今朝は、シラス丼がもたらした、愛と打算のミニ劇場。
シラス丼のほうが、ちょっと辛めでも、ずっと清らかな愛が育めるかも。
意味不明だと思いますが、まあ、そういうことです。
昨日は、早々とお歳暮第一弾が届いた。
シラスと、梅干と、シラス専用の醤油とで、シラス丼セット。
で、さっそく、今朝は、シラス丼にしたが、わたしには、辛いだけで、どうも、イマイチだった。
梅干も醤油も、多すぎたかも。
ということで、朝、5時に、シラス丼を食べたせいで、目がクキっと覚め、それから一日が始動した。
シラス丼が辛かったので、白いご飯も食べ、昨日の巻き寿司も食べ、胃の中は、炭水化物だらけ。
炭水化物は、即、エネルギーに転化できるという、燃えやすい特質がある。
お腹も燃え、カラダも温まり、朝からエンジン快調になってしまった。
なので、ネット遊びをする時間が確保できた。
シラス効果だ。
そこで、ブログ散歩。
いつも、楽しく、時には声をあげて笑い、ブログを読んでいるが、コメントは滅多に入れない。
読み逃げだ。
「新幹線車内。
座席にズラズラ、金太郎飴スーツ姿の諸氏が、同じ顔で座っている。
それを見て通路を歩き進み、
最後列で、くるんと振り返ると、皆、揃いも揃って、グラビアアイドルの水着週刊誌を読んでいる図」
この図を想像するのは、けっこう、いけていたりする。
同じ顔のパンダがコマになっているオセロゲームを連想した。
お父さん方、あれこれ、お疲れなんですよね。
仕事や恋人や奥さん、なかなか思うようにならないし、
グラビアで息抜き、あたま、カラにしないと、やってられないんだろう。
上記のブログもそうだが、
わたしのブログも、あまりコメントが多いほうだとは言えない。
それはそれで、ブログのスタンスだ。
コメントを毎回、いっぱい欲しがるブロガーさんもおられるだろうが、わたしは、そうでもない。
かつては、あまりにもコメントがなかったので、どんな人に読んでいただいているのか、さっぱり実体がつかめす、
やきもきしたり、なんの手ごたえもない虚しさみたいなものも感じていた。
でも、今は、ある程度の読んでくださる方々の顔みたいなものがイメージできて、安定してる。
いちいち、「そうよね」「わかる、わかる」「あ、わたしも」と、ご同意いただかなくても、まったく平気。
(同意とは限らないけれど)
「ちがうやろ」「ありえん」「また、こんなアホなこと言ってる」「性格、悪いなあ」「臭う」
という声なき声もあるだろうけれど。
まあ、それはそれとして・・・
その、シラス丼を5時に食べたお陰で、ブログ散歩の時間が取れた。
で、ひょんなことから、(怖いもの見たさで、時々訪れる)ある人のブログのコメントから、
また違う、新しいブログに飛んだ。
「○○○道」という、セオリーみたいな、教訓みたいなものをお教えくださる、教祖様のようなブログだった。
それは、殿方に溺愛されるためのノウハウが、ぎゅっと詰まっていた。
単なる恋愛ではなく、「溺愛」というところがポイント。
「高学歴、高収入の女性こそ、そのプライドをへし折って、自分の女としての価値を知れ」みたいなことも載っていた。
「たかだか、高学歴といっても知れている。
たとえ、東大の理3や文1を出ていようが、
それに見合う職についていなくて、それに見合う収入も資産もなければ、たいしたことはない。
男性にサイフを開かせろ。
自分がお金を出すのは、男性が、あなたのことを愛していない証拠です」
みたいなことが断定的に書かれていた。
「男性にお金を全額払わせなさい。それが、彼のあなたへの愛のバロメーターです」
みたいな基本理念が貫かれていた。
生徒(信者)が、水族館に彼と行き、喉が渇いたので、自販機でお茶を買うのも、自分で買ってはだめですか?
自分の友人に小さなお土産を買うのも、彼に出してもらわないといけませんか?
などという質問も寄せられていた。
こんな質問、するほうもするほうだが、
「たとえ、食事がすんだ直後で、お腹一杯であっても、『お腹、空かない?』と気遣いしてくれるのが、
彼からの愛情(溺愛)なんだそうな。
服装は、黒は絶対にだめで、流行を追うものではなく、保守的、NHKニュースキャスターみたいなのが、いいそうな。
「負け犬の遠吠え」に書かれていた内容とダブっている。
(負け犬の作者は、この教祖とは、逆の考え)
真に自立した女性とは・・・
男性に徹底的に媚を売れ、ってことらしい。(あくまでも、わたし風、解釈)
まだ、全部、読んでいないが、
(時間もないし、疲れたし、全編、言い切り、押し付けモードに、もう、読む気力も失せた)
親は億万長者で、ハーバード大だか、マサチューセッツ大学だか、なんとか大学だとかを主席で卒業し、実業家で、
ミスコンにも優勝するぐらいの、超美人には、どんなアドバイスをするのだろう。
殿方に溺愛されることを望むな、自分を溺愛せよ、とでも?
世界一のヒモをゲットせよ、とでも?
いちいち、ちまちま、教祖様に小さな質問を寄せてくる信者さま、
あれは、本気なのか? おちょくり、なのか?
男性にお金を全部出してもらえるのは、ありがたいことだが、タダほど高いものはない。
必ずや、裏があり、ろくなことはない。
それを愛だの溺愛だのと言い切ってしまうのは、いかがなるものか。
結婚さえしてしまえば、それでオワリではないのだから。そこから、始まりがあるのに。
細部にこだわりすぎで、
教祖様が、自分の出した結論を人に押し付けようとする姿勢は、わたしには抵抗がある。
「打算」を「愛」という言葉に置き換えただけのような気がするのは、わたしだけか?
シラス丼を食べている下娘に、ちょこっと、その話題をしてみると、彼女は一言、
「古い」。
そりゃあそうだろうな。
我々世代の人が、話題にしているような人だから、そりゃあ、古いわな。
しかし、信者になると、殿方には溺愛されるらしい。
仮入信してみようか・・・。(→趣味の悪いジョークです)