こんばんわ。
今日は、EF80が牽引していた頃の寝台特急「ゆうづる」をお届けしたいと思います。
上野~青森を常磐製経由で結んでいた「ゆうづる」は、北海道へのアクセス寝台特急としてあまりにも有名であります。東北方面への寝台特急としては、唯一電車寝台と客車寝台との多層立て列車でした。
東北本線沿線に住む私としては、本来この「ゆうづる」には縁遠いはずなのですが、上野に到着した寝台特急を収容する尾久客車区は、特急列車全盛の頃にはあまりにも手狭であたため、東大宮操車場に回送される「ゆうづる」が多く存在しました。早朝の東北・上越からの夜行列車を撮影していると、EF80の牽引する「ゆうづる」や583系の「ゆうづる」もしばしば出くわしました。

昭和51年頃 東北本線 大宮駅にて 東大宮への回送で一旦停車する20系「ゆうづる」
写真は、「ゆうづる」がまだ20系だった時代の頃。牽引機はもちろんEF80。次位に連結されているのがナハフ21形改造のナハネフ21形で、座席車時代の狭窓が特徴の車両です。同回送は、上野~大宮間で見られる数少ない定期のEF80でした。

昭和53年頃 東北本線 井堀信号場(上野~尾久間)にて 「ゆうづる」推進回送
ネガカラーを無理矢理モノクロプリントしたもので、大変見づらくて恐縮です。
写真はEF80トップナンバー車が推進する「ゆうづる」の回送です。上野着の客車「ゆうづる」は、基本的に地平ホーム到着していたため、尾久への回送は必然的に推進運転となりました。客車は既に24系25形化されているようです。

昭和56年3月9日 上野駅にて 出発を待つEF8010牽引「ゆうづる」
北海道への撮影旅行の出発を前に、上野駅のホームでブルトレを撮影していたときに捉えたものです。
これらの写真は、東京駅発着のブルトレを除きヘッドマークが未取付けの頃でしたので、本数はありましたが、趣味的にはブルトレ冬の時代だったといえると思います。その後、EF80が廃車、EF81に置き換わる頃に前後して、機関車へのヘッドマークが復活することになりましたが、残念ながらその頃の写真は撮っていませんでした。
今日は、EF80が牽引していた頃の寝台特急「ゆうづる」をお届けしたいと思います。
上野~青森を常磐製経由で結んでいた「ゆうづる」は、北海道へのアクセス寝台特急としてあまりにも有名であります。東北方面への寝台特急としては、唯一電車寝台と客車寝台との多層立て列車でした。
東北本線沿線に住む私としては、本来この「ゆうづる」には縁遠いはずなのですが、上野に到着した寝台特急を収容する尾久客車区は、特急列車全盛の頃にはあまりにも手狭であたため、東大宮操車場に回送される「ゆうづる」が多く存在しました。早朝の東北・上越からの夜行列車を撮影していると、EF80の牽引する「ゆうづる」や583系の「ゆうづる」もしばしば出くわしました。

昭和51年頃 東北本線 大宮駅にて 東大宮への回送で一旦停車する20系「ゆうづる」
写真は、「ゆうづる」がまだ20系だった時代の頃。牽引機はもちろんEF80。次位に連結されているのがナハフ21形改造のナハネフ21形で、座席車時代の狭窓が特徴の車両です。同回送は、上野~大宮間で見られる数少ない定期のEF80でした。

昭和53年頃 東北本線 井堀信号場(上野~尾久間)にて 「ゆうづる」推進回送
ネガカラーを無理矢理モノクロプリントしたもので、大変見づらくて恐縮です。
写真はEF80トップナンバー車が推進する「ゆうづる」の回送です。上野着の客車「ゆうづる」は、基本的に地平ホーム到着していたため、尾久への回送は必然的に推進運転となりました。客車は既に24系25形化されているようです。

昭和56年3月9日 上野駅にて 出発を待つEF8010牽引「ゆうづる」
北海道への撮影旅行の出発を前に、上野駅のホームでブルトレを撮影していたときに捉えたものです。
これらの写真は、東京駅発着のブルトレを除きヘッドマークが未取付けの頃でしたので、本数はありましたが、趣味的にはブルトレ冬の時代だったといえると思います。その後、EF80が廃車、EF81に置き換わる頃に前後して、機関車へのヘッドマークが復活することになりましたが、残念ながらその頃の写真は撮っていませんでした。