こんばんわ。
今日は久々のブルトレシリーズから、過去掲載画像も含めて寝台特急「ゆうづる」の24系客車を総集編としてアップいたします。
寝台特急「ゆうづる」は上野~青森間を常磐線経由で結ぶ夜行列車として誕生し、東北青森県や北海道へのアクセス特急として活躍しました。
昭和40年代後半には5往復に発展し、その後も7往復体制にまで成長しています。
複数体制になってからは客車列車の他に583系も導入され、昭和40年代では電・客が混成する唯一の夜行特急でした。(※臨時を除く。※昭和50年3月以降は、「彗星」「明星」がこのような体制となっています。)
使用寝台客車は20系が最初ですが、その後東海道スジに25形が導入された玉突きで14系や24系24形が使用されるようになり、さらには関西スジの特急の整理によって発生した24系25形の初期車(0番代)も導入され、ブルトレとして誕生した客車のうち14系15形以外は全て使用したことになります。
今回は、24系の電源車を中心にとした客車側の写真をアップしてみます。
昭和52年頃 上野駅にて カニ24 0番代初期車
写真の様子から上野駅19番線でしょうか。20系から24系化されて間もない頃の写真だと思います。
カニ240番代の初期車はマイクロスカートと呼ばれる妻面裾の長いタイプで、先行車であるマヤ24(後のカヤ24)の形態を受け継いだスタイルとなっています。
昭和54年頃 大宮駅にて カニ24 0番代後期車
写真は東大宮操への回送列車を大宮駅で捉えたもので、東京では夜しか撮れない電源車を明るい時間に撮ることができる唯一のチャンスでした。
それでも上野駅に5時代に到着してしまう客車「ゆうづる」の送り回送も早朝であり、夏場でないと撮影は難しかったと思います。
カニ240番代の後期車は前出のマイクロスカートが廃止され、スマートな印象の面構えになっています。
昭和54年頃 大宮駅にて カヤ24(再掲)
24系24形用として誕生した白帯の電源車です。
登場当初はマヤ24を名乗り「電源車」としての種別となっていましたが、その後、荷物輸送の必要性から業務用室を荷物室に改造され、荷重が増えた分カヤを名乗るようになりました。本来ならばこの時点でカニと変更されてもおかしくないのですが、何故か生涯カヤを名乗ったまま終わっています。
昭和57年5月 東北本線 南浦和~浦和間にて カヤ24を最後尾にした25形の回送(再掲)
この列車も東大宮操へのヒルネ回送ですね。
本来であれば既存の24系24形と対を成すべきカヤ24ですが、関西~九州夜行時代から何故か25形と編成を組む機会が多く、青森運転所へ転属されてからもこのような編成が多く見られました。
写真の編成も、関西から移動してきた25形0番代で構成された、A寝台を連結しないモノクラスタイプの編成のようですね。
昭和53年頃 上野駅にて オハネフ24
昭和53年時点においては、2段式B寝台は24系25形のみであり、14系や24系は3段式寝台のままでした。その後改造によりごく一部の車両を除いて2段化されることになりますが、「ゆうづる」では客車3段式、客車2段式、電車3段式と、個室を除く全ての寝台種別を使用していたことになります。(※「北斗星」への移行準備として、最末期にA寝台2人個室が連結されていました。)
最大で7往復にまで発展した「ゆうづる」でしたが、時代のニーズの変化により縮小を余儀なくされ、一方では青函トンネルの開業により「北斗星」として生まれ変わることになり、夜行列車の衰退と話題性という2つの時代を背負って、彼方に飛び立って行きました。
← 「ゆうづる」の赤が無いからピンクで勘弁ネ!