マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

ローカルな風景 第25回 (国鉄大隅線:キハ25)

2007-08-09 01:03:52 | ローカルな風景
昨日は思わぬ残業で、帰ってきたのが23時過ぎてしまいました。本当はもう1本アップしたかったのですが・・・。

今日はローカルシリーズの第25回目で、国鉄「大隅線」をお届けいたします。
国鉄「大隅線」は、昭和47年に日豊本線「国分」から「志布志」を結ぶ路線として開業しました。私は全線乗ったわけではないのですが、鹿児島湾と桜島を望む風光明媚な路線でありました。

私が訪れたのは昭和57年、国鉄職員の正職員になって初めて全国パスを交付してもらえる資格を得た直後でした。しかし、同年10月に資格を得て、直ぐに全国パスが廃止されてしまったので、先輩とこの九州旅行に来たのが最初で最後の全国パスの使用でした。

短い期間で九州をほぼ1週したため、ローカル線をゆっくり撮影する暇もなく、鹿児島からフェリーで桜島へ抜け、桜島の付け根にある「垂水」という駅から、小倉へ向かうべく国分までと、乗車したのはわずかな区間だけでした。


昭和57年11月25日 大隅線 垂水駅にて キハ257+キハ47?

このとき乗ったのは、タラコ色のキハ20系と40系の2両編成でした。
正直このタラコ色というのは好きになれず、このころあまり写真を撮りたがらなかったのですが、折りしも「国鉄解体」「赤字ローカル線の切捨て」の声がかなり大きくなっていた頃でしたので、2度と訪れることも無いと予測して写真を撮っておきました。バス窓の初期車でしたし、もうチョットキハ20系らしい写真を撮っておけば良かったと後悔しています。


同上 キハ25 7 のナンバーとサボ

この頃からローカル線はこのような写真を撮るようにしていました。駅名標などが丁度入る場所にないと、何線だったかも判らなくなってしまうので、記録用としての最後の手段でした。特に、当時でも相当貴重となってきたキハ20系でしたので、バス窓と初期ナンバーは垂涎ものでした。

記録によれば、同「大隅線」はその後の経営改善も見られず、奇しくも私が国鉄を去ることになった昭和62年3月31日をもって廃線となりました。
コメント (4)
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