いつも時間がないなか、必死で1分、2分の分刻みで時計とニラメッコしながら、
脂汗をかきつつ、ブログを更新しているというのに、
今日など、国民的休日で、秋晴れ、爽やかな天気、
まったくなんの予定もない、引きこもりの一日だったのに、一日まるごとが自由時間だったのに、
ブログに手をつけたのは、夕方も過ぎ、一人で夕食をぱぱぱと食べた後、6時半を回ってから。
趣味というものは、いかに、いい加減な、気分まかせの自分本位なものかということだ。
さて、さて、
話は変わるが・・・
人間は、欲の塊だ。
腹八分目というところで、ストップできない。
バブル時の、不動産熱や資産運用熱、だれもが、熱くなっていた。
儲けを原資ごと再投資に、どんどん回した。
一握りの賢者は、儲けをさらなる投資に回さず、そして、ぱーっと使いもせず、じっと我慢して、動かさなかった。
冷静になれば、バブルがはじけることは予想できただろうけれど、夢にうなされ、熱病に冒されて、
大多数の人々は、あふれ湧き出る欲を止めることができなかった。
熱病にかかると、バブルがはじけるなどとは、思いもよらなかった。
お金だけでなく、満足感に対しても、人間は欲深い。
幸せをとことん追求する。
このへんで、いいんじゃないの、というところでも、いや、もっと、もっと、と、更なる幸福を目指す。
満足は、腹八分から、ぴったり十分にはいかない。
九分だったり、九.九分だったりすると、あと少し頑張る。これを「欲張る」、というのだろう。
で、十分を通り越して、めいっぱい幸せ満足感に満たされるかというと、
やりすぎたあまり、その代わりに、後味の悪い悪寒のようなものに襲われる。
幸せを手に入れるための負担に苦しむようになる。
例えば、人に対する気持ちも、そう。
どんどん接近して、あと少し、という至近距離まで近づく。
そのあたりは、とても楽しい。
追いかけ、追いかけ、追いつき、そして、ついに、恋人になったとする。
すると、そこからが、またイバラの道。
満足感が得られるかと思いきや、嫉妬心に駆られたり、捨てられやしないかと不安に駆られたり、
デートが待ち遠しすぎて、デート時間が短すぎて、満足の反対。
「時間」が、砂に水をかけるような、虚しいものになったり。
これじゃあ、追いかけているときのほうが、ずっと楽しかったというものだ。
腹八分目の幸せってやつだ。
わたしの場合、腹八分目で、そんなにとことん好きでなくても、それで充分。
好きになるより、好かれるほうが、よっぽど安定している。
相性みたいなものがあって、好かれた場合、よほどヒドイことでもしない限り、好かれた人は、ずっと好いてくれる。
いわゆる「好きなタイプ」というものは、そうそう変化しない。
好かれるほうが、断然、楽チンだ。
頑張らなくても、優位が保てる。
なので、過去、わたしは、いつも、好かれるシチュエーションが定番になり、
自分から好きになると、300パーセントいや、1000パーセント、失敗している。
度重なる失敗は、まったく学習効果をもたらさない。
なぜ、失敗するか、分析してみると、腹八分目にしていないからだ。
熱くなりすぎて、自爆する。
自爆しなければ、熱は、冷えない。
冷却装置が自動的に作動するとよいのだが、そんなものは、ない、欠陥品だ。
自爆してはじめて、自分が熱くなっていたことに気づく。
時、遅し。
これは、人に対する気持ちだけではなく、モノゴトに対する熱もそうだろう。
バブル熱も、まさにこれ。
よほど気をつけていても、ある日、突然、株が暴落したりする。
(わたしの場合、あまり気をつけていないのが難点)
腹八分目で満足せず、幸せを追い求めても、ろくなことがない。
これが、わたしの、哀しく情けない、セオリーだ。
少し不満が残っている程度のほうが、よたよたしながらも、長持ちする。