いま、なぜか、アタマにこんな映像が浮かんでいる。
息子が横綱になって、故郷のご両親が、いなかの家でマスコミにインタビューされている図。
「息子は、いまや、わしらだけの子供ではないっす。
わしらの手を離れて立派になってくれ、日本の皆さんの、横綱でっす。
皆さんのためにも、頑張ってくださいっす」
(方言、何弁だ?)
目頭を押さえて、父ちゃん母ちゃんが喜びと寂しさを交差させながら、答える。
息子とは、もはや住む世界が違う。
息子は、故郷の両親に大金を贈ってくれるかも知れない。
いなかの住まいも冷暖房完備となり、住みやすく整えられるかも知れない。
前にはなかった調度品も、調達されて置かれているかも知れない。
故郷の家を売り払って、都会に両親を呼び寄せるかも知れない。
故郷に錦を飾るかも知れない。
父ちゃん母ちゃんは、嬉しいけれど、息子が皆の期待に沿えるよう、頑張ってくれたら、それだけでいい。
息子の気遣いは有難いけれど、都会の暮らしや、立派な調度品より、いなかの日向ぼっこのできる縁側がいい。
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よたよた、よれよれの、かなり年をとって、えらくお年寄りになってしまった、元教師。
どう見ても、年相応、いや、もっともっと老けて見える、さえない、地元のおっちゃん、おばちゃん。
教え子が、有名になった。
同級生が、名をなした。
これまた、元教師や、元同級生たちに、取材。
へー、あんなに今バリバリしている人も、あんな吹けば飛ぶような先生に教えられていた頃があったの?
あんなにカッコイイ人なのに、同じ年の同級生は、あんなに、年がいってて、ぶっさいくなの?
これとは、また少し違っていたのは、ノーベル賞の山中教授。
元同級生も、それなりに、理知的で覇気があったし、およそ、同類項っぽいニオイがしていた。
これは、生活している地域、属性、職業の違いか。
僻地、過疎地で、衰退していく産業の真っ只中に身を置き、お年寄りたちが、肩を寄せ合って頑張っている。
若い者は、出て行ってしまう、限界集落。
そんな環境の中からは、到底、現代の偉人は輩出されないだろう。
一昔前の小佐野賢治や田中角栄っぽい、赤貧から立ち上がるハングリー精神、
時代が、ごちゃっと引っくり返る、混乱、どさくさに紛れて、ずる賢い者がのし上がる、
そういう環境は、いまや時代錯誤感がある。
相撲取りも、大学の相撲部出身だったり、親は、スタイリッシュな暮らしをしていたり、
弟子に入っても、改善されない悪しき古い体質に、ついていけない日本人が続出し、
日本の伝統である相撲も、強い外来種に、もはや独占、占領されている向きがある。
ああ・・・なにが、言いたいんだ、わたし?
時間があるからって、小佐野賢治や、その妻、堀田英子について、
また、華族や、華族を没落させた、戦後の財産税やらについて、延々、調べてしまった。
なぜか、よくわからないが、学のない、やり手でドケチの大成金、と、美人の元華族のお姫様の組み合わせ、
とても惹かれるものがある。
小佐野賢治は、結納金や結婚金は莫大なお金を支払ったが、
結婚後、奥さんには、おこづかいも渡さなかった、家庭では、ドケチだったという話もある。
が、銀座のママには1000万円ぽーんと、あげたとか。
奥さんは、家の床の間の飾り物にしていたとか。
いや、・・・明らかに話が、横道に逸れている・・・
品のある話と、品のない話の、両極端な話が好きなのだ。わたしは。
なので、アイスクリームの天ぷらのような、この小佐野賢治と堀田英子の結婚には、非常に興味をそそられる。
(まだ、言ってる・・・・)
学歴、地位、名誉、配偶者、友人、才能、・・・おカネで買えるモノと、おカネで買えないモノに、興味があり、
(自分とは、無関係であるにも関わらず)
お金と人生の相関図、価値観をあれこれ延々と探っている、ヒマ人なのである。(いまだ答えは、出ず)
話を元に戻そう。
(上記の内容は、まるっきり、寄り道でした)
一昔前の、出世した横綱を息子に持つ寒村地の横綱のご両親的心境、・・・
とあることで、それに近い気持ちに、ふとなった。
でも、わたしは、寒村に住んでいないし、平成の世の中を、けっこう、軽快に、快適に生きている。
アイデンティティも確立されている。ただし、小市民。
なので、お涙頂戴の田舎芝居ではまるでなく、おばさんだけど、そこそこスマートなのだ。(体型の話ではない)
立ち位置、ポジションはひとそれぞれあって、わたしは、わたしです。
楽しく、まいりましょう。