今日は久しぶりにEF15をお届けいたします。
今日お届けいたしますのは、東京機関区に所属していたEF15のうち、最終増備グループと最終の一つ手前のグループに属するカマです。
最終増備グループとは、162~最終202号機までを指し、登場時から全面窓及び側窓がHゴムとなり(一部例外を除く)、パンタグラフはPS15を搭載しています。ナンバープレートも切り抜き文字となっており、初期車に比べるとやや洗練された感じがいたします。
東京機関区に所属していたEF15は、基本的に上越仕様ではありませんので、スノープラウやホイッスルカバー、デフロスタの装備はありません。

昭和55年10月 東北本線 蕨~西川口間にて EF15178牽引の貨物列車
データ
昭和33年 8月12日 東芝製 新製配置 米原機関区
昭和39年 9月30日 広島機関区へ移動
昭和54年 6月19日 東京機関区へ移動
昭和57年12月 8日 廃車
このデータから見ると、写真は広島区から転属してきてまだ1年くらいしか経っていない頃です。東京区での活躍はわずか3年半で、貨物輸送の縮減やこれに伴う新性能機の転入による動きの激しさ窺えます。
次は、最終増備の一つ手前のグループです。このグループは130~160号機までが対象となります。このグループ以降のパンタグラフはPS15が標準搭載となっている一方、全面及び側面窓は原形スタイルのまま製造されています。
最終グループとは異なり、ナンバーがプレートだったり切り抜きだったり飛び飛びであり、前期形と後期形の過渡期を形成しているグループだったようです。

昭和57年6月 品川駅にて 出発を待つEF15153牽引の貨物列車
データ
昭和32年 8月14日 川崎製 新製配置 新鶴見機関区
昭和37年10月 1日 沼津機関区へ移動
昭和39年 1月11日 広島機関区へ移動
昭和54年 1月17日 東京機関区へ移動(借入れにより53.11.9より在籍)
昭和58年11月11日 廃車
品川駅で偶然撮った153号機ですが、このカマは全ての窓がHゴム化されておらず、非常に美しいスタイルのまま残っていました。東京区生え抜きのカマだと思っていたのですが、意外と流転の人生を送っており、最後までこの姿を保っていたのは奇跡と言えるでしょう。

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今日お届けいたしますのは、東京機関区に所属していたEF15のうち、最終増備グループと最終の一つ手前のグループに属するカマです。
最終増備グループとは、162~最終202号機までを指し、登場時から全面窓及び側窓がHゴムとなり(一部例外を除く)、パンタグラフはPS15を搭載しています。ナンバープレートも切り抜き文字となっており、初期車に比べるとやや洗練された感じがいたします。
東京機関区に所属していたEF15は、基本的に上越仕様ではありませんので、スノープラウやホイッスルカバー、デフロスタの装備はありません。

昭和55年10月 東北本線 蕨~西川口間にて EF15178牽引の貨物列車
データ
昭和33年 8月12日 東芝製 新製配置 米原機関区
昭和39年 9月30日 広島機関区へ移動
昭和54年 6月19日 東京機関区へ移動
昭和57年12月 8日 廃車
このデータから見ると、写真は広島区から転属してきてまだ1年くらいしか経っていない頃です。東京区での活躍はわずか3年半で、貨物輸送の縮減やこれに伴う新性能機の転入による動きの激しさ窺えます。
次は、最終増備の一つ手前のグループです。このグループは130~160号機までが対象となります。このグループ以降のパンタグラフはPS15が標準搭載となっている一方、全面及び側面窓は原形スタイルのまま製造されています。
最終グループとは異なり、ナンバーがプレートだったり切り抜きだったり飛び飛びであり、前期形と後期形の過渡期を形成しているグループだったようです。

昭和57年6月 品川駅にて 出発を待つEF15153牽引の貨物列車
データ
昭和32年 8月14日 川崎製 新製配置 新鶴見機関区
昭和37年10月 1日 沼津機関区へ移動
昭和39年 1月11日 広島機関区へ移動
昭和54年 1月17日 東京機関区へ移動(借入れにより53.11.9より在籍)
昭和58年11月11日 廃車
品川駅で偶然撮った153号機ですが、このカマは全ての窓がHゴム化されておらず、非常に美しいスタイルのまま残っていました。東京区生え抜きのカマだと思っていたのですが、意外と流転の人生を送っており、最後までこの姿を保っていたのは奇跡と言えるでしょう。

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