マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

ちゃんとバスだって撮りました(鶴見臨港・川崎市営)

2007-11-18 18:25:49 | バスの写真館
私は遠くまでバスコレを買いに行って、GETして満足するようなバスコレオタではありません。せっかく家族サービスを免除されて家を出てきたのですから、せめて交通費の元を取るぐらいの行動をせにゃ罰が当たるってもんです。

ただ、普段縁のない地域ですから、どんなバスが何処を走っているかすら全く分からないので、とりあえず営業所内を見渡して・・・。

そしたら、こんなのがいました。



通称「銀バス」と呼ばれているらしく、鶴見臨港バスの復刻塗装らしいです。色気は無いけど、味わいのある塗装ですね。逆光で正面なのが残念。何でも、もう少し粘っていれば撮影会をやってくれたらしい・・・残念・・・。
写真は日野ブルーリボンで、今回のバスコレのプロトタイプとなるバスも残存しているようなんですが、残念ながら見ることができませんでした。

そしてこちら。



まだ発売になって間もない、日野ブルーリボンシティのハイブリッドバス。ピッカピカです。でも、新しいものに興味の涌かない私ですので、1枚とって終了。


そして、この鶴見臨港バスの営業所のチョット先に、川崎市営バスの浜川崎バス停(回転所兼用)がありました。ここに、いすゞキュービックを発見。もちろん撮りました。





ガードレールがチョット邪魔をしていたので、公式側と非公式側を撮っておきました。
客窓の高さと正面の印象が何となくアンバランスなので、開いているドアから中を覗いて見ると、ワンステップ車でした。
私が今まで撮って来た国際興業や都営では見かけないタイプなので「へぇ~」って感じでした。それにしても運転手さん、そんなに睨まなくても・・・。

本当はもっと写真を撮っていたいところですが、まだこの後の予定もあることですし、ここで浜川崎営業所を後にします。
コメント (4)
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EF5871・84(20系寝台特急を牽く)

2007-11-18 00:35:22 | EF58のアルバム
58シリーズ中盤が過ぎまして、段々特徴のあるカマもいなくなってきましたので、今日は列車種別に着目してアップしたいと思います。

昭和50年3月、新幹線博多開業による大改正が実施され、山陽方面の特急・急行を中心に大幅な動きがありました。
この動きに連動して、山陽からの24系が東海道へ移転。さらに押し出された東海道の20系を活用して、それまで急行寝台専用列車として走っていた東北本線の急行「北星」と金沢行きの同じく寝台専用列車「北陸2号」を特急に格上げすることになりました。

まだ当時の新型の直流機はEF651000くらいしか走っていなく、おそらく組合対策もあったのでしょうが、急行時代に引き続き両列車ともEF58が充当されていました。
この頃になると、全国的にもEF58が牽引する定期特急は同時期に登場した「紀伊」「いなば」、山陽の「安芸」くらいしかなくなっており、EF58ファンにとってこれらの特急の誕生は非常に嬉しかったのではないかと思われます。
しかし、悲しいかな、国鉄の体質がどんどん荒んできていた頃であり、これらの優等列車の先頭にヘッドマークが付くことはありませんでした。

したがって、私もEF58自体を撮ることに面白みは感じられず、終始客車の20系の写真撮影に専念していたのですが、ホンの数枚ですがEF58を撮ったものがありましたので、ご紹介したいと思います。


昭和52年頃 大宮駅にて EF5871の牽引する20系「北陸」



0昭和52年頃 大宮駅にて EF5884の牽引する20系「北星」

2枚ともかなり薄暗い時期の撮影ですので、おそらく冬休みに撮ったものではないかと思われます。ヘッドマークが付いていないことから、後に20系化された急行「天の川」や「新星」と区別が付かないところが悲しいです。
青大将や特急色をまとい、ヘッドマークを輝かせて東海道・山陽を往来したかつての栄光は消え去り、人気がありながらも極めて地味な人生を送ることになってしまったEF58が、今でも不憫に思えてなりません。

一応スペックをご紹介しておきます。

71号機
昭和29年8月27日に川崎車両製で落成。初期配置は浜松区。その後の動きは資料が無いためで不明です。
晩年は長岡区に配置となっておりますので、上越仕様でツララ切り及びホイッスルカバーを装備しています。パンタグラフはPS14で、この時点ではまだデフロスタは装着されていないようです。フィルタの形状等については、写真が不鮮明なので残念ながら特定できません。廃車は昭和56年6月9日。

84号機
昭和30年3月12日に三菱製で落成。初期配置は浜松区。こちらも詳しい資料が無いため動向は掴めませんでした。形態は一般的な更新改造を受けており、特殊な装備は無いようです。パンタグラフはPS14で、同様にこの時点ではデフロスタは装着されていないません。フィルタの形状等については、こちらも写真が不鮮明なので残念ながら特定できません。廃車は昭和58年12月6日と最後までは残れませんでしたが、比較的遅くまで持ち堪えていました。


コメント (8)
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