枕草子 ちょっと一息
枕草子の謎
古典と呼ばれるほどの文献には、多かれ少なかれ現代人から見れば謎に思える部分があるものですが、枕草子には特に多いように思われます。
今回はその中から二つ紹介させていただきます。
「第六十五段 集は・・」には、「古万葉。古今。」とだけ記されています。
少納言さまの短い文章の中には、現代の私たちではとても思い及ばないような仕掛けを感じさせる部分もあるのですが、この章段などは、特別に仕掛けがあるとも思われませんし、かといって、わざわざ一つの章段を形作るほどの意味があるのかどうか、首を傾げてしまいます。
「第六十八段 たとしへなきもの」の大半は、本当にこれが少納言さまの文章かと思われるような内容です。もし、少納言さまが自信を持って書き残されたものだとすれば、何か特別な仕掛けが隠されているのでしょうか。
二つとも謎というのは大袈裟かもしれませんが、私には不思議に感じられます。
もっとも、伝承されてくる過程で、脱落や混入があることは十分考えられます。しかし、もしこれらの章段が、少納言さまが書き残されたものそのもので、それもはっきりとした意図をもって書かれたものだとすれば、どこかに何かの仕掛けがあるように思うのですが、考え過ぎでしょうか。
枕草子の謎
古典と呼ばれるほどの文献には、多かれ少なかれ現代人から見れば謎に思える部分があるものですが、枕草子には特に多いように思われます。
今回はその中から二つ紹介させていただきます。
「第六十五段 集は・・」には、「古万葉。古今。」とだけ記されています。
少納言さまの短い文章の中には、現代の私たちではとても思い及ばないような仕掛けを感じさせる部分もあるのですが、この章段などは、特別に仕掛けがあるとも思われませんし、かといって、わざわざ一つの章段を形作るほどの意味があるのかどうか、首を傾げてしまいます。
「第六十八段 たとしへなきもの」の大半は、本当にこれが少納言さまの文章かと思われるような内容です。もし、少納言さまが自信を持って書き残されたものだとすれば、何か特別な仕掛けが隠されているのでしょうか。
二つとも謎というのは大袈裟かもしれませんが、私には不思議に感じられます。
もっとも、伝承されてくる過程で、脱落や混入があることは十分考えられます。しかし、もしこれらの章段が、少納言さまが書き残されたものそのもので、それもはっきりとした意図をもって書かれたものだとすれば、どこかに何かの仕掛けがあるように思うのですが、考え過ぎでしょうか。