蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

うすのろ!!と罵声を浴びることだろう・・・

2012-11-21 | 日々のこと

昨日、なにわディープ地区・某・大規模商業施設の地下。
スーパーマーケットの並びにある、フードコートで、ひとり、ねぎ焼を食べた。
フードコートは、オープン形式の店舗がぐるり回りをコの字型に囲み、
各店頭で注文して、トレーにのせて社員食堂みたいに好きなテーブルに運ぶ。

時間帯によっては、人がいっぱいで座る場所を確保できないこともあり、
トレーを持ったまま、テーブル難民となって、うろうろ・おたおたする場合もあるので、注意を要する。

前々回に、ひきこもりネット依存症風・根暗そうな元青年(現・青年でない)の男性と同席を余儀なくされそうになったが、
モタモタ悩んでいたら、別の席が空き、自分ひとりの席を確保できて、やれやれだった。

そのフードコートは、あくまでも、そこの店舗で注文したものを食べる場所であると、わたしは考える。
コンビ二で買ったものや、自前の食品を持ち込んで、食べている人もいると思われるが、
わたしは気が小さいので、ひとりでは出来ない。

前に、ダンスレッスン・クラスメートと次の同じ目的地に向かう途中に、(いつも時間がないので)、
コンビニでおにぎりを買って、目的地の通過点にある、そこで、そそくさと食べたが、喉につまる思いだった。
わたしには、彼女のような図太さが、いまいち、足りない。
修行不足だ。
別に食べなくても構わない、と、いうほうを選んでしまう。

昨日は、ひとり行動だったし、時間的に余裕があったので、ひとりでのんびり食べていた。


長い前置きだった。が、ここからが、本題スタート。

となりの席には、女性が3人。(30代後半~40代?)
ピーチクパーチクおしゃべりに余念がない。
おそらく同じ職場のメンバーで、休憩時間なのだろう。
職種は、女性が多い職場で、雑務的な、作業的なことを主にするのではないかと想像する。

一人の女性(A)が、8割しゃべる。
もう一人(B)が、相槌を打ったり、同調のコメントを間合いに入れる。それが約2割。
もう一人の女性(C)は、滅多にしゃべらない。

この、Aの、しゃべりまくりの独壇場と化する、会話内容は・・・100パーセントが、仕事仲間の悪口。
ごくごく普通の出来事も、悪意たっぷりに表現する。
あの表現能力は特出している。


○○さんが、こんなことをした。こんなことを言った。(普通の出来事)
「そんなこと、なんで、わたしに言う?」
(興味もない、関係のない、どうでもいいこと、わたしに言うな、というニュアンス)

「そんなこと、わたしが、知るわけないやん」

「わたしは、参観日で出れないって、わかりきってるやん」

などなど・・・職場の登場人物を全面否定、自分を全面肯定。それを仲間が全面肯定。
しかも否定の仕方には、じつに、思慮の浅い考えがベースにあるのが、見え隠れする。
なにわディープ地区、独特の文化なのだろうか?
わたしに、読解能力がないからか?
エスペラント語電子辞書を取り出して、翻訳しようとしたが、そんなものはなかった。

仕事の進め方や、合理化、経営者の方針について、とか、議論や意見交換などは、まったくなく、
ただただ、人の、取るに足らぬ小さな小さな一挙一動をちまちま報告して、こき下ろしているだけ。
発展的、有意義に、なんぞ、ほど遠く、じゃあ、せめて、ゆったりまったり休憩を、というのにも、ほど遠く・・・
延々、休み時間をその話に使っている。

わたしは、ねぎ焼を食べながら、何度か、ちらりと、独壇場の彼女の顔を思わす見てしまった。
化粧っけのない、普通の女性。
相槌女性もまあ、普通。
無口女性も、化粧っけのない、普通の女性。

素肌が並々外れて美しい人以外は、外に出るときは、せめて、お化粧したほうが、下駄上げされていいと思うけれど。
と、表情。会話の内容で変わる。
人の悪口を言っているときの表情は、悪く見える。
いつも、悪口を言っていると、その悪い表情が、鉢かづき姫の鉢みたいに、くっついて、離れなくなる恐れあり。

あれで、休憩が終わったとして、残りの二人は、
楽しいのか?
あんなつまらん話を延々とするほうも、するほうだし、聞くほうも聞くほうだ。
一人でいるほうが、ずっとずっとずっと楽しいと思うけれど。


幸か不幸か、わたしの人生に登場する人物には、その手の人種はいなかった。
と、この一行を書きながら、書き終わる瞬間に、いやいや、そんなことはない、
これに近いことは、とても多いじゃないか、と。
仕事帰りの赤提灯のお父さん方の愚痴もそうだろうし、女性が集まって、家庭の愚痴をこぼしあうのもそうだし。

わたしだって、キーボードを叩いて愚痴っているんだから、方法が違うだけで、同じ穴のムジナじゃないか、と。

昨日は、こんな人種は、わたしのまわりにはいない、なにわディープ地区の特色に違いない、
と思っていたが、今、はじめて、そう気が付いた。
一日経つと、考えって、変わるんだ。

あんな仕事は、したくないのかも知れないけれど、仕方なくやっているのだろう。
あんな仲間と、おしゃべりに参加したくないけれど、仕方なく職場の雰囲気で付き合っているのだろう。
生活のため、生きていくために、したくないこと、不本意なことでも、やらなければいけないのだろう。
どの人も、みんな一生懸命に生きているんだろう。
(これ、上から臭、くんくん・・・臭ってるかも・・・たぶん)
おそらく、わたしなら、その職場では、いの一番に、「こら、うすのろ低脳!!」と、槍玉に上がることだろう。
あの独壇場・女史に、おもいっきり、「本日のグズ魔の出来事」として語られることだろう。

自分は、彼女と同じ職場でなく、なんだか、ほっとしたような。
棲息している場所が違っているようで、安心したような。

たとえ、同じ時間に、同じ場所に、隣りあわせで居ても、
ガラス越しに見える風景のような、テレビか何かを見ているような・・・
自分は、あっちの席に座っていないで、こっちの席に座っている、
たったそれだけなのだが、
昨日は、あんな人もいるんだ、と呆れていたが、今日は、とても奥深い思いに駆られている。

ねぎ焼と共に、噛み締める味わいは、だんだん深まる秋のように深い・・・

 

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