わたしは、ブログにホンネは書いている。
ウソは、ほとんどなし。
ただし、脚色、誇張はある。
そして、書く分野に制限がある。
リアルな人々が、このブログをご存知なので。
しかも、かなりわたしに近い、身内の人々も。
なので、そういうことを意識すると、学校の教科書のような内容になる。
文部科学省の検閲つき。
知られてもいいや、と、思うことだけを書く。
知られても困るような、真っ黒い腹の中も、べつに、知られてもいい。
ただし、何度も言うようだが、分野は、激しく制限を受ける。
そこのところは、欲求不満を感じるが、
リアル生活では充実しているので、そう、うっぷんはない。
なので、読む人は、面白くない。
正しい行いをしている優等生の読み物など、つまらんこと、このうえない。
誰にも知られず制限なく書きたい・・・が。
ああ、またもや、もやもやしてきた。
ほんの最近、一時期、ブログを閉鎖し、新しいブログを始めようか、と迷っていたが、
結局、続けることにした。
制限を受けるのは、けっこう、窮屈だが、じゃあ、知られて困ることって、なに?
となるわけだが、それを説明する気はない。
なので、わたしのブログは、面白くない。
以上である。
思いっきり、書けたら、楽しいか?
いえ、いいんです。これで。
不自由な中に、楽しみを見出す。
人間は、100%自由だと、自由のありがたみを感じられないはず。
なんでも、買えて、なんでも、したいことができて、なんでも、自分の意思どおりに、まわりも、自分も動けば、
かえって、虚しくなるはず。
アタマの上に乗った、漬物石こそが、おそらく、人生を、しぶく、いぶし銀のように輝かせるのだろう。
若い人は、いいなあ。
怖いものがなくて。
おばさんは、どこで拾ってきたのか知らないが、
でっかい漬物石が、アタマの上に乗っかっていて、一体化しちゃっているようだ。
鉢かづき姫の、死ぬまでアタマから鉢が取れないバージョンか。
生殖動物として、老化による見かけや、機能がどうこうと、気になるのは仕方ないとしても、
マインド面が、へんに、川原の石のように、角(かど)が無理やり削り取られている。
世捨て人になる勇気もない、一小市民。
なので、世捨て人には憧れるのだ。
仙人になりたい。
あ、これから、ブログタイトルを「仙人になりたい」にしようかな。