こんばんわ。
今日はまた東京発着のブルトレシリーズで、EF65500番台牽引の「出雲」をご紹介したいと思います。
当初、東京から唯一の山陰方面への直通列車として誕生した「出雲」ですが、昭和47年までは急行列車として設定されており、同改正で特急に格上げされています。
特急になった当初は20系寝台客車の使用で、電源車・1~7号車までの基本編成が東京~浜田間、付属編成の8~11号車までが途中の出雲市止まりとなっていました。
牽引機は、東京~京都が当初からEF65500番台、山陰本線内はかの有名なDD54が担当していました。しかし、DD54は故障が多かったため、直ぐにDD51に変わっています。
今日ご紹介いたします写真は、EF65500番台末期の頃のものです。
昭和50年頃 東京駅にて 発車を待つEF65527牽引「出雲」
ポケットカメラでの撮影なので、構図・画像とも大荒れでスミマセン。
多分、鉄道写真を始めて最初に見た「出雲」です。他では白や青を基調としたヘッドマークデザインが多い中で、鮮やかな赤をベースとしたヘッドマークが非常にカッコよく感じられました。
昭和52年頃 東京機関区にて 夕方までお昼寝中のEF65507「出雲」
東海道線か横須賀線電車の車内から覗いて撮った写真です。この位置にヘッドマーク付きの機関車が停まっていることは珍しかったと思います。しかも、早朝着夜間発の「出雲」は子供の頃にはGETし難い列車でしたので、非常にラッキーでした。
昭和53年9月 東京駅にて 機回し中11番線に停車中のEF65512「出雲」
東京駅に到着し、品川客車区へ回送のために機回し中のEF65512。
通常、東京着のカマが機回しを行う際、この方向ではヘッドマークが反対サイドについているのですが、この「出雲」だけは、東京~京都~東京と即時で折り返してくる運用だったため、常に前後にヘッドマークを付けていました。よって、本運用でも回送でも普通に撮影できた唯一の特急でした。
昭和53年10月の改正より、特急「いなば」の運転区間延長により誕生した2往復目の「出雲」がありますが、前身となる急行「銀河1号・紀伊」からの流れにより終始宮原機関区のEF58がその運用に当たっていたため、EF65500番台が運用を担当したのは1往復のみでした。
今日はまた東京発着のブルトレシリーズで、EF65500番台牽引の「出雲」をご紹介したいと思います。
当初、東京から唯一の山陰方面への直通列車として誕生した「出雲」ですが、昭和47年までは急行列車として設定されており、同改正で特急に格上げされています。
特急になった当初は20系寝台客車の使用で、電源車・1~7号車までの基本編成が東京~浜田間、付属編成の8~11号車までが途中の出雲市止まりとなっていました。
牽引機は、東京~京都が当初からEF65500番台、山陰本線内はかの有名なDD54が担当していました。しかし、DD54は故障が多かったため、直ぐにDD51に変わっています。
今日ご紹介いたします写真は、EF65500番台末期の頃のものです。
昭和50年頃 東京駅にて 発車を待つEF65527牽引「出雲」
ポケットカメラでの撮影なので、構図・画像とも大荒れでスミマセン。
多分、鉄道写真を始めて最初に見た「出雲」です。他では白や青を基調としたヘッドマークデザインが多い中で、鮮やかな赤をベースとしたヘッドマークが非常にカッコよく感じられました。
昭和52年頃 東京機関区にて 夕方までお昼寝中のEF65507「出雲」
東海道線か横須賀線電車の車内から覗いて撮った写真です。この位置にヘッドマーク付きの機関車が停まっていることは珍しかったと思います。しかも、早朝着夜間発の「出雲」は子供の頃にはGETし難い列車でしたので、非常にラッキーでした。
昭和53年9月 東京駅にて 機回し中11番線に停車中のEF65512「出雲」
東京駅に到着し、品川客車区へ回送のために機回し中のEF65512。
通常、東京着のカマが機回しを行う際、この方向ではヘッドマークが反対サイドについているのですが、この「出雲」だけは、東京~京都~東京と即時で折り返してくる運用だったため、常に前後にヘッドマークを付けていました。よって、本運用でも回送でも普通に撮影できた唯一の特急でした。
昭和53年10月の改正より、特急「いなば」の運転区間延長により誕生した2往復目の「出雲」がありますが、前身となる急行「銀河1号・紀伊」からの流れにより終始宮原機関区のEF58がその運用に当たっていたため、EF65500番台が運用を担当したのは1往復のみでした。