蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

突然、落っこちる、ネットに潜む落とし穴

2012-11-17 | ブログ

昨日の続きで、時間のゆとりがあるからと、○○○道のブログ(サイト?)に行ってしまった。
アクのあるもの、悪のあるもの、おぞましきものには、ついつい、ふらふらと寄って行ってしまうようだ。

役に立つもの、有意義なもの、清く正しいもの、正義感あふれる、正当な、正統なもの、その他・・・
そういうものに、あんまり引き寄せられないのは、いかにわたしが、邪悪、邪心のカタマリかということだ。
(平日は、引き寄せられない。念のため、言っておく。→なんのための念のため、だ?)
自覚していれば、いいってものでもないが。
わたしは、まだ、日本人の平均寿命に届くまでには、しばし時間があるので、それまでの間に、ゆっくり軌道修正しよう。

で、そのサイト。
殿方に溺愛されるノウハウ、うんちくが、びっしり。
運営しているのは、教祖様。
構成要員は、絶対的教祖と、熱狂的信者と、初心者・仮信者と、その他・野次馬で成り立っている。
もうひとつ、その教祖様パターンに近いブログがあり、わたしは、ごくごく稀に訪れ、
りんご飴の製造過程のように、溶けた飴にりんごをどっぷり漬け込むかのごとく、毒をどっぷり浴びてくる。
あとで、脳内シャワーやら、お風呂やらで、身を清める。
純真と邪悪の、てっぺんと、底、その上下の、その格差が、なんともいえない。
(べつに、自分が純真だとは言ってない。もし、純真なら、そんな邪悪ブログを訪れないだろう)

人さまのブログ、しかも、信者さまがたくさんおられるブログを、邪悪ブログだなんて言っては、いけない。
たんに、表現のひとつである。
が、・・・だ。

内容はともあれ、いずれも、教祖様が、自分の自説を唱え、信者が崇拝するというパターン。
押し付けがましい、半強制的、上から目線が、まあ、すごい。
絶対に、自分の考えは正しい、として、否定、反論するなら、ここに来るな、と、同調しない訪問者を蹴っ飛ばす。

ブログの本質も、そうかも知れない。
イヤなら来るな。
いやあ、まったく潔い。

男女同権、レディファースト、フランス女性が読んだら、ひっくり返る?
いや、読まないだろう。最初の一行読んで、即、退散するだろう。
わたしは、なんで、こうも、しつこくまた読みに行ったのか?
だってえ・・・溺愛してほしいんだもん・・・(うそ。→キモチわるいジョークは、人に不快感を与える)

ブロガーさんは、ある程度、いい線までいった、水商売の女性じゃないだろうか・・・などと想像する。
でも、目標には達成せず、成功はしてないのだろう。
ほんとうに、自分自身に満足している人は、あんな書き方はしないと思う。
腹立たしい思いで、自分があと一歩でうまく行ったかもしれない、うっぷんを発散させているのだろうか。
きしみのある性格。人格が今一歩、はてな?である。

いくら溺愛されたって、自分自身が、相手をたいして好きでなかったら、ぜんぜん、しょーもない。
その不満を解消したくて、溺愛されていない人たちに上から目線で、いかに、溺愛されることが素晴らしいか、
優越感に浸りたいのだろうけれど。

優越感と劣等感は、行ったり来たり、似たような感情。
どちらも、推薦できる境地ではない。

わたしが、感じたのは、この教祖様には、向上心がないということ。
向上心の方向性が、わたしの考える向上心とはまるっきりズレを感じる。
そして、高学歴女性に対する、ものすごい嫌悪感。
なぜなら、高学歴を真っ向から否定するニオイが感じられるから。
(肯定&否定、両方論じて、次の論議に移るのなら、まだしも)
そして、全面、自己肯定のみ。
そうでなきゃあ、教祖様になんぞ、なれないんだろうけれど。
教祖様は、自分の正体、実体は明かさない。
なので、野次馬からは、インチキという疑いの目を向けられている。
信者にも、捏造疑惑が持たれるぐらい、怪しげな気がしてくる。
(コメントの不自然さで、それを指摘している人もいる)


まあ、感想は・・・
肩が凝って、そして、時間を損したような気になった。
同じ、怖いもの見たさでも、効力がある場合と、そうでない場合があるようだ。
目に見えない地雷がいっぱい埋まっているので、ネットの海を泳ぐときは、リスクも覚悟の上、気をつけなければ。

では、リスクを顧みず、キライなブログに、怖いものみたさに訪問するのは、なぜか?
こんな考え、イヤだとか、自分と全然、違う、とか、
自分の意見や感覚が、より明確に自覚できるから。
ああ、ほんと、キライだった~、合わない~・・・と、オエオエしながら逃げ出してくる感覚が、けっこうキライではなかったりする。
(変わり者だ、わたし)
でも、いつも常時ではない。

人の興味や注意を引くには、手法やノウハウが必要だが、
人を納得させ、説得力を持つものは、教祖様に、人徳がある、人柄が良い、ということ、
人を導くには、人格者であることが望ましい。

それよりもなによりも、興味ある内容、話題であること、が重要だ。
そうでなければ、ひね曲がりきった人の独断と偏見にみちみちあふれた断言なんぞ、誰が読みたいか。

でも、毒には、独特の魔力があって、わたしのように、ふらふらと吸い寄せられる人間もいる。
その魔力に、とりつかれるのは一時的で終わるから、
あまり、毒は体中に回らず、薬として効き目、一時的に覚醒作用があるのかも知れない。

好奇心旺盛もいいが、なんでもパクつくと、お腹をこわして、ろくな目に遭わない。
自己管理、自己規制、セキュリティを強化し、自己防衛すべきだ。

善悪の区別がまだ定まっていない年少者や、外とのつながりが薄い人には、ネット依存症に陥るケースもある。
笑い飛ばすような分野の内容ならまだしも、もっと深刻な内容だと、とても恐ろしいことになる、

いつもの、ふらふら遊び癖が、本日は、ちょっと、薬が効きすぎた感がある。
今日は休みだからと、ばかも休み休みにしないと、ばかだ。

 

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