枕草子 第七十段 懸想人
懸想人にて来たるは、いふべきにもあらず、ただうち語らふも、またさしもあらねど、おのづから来などもする人の、簾のうちに人々あまたありてものなどいふに、居入りて、とみに帰りげもなきを、供なる郎等・童など、とかくさし覗き、気色見るに、「斧の柄も朽ちぬべきなめり」と、いとむつかしかめれば、長やかにうちあくびて、「みそかに」と思ひていふらめど、
「あな、わびし。煩悩苦悩かな。夜は夜半になりぬらむかし」
といひたる、いみじう心づきなし。
(以下割愛)
恋人として訪れている男性の場合には、とやかく言うべきではないことですが、ただ親しい間柄であるとか、それほど親しくはないが何かのついでに訪ねてきたりする男性が、廂の間に女房などがたくさんいて話などしているところに座り込んで、急には帰りそうな気配がないのを、その人の供をしている郎等や童などが、ちょいちょい覗きに来て、様子を探るのですが、
「斧の柄も腐ってしまいそうな雲行きだなあ」
と、いかにもむしゃくしゃしている様子で、長々と大あくびをして、「ひそかに心の中で」と思って、人には聞こえないつもりで言っているのでしょうが、
「ああ、いやだいやだ。全く煩悩苦悩だな。今夜は夜中になってしまいそうだ」
などと言っているのは、まったく感心できません。
その不平を言っている供の男のことは、別にどうでもいいのですが、この座り込んでいる男性のことが、かねて「いい人だ」と、見たり聞いたりしていた評判まで、帳消しにしているように思うのです。
また、それほどはっきりと口に出しては言えなくて、
「あーあ」と声高に言って、うめき声を立てているのも、「下行く水の・・」という歌の気持ちなのだろうと思われて気の毒な気がしてしまいます。(『心には 下行く水の わきかへり いはで思ふぞ いふにまされる』からの引用)
立蔀や透垣などのもとで、
「雨が降りだしそうだ」などと、聞えよがしに言うのも、ひどく憎らしい。
本当に立派な身分の方のお供をしている者などは、そんなふうではありません。君達(若君)程度の身分の方のお供は、まあまあですね。
それより下の身分の者のお供の場合は、みんなそうした状態なんですよ。
従者は多勢召抱えているのでしょうが、その中でも、気立てをよく見極めたうえで連れて歩きたいものです。
『懸想人』などという、ちょっと意味ありげな書き出しですが、この章段は、随行させるお供についての、少納言さまのご忠告です。
なお、文中の「斧の柄も・・・」という部分は、「述異記」とかにある、仙境の童子が一局囲むのを見ているうちに、斧の柄が朽ちてしまったという浦島伝説に似た話からの引用です。
また、『煩悩苦悩かな』という部分がありますが、現代の言葉としては「難行苦行」といった意味だと思うのですが、当時このような言葉が使われていたと思うと面白いですね。
懸想人にて来たるは、いふべきにもあらず、ただうち語らふも、またさしもあらねど、おのづから来などもする人の、簾のうちに人々あまたありてものなどいふに、居入りて、とみに帰りげもなきを、供なる郎等・童など、とかくさし覗き、気色見るに、「斧の柄も朽ちぬべきなめり」と、いとむつかしかめれば、長やかにうちあくびて、「みそかに」と思ひていふらめど、
「あな、わびし。煩悩苦悩かな。夜は夜半になりぬらむかし」
といひたる、いみじう心づきなし。
(以下割愛)
恋人として訪れている男性の場合には、とやかく言うべきではないことですが、ただ親しい間柄であるとか、それほど親しくはないが何かのついでに訪ねてきたりする男性が、廂の間に女房などがたくさんいて話などしているところに座り込んで、急には帰りそうな気配がないのを、その人の供をしている郎等や童などが、ちょいちょい覗きに来て、様子を探るのですが、
「斧の柄も腐ってしまいそうな雲行きだなあ」
と、いかにもむしゃくしゃしている様子で、長々と大あくびをして、「ひそかに心の中で」と思って、人には聞こえないつもりで言っているのでしょうが、
「ああ、いやだいやだ。全く煩悩苦悩だな。今夜は夜中になってしまいそうだ」
などと言っているのは、まったく感心できません。
その不平を言っている供の男のことは、別にどうでもいいのですが、この座り込んでいる男性のことが、かねて「いい人だ」と、見たり聞いたりしていた評判まで、帳消しにしているように思うのです。
また、それほどはっきりと口に出しては言えなくて、
「あーあ」と声高に言って、うめき声を立てているのも、「下行く水の・・」という歌の気持ちなのだろうと思われて気の毒な気がしてしまいます。(『心には 下行く水の わきかへり いはで思ふぞ いふにまされる』からの引用)
立蔀や透垣などのもとで、
「雨が降りだしそうだ」などと、聞えよがしに言うのも、ひどく憎らしい。
本当に立派な身分の方のお供をしている者などは、そんなふうではありません。君達(若君)程度の身分の方のお供は、まあまあですね。
それより下の身分の者のお供の場合は、みんなそうした状態なんですよ。
従者は多勢召抱えているのでしょうが、その中でも、気立てをよく見極めたうえで連れて歩きたいものです。
『懸想人』などという、ちょっと意味ありげな書き出しですが、この章段は、随行させるお供についての、少納言さまのご忠告です。
なお、文中の「斧の柄も・・・」という部分は、「述異記」とかにある、仙境の童子が一局囲むのを見ているうちに、斧の柄が朽ちてしまったという浦島伝説に似た話からの引用です。
また、『煩悩苦悩かな』という部分がありますが、現代の言葉としては「難行苦行」といった意味だと思うのですが、当時このような言葉が使われていたと思うと面白いですね。