マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

DD51 2 (ブログ「デザイン屋の日々」さまから)

2007-11-04 15:03:41 | 国鉄・JR機関車(ディーゼル)
私がいつもお邪魔しておりますブログ「デザイン屋の日々」管理人のline様のコメントより、大変貴重な写真のご提供をいただきましたので、ここにご紹介させていただきたいと思います。

先日、北上線を走る20系客車を使用したDD51牽引の「おが」に関する記事をアップいたしましたが、これに関連して、line様より男鹿線を走るDD512牽引の旧客時代の急行「おが」の画像を紹介されました。

写真の構図も然ることながら、状況の描写が大変すばらしく、いつもはヨダレをたらしながら拝見しているのですが、今回は鳥肌が立ってしまいました。


とにかく写真を1度ご覧ください。
※下のURLをクリックした後、記事下方のコメント欄「キハ181つばさ」への回答コメントに表示されているURLをクリックしてください。

line様「デザイン屋の日々」 http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/83.html#comment

男鹿線を走るDD51の2号機が旧客編成を牽く画像ですが、座席車に続きB寝台・A寝台・座席車1両(指定席車)という編成で、荷物車が連結されていないことから、紛れも無く急行「おが」であることが判ります。
当時の編成を知る者にとって、写真1枚から1つの列車を判別することができる大変すばらしい構図に感動いたしました。
そして何より、牽引機が2号機であることです。

実は、ここにこの写真をご紹介させていただいた理由はもう1つあります。
この写真を見て、何か気が付かれたことはありますでしょうか?


私の知る限り(というか、私が知らなかっただけかも)、DD51の初期車は、試作車の1号機から19号機までは正面の白線が直線で結ばれており、ナンバープレートの部分はグレーになっている筈です。これは、DD51初期車の外見における最大の特徴と思っております。
このことについては、過去ログにも掲載しておりますので、ご覧いただければお解かりいただけると思います。 http://diary.jp.aol.com/marutetsu/img/1190041424.jpg

この2号機の写真をじっくり拝見させていただくと、ナンバー上を横切る線が不安定で、さらに注意深く観察すると、左右のライトの下辺を結ぶ辺りに直線の塗装痕のようなものが伺えます。ですので、何らかのきっかけで強引に塗り替えたのではないかと想像することもできます。

2004年12月号の「鉄道ピクトリアル」誌でDD51が特集してあり、詳細な解説資料が掲載されていますが、2号機の塗色に関する記事が見当たらないことから、いつ頃からいつ頃まで、或いは昭和60年8月15日付で廃車になるまでこの標準塗装であったのか謎であります。

私は個々の車輌の調査・研究をするほどの技量も知識もありませんが、今回この貴重な写真をご提供いただき、大変勉強になりました。
また、line様のブログ「デザイン屋の日々」 http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/では、私と同時期またもう少し前の時代の写真を、私の写真とは比べ物にならない、すばらしい構図で紹介されております。
ご覧の皆様も、ぜひお尋ねになってみて下さい。オススメです。
コメント (2)
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EF58152・153:宇都宮区のヒサシ兄弟

2007-11-04 02:20:12 | EF58のアルバム
間が開きましたので、EF58ネタにしたいと思います。

今日ご紹介いたしますのは、晩年を東北本線で過ごした上越仕様の152号機と153号機です。
この両号機に関しては、残念ながら詳細な資料がありません。したがって、わかるところだけ情報提供したいと思います。

152号機・153号機とも上越仕様車で、ツララ切りを装備していますが、宇都宮区配置に当たってホイッスルカバーは外されたようです。
パンタグラフは標準のPS15、エアフィルタは原形のようです。デフロスタについては、写真で見る限り昭和55年の頃には装備されていないことから、これ以降取り付け工事が施工されたものと思われます。
運転席の窓については、152号機が比較的早いうちにHゴム化されたのに対し、153号機は原形のまま残っていました。
いずれの事項についても最晩年の形態を示す写真が残っていませんので、153号機のHゴム化やエアフィルタの改造については不明です。

では、まず152号機の写真から。


昭和53年10月頃 東北本線 蕨~西川口間にて EF58152牽引の旧型客車列車

ピンは甘いわ遠いわで判りにくい写真ですが、この時代は精一杯の写真ですのでご勘弁を。東北本線の普通客車列車が全廃となる直前の画像です。
知識は足りないのですが、夕刻であることから考えて、宇都宮止まりの上り124列車から宇都宮発上野行きの回送48列車のスジとなる、毎日運転の送り込み回送と思われます。昔の時刻表によると、ゴールデンウィークに快速列車48レとして時刻表にも掲載されておりますので、郵便車は営業のまま、客車は締め切り扱いの「荷物列車」として運転されていたようです。


昭和55年8月13日 上野駅にて 455系と並び出発を待つ152号機

お盆の多客シーズン真っ盛りの上野駅。455系は山形・会津若松から到着した「ざおう6号」「ばんだい10号」。152号機牽引の列車は「津軽3号」と思われます。時刻表によると、この並びはありえない筈なのですが、番線変更があったのかもしれません。
EF57の引退後、EF58が最も活躍していた時期といえるでしょう。


昭和56年5月 東北本線 蕨~西川口間にて EF58152牽引「八甲田」 (再掲)

12系化された後の上り急行「八甲田」。12系9連で上野方にスニ40を連結しています。以前はワサフ8000を連結していましたが、12系化とほぼ同時期に置き換えられたと思われます。


続いて153号機です。


昭和52年 東北本線 大宮駅にて 153号機牽引の上り「八甲田」(再掲)

こちらは旧客時代の急行「八甲田」。この当時はワサフ8000の他に、さらに郵便車が連結されています。電気暖房を必要とする旧客時代の、もっともEF58が力を発揮していた時代の1コマです。


昭和52年8月 東北本線 蕨~西川口間にて 12系臨時急行を牽く153号

ピンボケ写真で恐縮です。上りの臨時急行列車と思われますが、資料が不足しており詳細は不明です。当時、12系臨時列車の場合は、東北急行が6連+6連の12両編成、上越線は9連が一般的でした。写真は12系8両編成であり、東北本線の急行列車として考えるのは非常に不自然なため、ひょっとすると、信越からの臨時急行を高崎から牽いてくる臨時運用に借り出されたことも否定できません。とにかく、なぞの列車です。


ここまで、その形態が酷似していることから兄弟扱いで紹介してきました。
確かに、152号機が昭和33年3月27日、153号機が同年4月6日に東芝製で新製されたので、出生こそ兄弟といえますが、新製配置に関して調べると、152号機が高崎第二区、153号機が宇都宮区と、いきなり全く違った道を歩んでいます。
したがって、152号機は上越仕様として誕生し、後に宇都宮区で活躍した経緯は解かりますが、新製当初から生え抜きの宇都宮っ子の153号機がどの時点で上越仕様になったのか、或いは初めから上越仕様として誕生し予定変更で宇都宮区に配置になったのかは不明です。また新たな資料がありましたら、その辺りの詳細を掲載したいと思います。

※ 152号機は昭和58年2月18日、153号機も同年3月11日付で廃車となっています。

コメント (6)
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