今日は、489系「白山」のボンネット型の写真を集めてみました。
「白山」は、信越本線長野経由で上野~金沢を結んでいた特急で、運転本数が終始少なく設定されていたためか、平日でも指定券の確保が難しい列車であったようです。急行列車の廃止や「あさま」の大増発により晩年はそれほどでもなかったようですが、北陸の主要都市へ乗換え無しでいけるという利点から、人気の高い列車でした。
特急「白山」は、489系の誕生とともに設定された列車で、臨時列車も含めて489系以外の車輌を使って運転された実績は無いと思います。その点変化が少ない列車ではありましたが、489系にもボンネット車、貫通型、非貫通型とバリエーションがあったため、東北特急と並んで写真的にも魅力がありました。
では、年代を追って写真をご紹介したいと思います。
昭和54年頃 東北本線 西川口~蕨間にて (再掲)
文字マーク時代のボンネット型「白山」。昭和53年10月のダイヤ改正から、全国の電車特急がイラストマーク化されましたが、ボンネット車はイラスト化の対象から外れていました。そんなことで、既に昭和54年になっていますが、この「白山」もイラスト化されず、文字マークのままボンネット車が運用されていました。
昭和56年 上野駅にて 金沢に向けて出発を待つ「白山」
いつ時点かくわしいことは分かりませんが、ボンネット車にもイラストのヘッドマークが用意されるようになりました。イラストが用意されたのは、他にも「はくたか」、181系「とき」、そして、後に489系運用が復活した「あさま」があります。当時、東日本におけるボンネット車は基本的にイラストマークが用意されていましたが、「ひばり」だけはイラスト化が見送られていました。
昭和56年5月 東北本線 西川口~蕨間にて 上野方500番台「白山」
上の写真と同時期と思われます。こちらは上野寄り最後尾の写真で、言わずと知れた連結器剥き出し状態。碓氷峠越えEF63と強調運転を行うための装備が施工してあります。
昭和63年12月23日 東北本線 西川口~蕨間にて 塗装が変更された489系
D51498がオリエント急行の牽引で復活ののろしを上げた日、跨線橋で待機中に突然姿を現した489系の塗装変更車。塗装はピカピカで、如何にも塗装変更後の運転初日といった感じでした。485系でも、既に北陸のスーパー特急「かがやき」「きらめき」塗装は存在しましたが、ボンネット車の塗装変更としてはまだ珍しく、初めは何が走ってきたかさえ理解できない状態でした。晩年は皆さんも慣れたと思うのですが、このとき「国鉄型も地に落ちた。」と思ったのは私だけでしょうか。
489系のボンネット車は、両数が非常に少ない割りに、製造初期車(タイフォンをスカート部に設置)と2次車(タイフォンをボディー側に設置)、そしてそれぞれに0番台と連結器を剥き出しにした500番台が存在したため、大変バリエーションが豊かでした。
さらには、屋根上のライトケースが外されたもの、スカートがグレーとなったものなど一時的に施工された形態を分類すると、相当数の形態が存在したようです。残念ながら、私は全てを網羅してはいませんが、研究材料としては非常に魅力的な車輌だったようです。
「白山」は、信越本線長野経由で上野~金沢を結んでいた特急で、運転本数が終始少なく設定されていたためか、平日でも指定券の確保が難しい列車であったようです。急行列車の廃止や「あさま」の大増発により晩年はそれほどでもなかったようですが、北陸の主要都市へ乗換え無しでいけるという利点から、人気の高い列車でした。
特急「白山」は、489系の誕生とともに設定された列車で、臨時列車も含めて489系以外の車輌を使って運転された実績は無いと思います。その点変化が少ない列車ではありましたが、489系にもボンネット車、貫通型、非貫通型とバリエーションがあったため、東北特急と並んで写真的にも魅力がありました。
では、年代を追って写真をご紹介したいと思います。
昭和54年頃 東北本線 西川口~蕨間にて (再掲)
文字マーク時代のボンネット型「白山」。昭和53年10月のダイヤ改正から、全国の電車特急がイラストマーク化されましたが、ボンネット車はイラスト化の対象から外れていました。そんなことで、既に昭和54年になっていますが、この「白山」もイラスト化されず、文字マークのままボンネット車が運用されていました。
昭和56年 上野駅にて 金沢に向けて出発を待つ「白山」
いつ時点かくわしいことは分かりませんが、ボンネット車にもイラストのヘッドマークが用意されるようになりました。イラストが用意されたのは、他にも「はくたか」、181系「とき」、そして、後に489系運用が復活した「あさま」があります。当時、東日本におけるボンネット車は基本的にイラストマークが用意されていましたが、「ひばり」だけはイラスト化が見送られていました。
昭和56年5月 東北本線 西川口~蕨間にて 上野方500番台「白山」
上の写真と同時期と思われます。こちらは上野寄り最後尾の写真で、言わずと知れた連結器剥き出し状態。碓氷峠越えEF63と強調運転を行うための装備が施工してあります。
昭和63年12月23日 東北本線 西川口~蕨間にて 塗装が変更された489系
D51498がオリエント急行の牽引で復活ののろしを上げた日、跨線橋で待機中に突然姿を現した489系の塗装変更車。塗装はピカピカで、如何にも塗装変更後の運転初日といった感じでした。485系でも、既に北陸のスーパー特急「かがやき」「きらめき」塗装は存在しましたが、ボンネット車の塗装変更としてはまだ珍しく、初めは何が走ってきたかさえ理解できない状態でした。晩年は皆さんも慣れたと思うのですが、このとき「国鉄型も地に落ちた。」と思ったのは私だけでしょうか。
489系のボンネット車は、両数が非常に少ない割りに、製造初期車(タイフォンをスカート部に設置)と2次車(タイフォンをボディー側に設置)、そしてそれぞれに0番台と連結器を剥き出しにした500番台が存在したため、大変バリエーションが豊かでした。
さらには、屋根上のライトケースが外されたもの、スカートがグレーとなったものなど一時的に施工された形態を分類すると、相当数の形態が存在したようです。残念ながら、私は全てを網羅してはいませんが、研究材料としては非常に魅力的な車輌だったようです。