マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

583系「みちのく」 (過去ログ含めて一挙公開!)

2007-08-12 01:35:51 | 特急型電車(交直流・交流)
こんばんわ。

このブログを立ち上げて間もない頃、「憧れシリーズ」で何回かに分けて583系特急「みちのく」をお届けしていましたが、今回は撮影から20年以上を経てやっと陽の目を見ることとなった写真を含めて一挙に公開したいと思います。

特急「みちのく」の生い立ちは説明する必要も無いと思いますが、若い人たちのために一応概要だけでも。
上野から常磐線経由で青森を結んでいた583系使用の特急です。夜行「ゆうづる」が常磐線経由で最大7往復も設定されていたのに対し、特急「はつかり」が常磐線経由から東北本線経由に移行した後は、昼行の常磐線青森行き特急として唯一の存在であり、臨時・増発運転もされることなく、廃止されるまで一貫して1往復体制を固持していました。

私個人として、東北のイメージそのままの愛称である「みちのく」というネーミングが大好きでしたが、1往復だけしか走っておらず、あまり常磐線への撮影にも行ってませんので、好きな列車の割りに撮った写真は少なかったと思います。あまり良い写真ではありませんが、ここにすべてをお届けいたします。



昭和52年頃 上野駅にて(再掲)


昭和51年頃 上野駅にて(再掲)

いずれも文字マーク時代の「みちのく」です。583系独特の夜行列車に似合いそうな蛍光色っぽいヘッドマークが大好きでした。下の写真は、九州からやってきた開放型タイホンを装備した暖地向け車両で、1年くらいはこの姿で走っていました。東北新幹線の工事により消滅してしまった上野駅20番線での写真です。


昭和55年頃 常磐線 日暮里~三河島間にて 下り「みちのく」(再掲)

「みちのく」も53・10ダイヤ改正でイラストマークに変わってしまいました。何か、オリジナルのヘッドマークでないと、583系が引き立たないようで残念でした。
雑誌掲載のための協力ということで、無理矢理走行写真を仕立てたのですが、残念ながらボツになった写真。結構カッコ良く撮れたと思うんですが・・・。


昭和56年頃 上野駅にて

東北新幹線開業を目前に、上野駅が特急列車で一番賑わっていた頃。私が高校3年生のときで、飯田線・身延線・大糸線の旧型国電にハマっていた頃でもありますが、東北新幹線の開業でほとんどの特急がなくなることは勿論想像がついていましたので、学校へはカメラ持参で通学し、帰りは上野駅で写真を撮るといった生活が日々行われていました。


昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて

昭和57年6月に開業した東北新幹線ですが、開業の遅れた上越新幹線のお陰で大規模な改正は57年11月にズレ込むことになり、約半年間長生きすることができた「みちのく」。急行「ときわ」を吸収する形で大増発が予定される「ひたち」の発展を尻目に、1ヵ月後に迫る廃止を目前にして最後の活躍をみせる「みちのく」でした。


昭和57年11月14日 常磐線 日立駅にて 最終日上り「みちのく」

常磐線経由で孤軍奮闘・活躍してきた583系「みちのく」でしたが、上越新幹線の開業・ダイヤ改正を明日に控え、最終日を迎えることとなりました。
私はこの時点では既に国鉄に就職していたのですが、たまたま休みの日だったので、指定券を取って最終の「みちのく」に乗ることにしました。そして、できるだけ北限まで行けるところということで、この日立駅から乗車することになりました。


昭和57年11月14日 上野駅にて 下り最終「みちのく」 最後の旅立ち

私の乗車した「みちのく」は、途中遅れることも無く無事にその使命を果たし、上野駅に到着。尾久客車区に引き上げていきました。
下り「みちのく」は上り「みちのく」の到着後に上野駅を発車しますが、折返しではなく、別の運用となっていました。
そして、本当の最終となる下り「みちのく」を見送るため、ホームで待ちました。最終日でもある関係で、鉄道少年たちで大変な事態になっています。しかしそれは、東北特急としては地味ながらも、583系という人気車両でひたすら働き続けてきた彼への心、想いの表れと言えるでしょう。

そして、発車のベルが鳴り終わり、遠く先頭車両の方からタイホンの音が聞こえると、列車は静かに動き出し、永遠の陸奥(みちのく)路へと旅立っていきました。

コメント (6)
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