蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

胃薬と、陳謝

2013-03-09 | 日々のこと

悩みもなにもない、わたし。
人並みにかどうかは、知らないが、家族としての歩みは、進んでいる。
新しく人が生まれ、そして年のいった人が死ぬ。
死ぬことすらも、順調な流れのひとつである。


悩みというのは、どう、とらえるかだ。
同じ出来事があっても、お脳の弱いわたしは、びんびんに神経が張っている人に比べると、
そこそこ悩んだとしても、あまり、とことん気を病むほどにはならないようだ。
(というか、なれない。
突き詰めて考えようとしても、本人の意思とは裏腹に、脳キャパの問題で、途中で思考がストップするみたいだ)

なぜか・・・
人は、生まれて、死ぬ。
それ以外のことには、あまり、動揺しないのかも知れない。
これを、「鈍い」「鈍感」という。
ある意味、感覚が麻痺しているのだろう。

そんな、わたしなのに・・・
自分でも笑ってしまうのだが、今、胃が痛くて、胃薬を生まれてはじめて服用している。
一回飲んで、症状は治まったようなので、ほっとしているが。

明日、イベントがある。
遠方からゲストが、やってくる。
そのプレッシャーなのか?
日頃のサボリぶりが暴露され、気がきかないぶりが露呈され、
モノゴトの、いい加減ぶり、生き方のイージーぶりが、しっかり、くっきり、さらされる。

その前日である今も、明日のため、娘婿が昨夜から東京から来ているのにもかかわらず
まだ、ブログをアップしているし。
しょせん、わたしの緊張ぶりなんて、こんなもんです。


今日のブログ
「意味わかんない~」と言われたら、言い訳せず、「ごめんなさい」とアタマを下げます。

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人は、見た目が9割

2013-03-08 | 交友

某さまへ
神出鬼没・情報ありがとうございました。
名前を変えて、出没、徘徊、うろちょろは、よくあることのようです。
わたしのブログは、基本的に、人畜無害・仙人ブログにつき、
ニオイのきつい人にとっては、まったくつまらないので、眼中にないと思われます。

自分で言うのも、なんですが・・・
(でも、言う)

わたしが興味あることは、世の中の皆様にはあまり関係ないような、そういうことに注目したりしておりまして、
つまり、仙人的目線でありますので、生ナマなまの現場におられる方にとっては、
じつに臨場感のない、机上の空論的、脳内お遊びとなっているのでありまする。

ということで、
俗世間を卒業したような、腰痛や関節痛などと仲良しになろうとしている、でも、仙人みたいな、
そういう方にしか、蝶エスペラント語は通じないと思っております。


ちなみに・・・
はなしは、ころり変わって・・・

わたしは、自分で書いているほど、カッコよくない。
どれもこれも、目指すことは、すべて道、半ばも行かずして挫折。
これを、「道楽」という。
カッコ悪い限りを尽くしている。
なので、とても恥ずかしい思いをする。
たんなる道楽者の、ほざき、つぶやき、ひとりエールにすぎない。
これは、ホンネ中のホンネである。

時には、不思議なことに、自分では思ってもいないオーラが出ることがあり、、
ニセモノであることを自分で自覚しているので、これまた意外でもあり、驚きでもあり、また、非常に赤面する。


(これ、一度、ブログに書いたけれど)
先日も、面と向かって、「平安貴族みたいですね」と言われ、まじっと相手の顔を見てしまった。

「はあ?」と、なったが、真意が汲み取れなかった。
あとで、よくよく考えてみたが、その言葉を発した人は、カマをかけたに違いない。
そう言うと、相手は、どう出るか?
たいがいの人は喜ぶに違いないし、
(真に受ける人はあまりない、おべんちゃら、お世辞のひとつだったにせよ)、
反応を見て、相手の人となりを想像しようとしたのではないかと。
あるいは、わたしに、お金があるのか、ないのか、どういう背景なのか、チェックしてみたのではないかと。

それは、わたしの深読みであって、
ただ、わたしの目が細いこと、日本的な顔立ちをしていることを言っているのかも知れない。
しかしながら、その人は、話の要領はつかめないし、けっこう、何度か無礼な態度を取っていたので、
わたしは、その人の評価を、たいしたことのない人、と、こころのなかでランク付けしてしまった。

せっかく相手を持ち上げたつもりでも、態度とは裏腹だったりすると、逆効果になる場合がある。
もっと相手をよく知る選択もできたが、わたしは、最初のところで、NGサインが出てしまった。
じつのところ、発言は二の次で、態度が気に食わなかっただけだが。

人は、話してこそ、人となりが、わかるというが、話す以前に、態度、行動が、大事、決め手である。
態度で他人に不快感を与える人は、なにを話しても、誤解を解くのが難しいと感じる。
なので、第一印象の大きな要素は、一、態度、二、表情、三、会話内容と、感じる。

自分に振り返っても、言えることなので、よおく注意しようっと。

わたしの場合、見かけからは想像できない、宇宙人的・会話内容のところで、多くの人が、コケるようだが・・・。

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同情するならカネをくれ

2013-03-07 | 子育て

50歳を過ぎて、語学留学に挑戦しようという人のブログがあるそうだ。
お気に入りブログに紹介してあったが、時間の関係上、見つけ出すことができなかった。
ゴマンとあるブログのなかでは、このジャンルは、そんなに特別ではないと思うが、
そういう人のエネルギーって、わたしにとっては、爽やかな風になる。
向上心や、やる気のある人のオーラ、大好きだ。
ただし、プラスの分だけ、苦悩・努力は、セットだけれど。

わたしは、人と悩みを共有することが出来ない。
それが、悩みだ。
とても嫌なヤツなのだ。わたしという人物は。
悩みがないことが、悩みの人など、ぜったいに、嫌われる。
だから、悩みがあるように装おうかと考えた。
が、見栄を張ったり、強がりを言ったり、いいカッコしたり、プラス方面になら、わからないでもないが、
負の方向に虚偽の自分を演じて、なにかいいことがある?
なので、バカらしくなって、やめた。

注目を集めようと、不幸自慢するには、
ネタがなさすぎて、考え出すアイデアが、あまりにもチャチで凡庸、稚拙な作り話、非現実的になりそうだ。

「あなたなんかには、わからない」
そう言われるのが、いちばん、つらい。
いままで、身近に感じていた距離感が、ぐっと離れていく瞬間だ。
辛い経験をしていないことが、劣等感に似たような感覚として、後ろめたいことのように感じる。

そういう意味では、同じ傷、痛みを持つ人同士が、お互いの悩みを話し合い、理解し合い、
傷を少しでも治していく方向へ、いっしょに歩むのは、とてもいいことだと思う。
同じ悩み、傷を持つ人同士にしかわからない、その痛みは、
なまじっか、経験のない、痛みのわからない人に、中途半端に同情されても、気まずい空気が漂うだけだろう。

わたしは、よく、内々で群れるのは好まない、と言っているが、
それは、お気楽方面の話であって、シリアスな分野ではない。
悩みを共有しない人が、その悩みを持たない自分の目線から
「なんだよ、そんなこと」みたいな発言は、その場では適切でないと感じる。


元、同じ職場のI女史。
職場スタッフに、子育てで、結構、深刻に悩んでいるお母さんがいて、悩みを口に出した。
それを独身で、子育て経験のない若いI女史が、さらっと、こう言った。
「そんなの、かんたんですよ。(いいですか? 聞いてくださいね) これこれ、こうしたら、いいんです」

わたしは、唖然とした。
そのお母さんは、さぞや、あれこれ苦悩して、試行錯誤して、解決方法を探っていると思う。
それを、まったくなんの経験もない、しかも、その道のプロ(学者や研究者)でもないI女史が、
誰もがまず初めに考え付くような安易なコメント、アドバイスをなんの臆面もなく、していた。
それができないから、うまくいかないから悩んでいるんじゃないの、と私は思った。
そのお母さんも、おそらく、そう感じただろうけれど、なにも言わなかった。

I女史、なんで、誰が聞いても、どこかで軽く聞きかじったようなことを、
しかも、発する途端に、知ったかぶりが暴露されるようなことを平気な顔で言うのか。
これも、彼女のキャラクターの一部であるが。
「どうです? これで、あなたの悩みは解決、明日から悩みから解放されますね」
みたいなノリで平然と言ってのける神経には、驚かずにはいられなかった。

世の中、いろんな人がいる。
安っぽい同情は、失礼になったり、相手を不快にさせることもある。
同情すること自体が、相手を侮辱していることになることさえある。
傷や痛みを分かち合える人同士が、いちばん、よくわかる。

うすっぺらな、うわっつらだけの言葉なら、かけないほうがマシ。
同情しているフリも、だめ。
本当に同情するなら、・・・その人のいちばん役に立つモノ、コト、行いをするべきだ。

が、気持ちに正直に、同情の具体的方法を示すのは、かなり難しい。

 

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刀やトゲが、刺さるか、刺さらないか

2013-03-06 | 日々のこと

センセーショナルなブログには、絶対に死んでもならない、なれない、蝶ブログ。
だが、今回のことで、思った。

なにかブログ村で出来事があり、物議をかもす記事があり、
それを見た人が野次馬みたいに、見物がてらに、飛んでくる。
そしてポイントを稼ぐ、ということは、嫌だと感じた。
いつもの静かなポイントで充分だ。いえ、ありがたく感謝だ。
いっそ、ブログ村を抜けようかとも思ったが、一瞬、思っただけで、行動には移らなかった。

感覚が合う人だけが、来てくださればいい。
感覚が合わなくても、キライでも、なにかを求めて来てくださるのも、自由。
メンバー限定とかにして、鍵をかけておくわけにはいかない。
もともと、不特定多数の人が行き来できる、双方向交流できるのが、ブログの特徴だ。


前に、母に、買ったばかりの花柄の服を着ていったところ、
「どこがいいのか、なにがいいのか、さっぱりわからない! 」
と、率直、ストレート、素直な感想を言われて、その後、一度だけしかその服は着なかった。

むっとした。
いくら母親でも、人が、買ったばかりの服を嬉しそうに着て楽しんでいるのに、
それをぶっつぶし、ぺちゃんこにするなんて、とアタマにきた。
母は、素直に感想を言うことで、なにかプラス面があったか?
「前々から『センス悪い』って、言おうと思ってたんだ。あ~、スッキリした」というほどの効果もなかったと思う。

例えば、あまりにもその服が変なので、母親として恥ずかしいとか、世間体を考えて、とか、
不愉快このうえない、とか、一般的に見ても、アタマや常識を疑うようなセンスだとか、・・・。
わたしのためを思って、みっともない姿を世間にさらさないよう、阻止しようした、とか。

そんな社会的意義、正義感も、なさそうだった。
たんに、深く考えずに、感じたままを言ったまでだ。

しかし、そんなことで、めげるのは、おかしい。
その前にも、わたしが、ちょっとユニークなショルダーバッグを買って、使っていた時、
義母と実母、ふたりともに、「なんという、おかしなバッグ!」と言われた。
そのバッグは、なんと言われようが、自分が飽きるまで、ボロっちくなるまで、恥ずかしくなるまで、使い続けた。

つまり、ひとになんと指摘されようが、自分がいいと思うものは、続行する。
自分が気になるようなものは、人に指摘されたことを怨みながら、指摘されたことのせいにして、ストップする。
そいういうことか・・・。

・・・でもない。
ちょっと違う。

母が、自分の感性を押し付けてくることに、むっとしたのだ。
押し付けられて、母の感性の通りにしたところで、何が生まれる?
そもそも、自分の感性は、ひとに押し付けてくるものか?

結果的には、ひとつの服は、着なくなり、ひとつのバッグは、使い続けた。
花柄服は、気を悪くしたが、バッグは、たいして、むっとしなかった。
「きっと、そう感想を持たれるだろう」と思っていたこともあったし、感覚が違うから、気にしなかった。

この違いは、なんだろう???
服は、痛いところをふいに、突かれ、バッグは、あらかじめ、心構えが出来ていたのか?

ひとに、言われて気になるのは、自分でも自信がなかったりする、弱いところなんだろう。

ま、なんでもいいです。

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普通が、いちばんいい

2013-03-05 | 日々のこと

さて、平常モード。

と言いたいところだが、親戚に不幸があり、延々と県を3つまたいで、遠方まで出かけた。
帰宅は、深夜。
ああ、しんど。
でも、ご遺族の皆様は、もっとしんどいだろう。
ご冥福をお祈りします。

で、ちっとも平常モードではない、今週。
週末には、もっとも、わたしの苦手とする舞台が待っている。
ああ・・・おそろしや。

家にゲストを迎える・・・おもてなしをする・・・
この行いには、わたしのウィーク・ポイントがすべて詰まっている。

今日のところは、あれこれ全部を中途半端にほったらかして、
とりあえず、帰宅してから、準備に、とりかかろう。
と、毎日、同じようなカウントダウンをしているが、締め切りを一日ずつ、ずらし延ばしている。


ブログ散歩をちゃちゃっとしてきたが、感想を記事にしたり、しなかったり。
あいかわらず、文章力はモノをいうなあ・・・と書き手の文才に感心する。

と、最後に、まるで関係ないコトを追記。
「意味わかんない」って、言われそうだけど、いいんです。

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雑感です

2013-03-04 | ブログ

ひとは、平常ではない状況に陥ると、いろんな顔を見せる。
通常の顔、隠れた顔。
いろんな方々が、おられますね。

ちなみに、わたしは、誤解を生じる書き方をしているためだと思うが、
ひとの悪口は、あまり言わない主義だ。
「悪口をさんざん言う」のは、自分に対してのことが多い。
でも、悪口と取られるようなことを書いているのかも知れない。
反省・・・。

抽象的な表現は、誤解を生むので、避けるほうがいいようだ。

そして、どんな世界にも、マナーは必要だと感じる。
顔が見えないからといって、なんでもあり、というのはよくない。

で・・・ひとは、ひと・・・
自分のブログは、自分が好きなように使いたいと思っております。
お気に入りの趣味のひとつだから。

とは言うものの、やはり不特定多数に向けて発信していることを忘れずに、書かなければいけない。
それによって失われるものがあるとすれば、
なにごとにも一長一短があり、あれもこれもは、欲張りというものだ。


それと、ひとつ、お詫びしたいことがある。
師匠へ。
わたしが、つまらないタイトルとかをつけることで、へんなかんじになってしまいました。
たいして、深く考えずに勢いでアップしています。
申し訳ありませんでした。

 

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あわただしいったら、ありゃしない

2013-03-03 | 日々のこと

子育てから卒業した。
が、卒業しても、卒業しきらない想いがいっぱいだった。

子供が自分で努力し、就職もし、成果をあげても、親の目から見ると、ぶち当たる壁がある。
それは、結婚だ。
これは、親の手から離れている。

社会に送り込むまでが、親の務めと思っていたが、結婚は、思いのほか、たいへんだ。
なにぶん、相手がいることである。


今回のイベントで、我が家に訪問してくださる、上娘の友だちのなかには、百点満点に近い人が未婚だったりする。
人当たりもいいし、同僚にも、職場の上にも下にも、親世代にも、受けがいいと思われる。
あるいは、気さくなタイプの人で、早々に職場に見切りをつけて、子育てに専念している人もいる。

そのうちのひとり、Aさんは末子が、ある程度の年齢になると、正式に働く予定で、
今は5歳を頭に3人子供がいるが、アルバイト的な働き方をしている。
Bさんは、3歳の男の子一人で、娘と同期だったが、専業主婦になっている。

イベントに、うちに訪れる女性たちは、全員女性、同じ年齢、かっこうのマーケティング・サンプルが取れそうだ。
10人は越えるので、黒子(くろこ)として観察するには、とても面白い。

女性の生き方、働き方、結婚、子育て、ママ友、親との付き合い方、行政の動き、かかわり・・・


・・・

中途半端、この上ないが、どっと人々が、がやがやと集まってきたので、ここで中断。
続きは、またの機会に。


 

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「わあ、ぴったり」は、ありえない

2013-03-01 | ブログ

昨日、自分が書いたブログ記事のことが、一日中、気になっていた。
自分は、打たれ強いと思っていたが、そうでもないのか。

立つ鳥後を濁さず、なんて、昔のひとは、いいことを言いますね。
でも、立つからこそ、今まで思っていたことを言えるんだろう。
わたしは、いつも、こころの中で、わあわあ言って、文字にしてしまっているから、
いざとなっても、きっと、空っぽだろう。

アラシや炎上って、よく目にするけれど、
ひとの感情をかき乱す作業って、案外、本人にしてみると面白いのかも?
本人よりも、まわりの野次馬のほうが、ずっと喜んでいるのかも?
わたしは、残念ながら、その手の遊びは興味もないし、熱を入れる気にもならない。

そんなことで、訪問数やポイントが上がったとしても、その一時のことである。
本来の自分のブログのスタンスとは違うところで、振り回されるのは、つまらない。

かといって、なかよしさんとだけ群れる気にもならない。
賛成でも、反対でも、いつも意見が言い合える、風通しがよい関係、距離がいい。
そうね、そうね、と、お互い、いつもいつも相槌を打ち合っても、なにも生まれない。

キライな面や、意見が合わない面があっても、それでも気になる、そんな関係がいいかも。
常に、どんな分野にも自分とぴったり、なんて、ありえない。
意見がなさすぎる。依存していることになる。

依存は、重い。
自立した者同士が共存するのは、わたしの一生のテーマである。
(こう書くと、また、いい年して、あほか、と言われそうだが・・・)


ちなみに・・・
今のわたしの、気持ちいいことのひとつは、目標の時間内にブログをアップすること。
ひとさまのブログを散歩して、自分のブログを書きアップするまでの時間は、30分。
散歩が長すぎても、書くのが長すぎても、遅刻する。
中途半端で、やめるのが嫌で、ついつい、あと5分、となると、その後の苦しいバタバタが待っている。

今日なんかも、中途半端だが、こころを鬼にして(使い方、間違っている・・・)
ここで終了いたします。

 

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