくですが、本州直通の郵便・荷物輸送の関係があったからではないかと思われます。

私が初めて「ニセコ」に乗ったときは、まだスハ45系の旧型客車でしたが、写真を撮りに行ったときには残念ながら14系化された後でした。




昭和58年9月6日 函館本線 小沢~倶知安間にて DD51重連で牽引する急行「ニセコ」

この時は「蝦夷梅雨」にあたってしまい、天気が悪く移動もままならなかったので、良いロケーションでの写真が撮れませんでした。それでもDD51重連の牽く列車は迫力満点で、最高に感動いたしました。


昭和58年9月7日 函館本線 大沼公園~赤井川間にて 急行「ニセコ」

こちらは重連区間のものではありませんが、下りと上りの荷物車の対比参考のために。

過去記事参考 DD51 3ツ目の「ニセコ」→http://diary.jp.aol.com/applet/marutetsu/20070328/archive

現在では、重連仕業の残る客車列車はすべて北海道のブルトレだけであり、しかも北斗星塗装というオマケ付ですから、自分的にはどうしても違和感があってしまうわけですが、それでも貴重なDD51になってきましたから、元気なうちにもう1発押さえておかなければいけないか、と思ってはおります。

コメント (2)
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