こんばんわ。
昨夜は早く帰ってきて少し余裕が出来ましたので、今日は画像枚数を多めにアップいたします。
過去ログでかなりの枚数をアップしてきた特急「とき」ですが、今日は未公開写真からクハ180を拾ってみました。
ご存知のように、クハ180は横軽通過用に連結器の開放装置を装備した車両で、クハ489-0番代車と同様に開放テコを常設していました。これは、補機となるEF63の双頭連結器にある自動連結器のナックルが固定式(一体)であるため、機関車側での開放作業が出来ないことによるものです。開放作業を特急列車側に求めたために出来上がったスタイルといえるでしょう。
昭和52年頃 上野駅にて
昭和54年頃 蕨~西川口間にて
昭和56年頃 蕨駅にて
昭和56年8月 蕨~南浦和間にて
昭和56年8月 蕨~南浦和間にて
撮影時期不明 蕨~西川口間にて
写真を本格的に撮り始めた頃は、どうもこの車両があまり好きではなかったらしく、クハ180の写真が殆ど無い状態でした。したがって、文字マークのクハ180は上野駅で撮った1枚だけのようです。ロングスカート車への注目が強かった頃でしょう。
その後、全国に先駆けてボンネット車へイラストマークが入るようになり、181系のイメージを損ねることとなってしまいました。
この頃から特急列車の写真への写欲が薄らいでしまいましたが、それでも貴重となったクハ180は良く撮っていたようです。
クハ180は全て100番代に該当する形式で単一ですが、何故か-5のタイフォンだけは開閉式のカバーが付いていました。
181系「とき」をリンクしますので、過去記事を覗いてみてください。
ポチも忘れずにね! →
昨夜は早く帰ってきて少し余裕が出来ましたので、今日は画像枚数を多めにアップいたします。
過去ログでかなりの枚数をアップしてきた特急「とき」ですが、今日は未公開写真からクハ180を拾ってみました。
ご存知のように、クハ180は横軽通過用に連結器の開放装置を装備した車両で、クハ489-0番代車と同様に開放テコを常設していました。これは、補機となるEF63の双頭連結器にある自動連結器のナックルが固定式(一体)であるため、機関車側での開放作業が出来ないことによるものです。開放作業を特急列車側に求めたために出来上がったスタイルといえるでしょう。
昭和52年頃 上野駅にて
昭和54年頃 蕨~西川口間にて
昭和56年頃 蕨駅にて
昭和56年8月 蕨~南浦和間にて
昭和56年8月 蕨~南浦和間にて
撮影時期不明 蕨~西川口間にて
写真を本格的に撮り始めた頃は、どうもこの車両があまり好きではなかったらしく、クハ180の写真が殆ど無い状態でした。したがって、文字マークのクハ180は上野駅で撮った1枚だけのようです。ロングスカート車への注目が強かった頃でしょう。
その後、全国に先駆けてボンネット車へイラストマークが入るようになり、181系のイメージを損ねることとなってしまいました。
この頃から特急列車の写真への写欲が薄らいでしまいましたが、それでも貴重となったクハ180は良く撮っていたようです。
クハ180は全て100番代に該当する形式で単一ですが、何故か-5のタイフォンだけは開閉式のカバーが付いていました。
181系「とき」をリンクしますので、過去記事を覗いてみてください。
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