久しぶりの交流機牽引のブルトレ写真です。
最盛期は583系3往復、客車4往復の計7往復の設定と隆盛を極めた東北・常磐特急「ゆうづる」。
しかし、東北新幹線の開業により東北の夜行列車は一気に衰退し、最後は「ゆうづる」も25形客車2往復を残すのみとなりました。
寂しくなる一方で、ファンを喜ばせた出来事、それがヘッドマークの復活でした。
当時、SLの写真に夢中になっていた私は、ミーハーな特急列車の撮影はほとんど行っていなかったのですが、ある一報により気が変わり、写真を撮りに行くことになったのです。それは、青函トンネルの開業に伴う新規の札幌行き寝台特急の設定に伴う「ゆうづる」の振り替えでした。つまり、発展的解消と言えど、「ゆうづる」は廃止になってしまうということです。
当時、このPC「ゆうづる」にED75重連がよく充てられていたことが話題になっていたため、夜明けの撮影の難しい関東は切り捨て、東北まで出掛けていきました。
昭和62年8月初旬 東北本線にて(撮影地不詳) ED75716牽引「ゆうづる3号」
昭和62年8月初旬 東北本線にて(撮影地不詳) ED75729牽引「ゆうづる1号」
撮影地は、確か厨川~好摩の辺りだったと思います。
「ゆうづる」としてはもう既に晩年と言える頃で、編成中には「北斗星」に転用される客車が一部分に組み込まれ始め、編成の揃っていた銀帯オンリーの0番台車から、金帯3本を巻いた500番台の混成へと編成美が乱れていきました。
実はこの写真。心の中では「撮りに行っていないことになっている」のです。
この年の梅雨はダラダラと長く、関東~東北地方では8月に入ってもまだ続いていました。あまりにも天気がグズついていたので、そのイライラから一緒に同行していた友人と気まずくなり、終始いい加減に撮っていたのです。そんな状態だったので、いつ撮りに行ったとか、何処で撮ったかとか、そんなことどうでも良かったんです。でも今になったら困りましたけど(汗)。
結局、そんな最悪のコンディションの中で、来て欲しかった一般型や1000番台は来ないし、重連もないし、帰ってきてからもしばらく腹が立っていたことを思い出してしまいました。
しかし、その後「ゆうづる」が「北斗星」に編成をそのまま引継ぎ廃止となるまで撮影する機会には恵まれず、皮肉にも最初で最後のPC「ゆうづる」のヘッドマーク付き写真となってしまいました。
最盛期は583系3往復、客車4往復の計7往復の設定と隆盛を極めた東北・常磐特急「ゆうづる」。
しかし、東北新幹線の開業により東北の夜行列車は一気に衰退し、最後は「ゆうづる」も25形客車2往復を残すのみとなりました。
寂しくなる一方で、ファンを喜ばせた出来事、それがヘッドマークの復活でした。
当時、SLの写真に夢中になっていた私は、ミーハーな特急列車の撮影はほとんど行っていなかったのですが、ある一報により気が変わり、写真を撮りに行くことになったのです。それは、青函トンネルの開業に伴う新規の札幌行き寝台特急の設定に伴う「ゆうづる」の振り替えでした。つまり、発展的解消と言えど、「ゆうづる」は廃止になってしまうということです。
当時、このPC「ゆうづる」にED75重連がよく充てられていたことが話題になっていたため、夜明けの撮影の難しい関東は切り捨て、東北まで出掛けていきました。
昭和62年8月初旬 東北本線にて(撮影地不詳) ED75716牽引「ゆうづる3号」
昭和62年8月初旬 東北本線にて(撮影地不詳) ED75729牽引「ゆうづる1号」
撮影地は、確か厨川~好摩の辺りだったと思います。
「ゆうづる」としてはもう既に晩年と言える頃で、編成中には「北斗星」に転用される客車が一部分に組み込まれ始め、編成の揃っていた銀帯オンリーの0番台車から、金帯3本を巻いた500番台の混成へと編成美が乱れていきました。
実はこの写真。心の中では「撮りに行っていないことになっている」のです。
この年の梅雨はダラダラと長く、関東~東北地方では8月に入ってもまだ続いていました。あまりにも天気がグズついていたので、そのイライラから一緒に同行していた友人と気まずくなり、終始いい加減に撮っていたのです。そんな状態だったので、いつ撮りに行ったとか、何処で撮ったかとか、そんなことどうでも良かったんです。でも今になったら困りましたけど(汗)。
結局、そんな最悪のコンディションの中で、来て欲しかった一般型や1000番台は来ないし、重連もないし、帰ってきてからもしばらく腹が立っていたことを思い出してしまいました。
しかし、その後「ゆうづる」が「北斗星」に編成をそのまま引継ぎ廃止となるまで撮影する機会には恵まれず、皮肉にも最初で最後のPC「ゆうづる」のヘッドマーク付き写真となってしまいました。